第七十八話
「あ…あああァァ…!」
自身の胸を貫く剣を見下ろし、ウェルギリウスは叫ぶ。
傷口から零れ落ちた血が地面に広がっていく。
心臓は急所だ。
それは人間であっても、悪魔であっても変わらない。
「まだ…まだだ…!」
しかし、ウェルギリウスは剣を手放さない。
それが致命傷と理解しながらも、闘志が消えない。
「『アイネイアース』」
悪魔を殺して蓄えた生命を使い、ウェルギリウスは立ち上がる。
死からの復活ではない。
ほんの僅かな時間、死を遠ざけているだけだ。
「………」
数多の命と溶け合い、ウェルギリウスの身体が異形化していく。
両目は白く濁り、頭髪も全て塩のような純白に染まった。
肌の色も色白を超え、蝋のように生命の熱を感じない。
「…分かってはいるんだよ。俺も」
変わり果てたウェルギリウスは、ネロの顔を見ながら告げる。
「既に俺に正義は無く、正当性など無い。世界が終わったあの日、俺の正義は失われた」
「………」
「だが、それはお前も同じだろう?」
ウェルギリウスは視線をネロの後ろに向けた。
庇うように背後に隠した、ビーチェの顔を。
「俺もお前も、正義ではない。この世界に、正しいことなど何一つない」
「…ああ、その通りだ」
「ならば俺達に出来ることは一つ」
ウェルギリウスは純白の剣をネロへと向ける。
応えるように、ネロもまた影の剣をウェルギリウスへ向けた。
「己が正しいと信じる物を…!」
「守るだけだ…!」
再び、白と黒の剣が衝突する。
互いの想いは同じ。
どちらにも正義は無く、正当性など無い。
間違いだらけのこの世界で、信じられるのは己だけ。
己が正しいと信じる物だけだ。
「汝の罪は邪淫と背徳! 我が炎は退廃の都を焼き尽くす!」
「…ッ!」
「『インフェルノ』」
ウェルギリウスの右手から昏く燃える炎が放たれる。
それはルビカンテの恩寵。
否、恩寵とは元々人間の為の力であることを考えれば、本来の持ち主へ戻ったと言うべきだろう。
この世に人間はウェルギリウスただ一人。
神の恩寵を受けるべき存在は、彼だけなのだから。
「汝の罪は疑心と未練! 我が光は禁忌に触れし者を浄化する!」
「次々と…!」
炎を辛うじて回避したネロに追撃が放たれる。
ウェルギリウスの左手から現れるのは、光り輝く白銀の槍。
「『パラディーソ』」
「ぐ…ッ!」
白銀の槍がネロの肩を貫いた。
一本だけではなく、次々と放たれる槍がネロの全身を串刺しにする。
五体を全て貫かれたネロの体は瞬く間に塩の山と化した。
「今度こそ、終わりだ…!」
ウェルギリウスはネロの背後にいたビーチェへ向かって右手の炎を放つ。
既に射程の範囲内。
ネロの復活も間に合わない。
炎がビーチェを包み込む…
「ネロ…!」
その直前、ビーチェは祈るように手を組みながらそう叫んだ。
言葉に応えるように、ビーチェの影からネロが姿を現す。
「そう来ると思った…!」
しかし、ウェルギリウスの顔に驚きは無かった。
ネロが間に合うことさえも計算の内。
既に炎はビーチェの目の前に迫っている。
復活したばかりのネロでは、この炎を止められない。
「俺の勝ちだ!」
これでネロ諸共ビーチェは死ぬ。
ネロ自身が正しいと信じる物と共に、ネロを殺す。
ウェルギリウスの勝利だ。
「“剣”」
「…な、に…?」
瞬間、ウェルギリウスは背後から刃に貫かれた。
ウェルギリウスの心臓を貫く刃を握るのは、ネロ。
「馬鹿、な…! ネロは、まだ目の前に…!」
「それは、私が作った偽者よ」
ウェルギリウスの言葉に、ビーチェが答えた。
言葉と共に、ビーチェの前に立つネロの姿が消える。
魔爪『ベスティア』…自身の影を生物に変えるビーチェの能力だ。
トロメーアに止めを刺した時と同じだ。
ビーチェは己の影を、ネロの偽者に変えていたのだ。
そして、本物のネロはその隙に影の中を移動し、ウェルギリウスの背後に回り込んでいた。
「一対一の決闘を望んでいたなら、悪いな。だが、コレが俺達だ」
ネロはビーチェの隣に立ちながら告げる。
「俺が正しいと信じる物だ」
「……………」
ネロがビーチェを大切に思うように、ビーチェもまたネロを大切に思っている。
その二人の絆こそがネロが何よりも正しいと信じる物だった。
「…は」
かつて、ウェルギリウスもそれを持っていた筈だった。
遠い遠い昔、確かに持っていた筈だった。
「…ああ」
復讐の為に生きる内に、いつしか忘れていた。
大切だった筈の仲間の顔。
その声を、温かさを忘れていた。
「…俺が、負ける筈だ」
自虐するような笑みを浮かべ、ウェルギリウスは倒れた。
孤独な復讐者は、眠るようにその長い人生に幕を閉じたのだった。




