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悪の嚢  作者: 髪槍夜昼
第四圏 カイーナ
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第七十話


「汝の罪は邪淫と背徳! 我が炎は退廃の都を焼き尽くす!」


神への祈りの言葉と共に、ルビカンテの周囲に昏い炎が出現する。


恩寵と呼ばれる魔爪とは真逆の力。


「『インフェルノ』」


大気中の魔素すら焼き尽くす炎が放たれる。


それを前に、アリキーノは手を前に翳した。


「『スキューマ』」


アリキーノが操るのは濁流の如き水の能力。


炎ごとルビカンテを呑み込まんと大量の水は押し寄せてくる。


(………)


炎と水の衝突を睨みながらルビカンテは思考する。


アリキーノの魔爪は確かに水を操る能力だが、以前はこれほどの水を同時に操ることは出来なかった。


複数の水泡を操ることが精々であり、水の弾丸を撃ち出すことが力の限界だった筈だ。


魔王との戦闘を経て、アリキーノの実力も多少上がっているだろうが、それだけでは不自然だ。


(力の上昇。力。魔爪。魔素……そうか)


ちらり、とカイーナの方を一瞥し、ルビカンテはその力の絡繰りに気付く。


魔爪とは大気中の魔素を使って発動するものだ。


そして魔素とは元々カイーナが世界にばら撒いた物である。


カイーナは呼吸をしているだけで周囲に魔素を放っており、戦闘中なら更にその量は増える。


故に、今この場では大気中の魔素の量が急激に上昇していた。


魔爪を使えないルビカンテには関係ないが、アリキーノはその影響を受けて能力が強化されたのだ。


(…なるほど)


たった三人でルビカンテの相手をする。


どうしてそんな無謀な作戦をウェルギリウスが考えたのかと不思議に思っていたが、十分に勝算のある作戦だったらしい。


カイーナの性質まで把握した上で、それを利用して作戦に組み込むなどウェルギリウスはどこまで魔王と言う存在を知り尽くしているのか。


「…ああ、本当にイイねぇ。アイツは最高だよ」


ルビカンテは愉悦に歪んだ顔を浮かべる。


「ウェルギリウス。あの男と出会ったことで、俺は『心』を得たのさ」


「君の、心だって?」


「そう。全てはその為なんだよねぇ。ヴェンデッタを裏切ったのも、ジュデッカを裏切ったのも、カイーナを復活させたことも、全て…」


アリキーノの顔を見つめながらルビカンテは告げる。


「千年も諦めずに戦い続けるあの男の心をさぁ! へし折ってやりたくなったんだよねぇ!」


「な…」


ルビカンテの言葉にアリキーノは思わず言葉を失った。


まさか、そんなことで。


そんなことで、この男はここまでのことを引き起こしたのか。


「そんなことさ。そう、たったそれだけ……だけど、俺が生まれて初めて自分の意思で望んだことだ」


ルビカンテは静かにそう告げる。


空虚な自分に生まれた初めての感情。


それを自覚した時、ルビカンテは自我を得たのだ。


「俺には悪意がある! 俺には欲望がある! ああ! 俺は今、生きている…!」


狂気だった。


生まれて初めて得た感情を何よりも大切にする。


そう言えば美談に聞こえるかもしれないが、ルビカンテが得た感情は『悪意』だった。


他の一切の感情を知らなかったが故に、誰よりも純粋に悪意に忠実だ。


「悪魔とは『悪』に生きるべきだ! そう! 俺は悪を成すが故に、悪魔なんだよ!」


ゴッ、と音を立ててルビカンテは昏い炎を放つ。


勢いを増した炎はアリキーノの操る水と衝突し、それを焼き尽くす。


「何…!」


水が、まるで油のように激しく燃え盛る。


普通なら有り得ない現象だが、ルビカンテの炎は普通ではない。


魔素を焼き尽くす炎は魔素によって生み出された魔爪すらも焼き尽くし、水の魔爪は昏い炎の中に消えていく。


「『ベスティア』」


炎がアリキーノをも包み込もうとした時、ビーチェが魔爪を発動させた。


ビーチェの影が形を変え、カラスの大群となってアリキーノを庇う。


それでも炎の勢いは全く衰えない。


影のカラスを次々と焼き尽くし、全て呑み込んだ。


「………」


しかし、カラスの大群を焼き尽くした先に、アリキーノの姿は無かった。


手足を獣に変えたチリアットによって、既に退避した後だった。


「ははっ、情けなくてオジサン、涙が出そうだよ。大の男が女子供に庇われるなんてさぁ」


ルビカンテは嘲笑を浮かべた。


「だから最初から言っているだろう? お前達なんかじゃ役者不足なんだよねぇ。オジサンは早く、向こうの戦いが見たいんだ」


「…くっ」


「カイーナと言う絶対悪を前に絶望するウェルギリウスの顔が! 魔王に蹂躙される悪魔達が! 滅ぼされる世界が見たいんだよねぇ!」


ゲラゲラとルビカンテは悪意に満ちた笑い声を上げる。


この欲望を満たすことが出来るのなら、命すら惜しくはない。


世界が滅びた後で、喜んで死んでやる。


「…隙だらけだ。間抜け」


その時、アリキーノの身体が溶けるように消えた。


「分身だと…?」


水の能力を応用することで、アリキーノは分身を生み出していたのだ。


今までルビカンテが見ていたのはアリキーノの分身。


ならば本体は…


「撃ち抜け!」


その答えは、背後から聞こえた。


アリキーノの握るカラフルな銃から放たれる水の弾丸。


迎撃はもう間に合わない。


振り返る余裕すら残されていない。


水の弾丸は狙い通り、ルビカンテの心臓を背後から撃ち抜く…


その筈だった。


「『インフェルノ』」


ルビカンテは振り返ることなく、昏い炎を放った。


自分自身・・・・に向かって。


「はははははは!」


自らの炎に焼かれながらルビカンテは嗤う。


その身を焼き尽くす炎により、急所を狙っていた水の弾丸が蒸発した。


「馬鹿、な…!」


自殺行為以外の何物でもない手によって、アリキーノの好機は潰された。


「ハハハッ! お裾分け、だよ…!」


そして、ルビカンテは動揺で足を止めてしまったアリキーノの顔を掴む。


炎が燃え移り、ルビカンテの顔から黒い煙が噴き出した。


「ぐ、あああああああああ!」


焼かれた顔を抑えながらアリキーノは倒れ込む。


あまりの激痛に意識を失ったのか、アリキーノの身体はそのまま動かなくなった。


「あ、アリキーノ様…!」


悲鳴に近い声を上げてチリアットが駆け寄る。


「駄目じゃない。敵に背を向けちゃ!」


「あ…」


その背を容赦なく、ルビカンテが蹴り飛ばす。


地面を転がったチリアットは頭を強く打ち、意識を失った。


「さて、後は君だけだねぇ」


「…ッ」


残ったビーチェを眺めながら、ルビカンテは嗤った。

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