第六十三話
「間一髪、でしたね」
ディーテのアジトにて。
ネロ達をこの場所へ転移させた女は呟く。
「お前は…」
「ミリオーネ…? どうして君が?」
ネロとアリキーノが声を上げる。
そう、ネロ達を転移させて命を救ったのはミリオーネだった。
元々はアンテノーラの眷属であり、ヴェンデッタに加わった訳でも無いミリオーネがどうして助けてくれたのだろうか。
「…別に深い理由はありませんよ。あんな物が出てきたからには、手を組むしかないでしょう?」
ミリオーネは呆れたように息を吐きながら言う。
善意ではなく、打算からネロ達を救ったのだと。
「…魔王カイーナか」
「何者なんだ、アイツは?」
「…私も詳しいことは知りませんけど」
不機嫌そうにミリオーネは顔を顰めつつ呟く。
「アンテノーラ様…が言うには何百年も前に三人の魔王の手によって殺された筈ですけど」
「………」
ネロは口元に手を当てながらジュデッカの言葉を思い出す。
カイーナは何百年も前に他の三人の魔王によって倒された。
しかし、殺された訳では無かった。
トロメーア、アンテノーラ、ジュデッカの力でも完全に殺すことは出来ず、封印された。
他者の心を操るジュデッカの能力で、永遠の眠りについた。
「…トロメーアは何か言ってなかったのですか?」
ちらり、とミリオーネは視線を向ける。
視線の先には具合が悪そうに胸の傷を抑えているグラッフィが居た。
「グラッフィ、無事だったのか?」
「…攻撃は心臓から外れていた。このくらい問題ねェよ」
血の混ざった唾を吐きながらグラッフィは忌々し気に呟く。
「…トロメーアの口からカイーナの話を聞いたことはねェ。だが、考えてみれば少し妙だな」
「何がだ?」
「アイツの性格的に、かつて倒した魔王の話なんて聞いていなくてもべらべら話しそうだ」
それなのに、トロメーアは眷属にカイーナの話をすることは無かった。
まるで、その存在を恐れているかのように。
「魔王、か」
四大魔王の最後の一人。
だが、カイーナはこれまでの魔王と比べても異質だった。
同じ魔王であるジュデッカすら瞬殺した圧倒的な実力。
彼女を封印するのに他の三人の魔王が手を組む必要があったことを考えても、間違いなく四大魔王最強の存在だろう。
それはつまり、この世で最も強力な悪魔だと言うことだ。
「………」
ただ強いだけではなく、存在自体が異質だった。
アンジェロも悪魔とは異なる雰囲気だったが、カイーナはそれとも違う。
例えるなら、猿と人間の違いのような。
悪魔よりも一段階、上位の存在のように感じた。
「…奴は、始まりの魔王だ」
その時、ずっと無言だったウェルギリウスが口を開いた。
「成り立ちから人では無かった物。人から悪魔と化した紛い物とは違う、正真正銘の怪物」
「ウェルギリウス…?」
「この世の物ではない存在。この世界に在ってはならないモノだ」
そう語るウェルギリウスの目には深い憎悪が浮かんでいた。
今までのどの魔王よりも強く、深く、カイーナを憎んでいる。
「他の三人の魔王など、ただ強い力を持った悪魔に過ぎない。本当の魔王は奴一人」
ギリッ、とウェルギリウスは純白の剣を強く握り締めた。
「俺は…奴を殺す為に今まで生きてきた……この世界が、滅びる前から」
「滅びる前…? ウェルギリウス、お前は一体…?」
「………」
ウェルギリウスは無言でネロの顔を見た。
「俺は他の魔王と同じく、最初に悪魔となった人間だ」
「………」
グチャグチャと音を立てながらカイーナはアンジェロを捕食していた。
数十のアンジェロの遺体の山を、次々と喰らっていくカイーナ。
「…悪魔ってそんなに美味しいのかい?」
熱心に捕食を続けるカイーナを眺めながら、ルビカンテは呑気に呟く。
恐ろしい魔王を前にも普段通りなのは、恐怖すら持たない欠落故なのか。
「…不味い」
口元の血を拭いながらカイーナは答えた。
「だが、知性体を喰わねば私は存在を保てない」
「存在を?」
「定期的に人間を喰わなければこの形を保てなくなる。知性も劣化してしまうしな」
カイーナの口調は復活直後よりも流暢になっていた。
「私に形は無い。流動的な魔素そのものが私だ。だから人を喰らい、形を覚える必要がある」
右手を霧状の魔素に変化させながら、カイーナは言う。
まだこの世界を人間が支配していた時代、カイーナが人間を捕食していたのはその為だった。
人の知性を手に入れ、人の形を記憶する為に、人を捕食した。
善悪も無い。
ただ生物としての本能故だ。
「何百年も寝ていたせいか、劣化が激しいな。もっと人間を喰わなければ」
「人間では無く、悪魔だけどねぇ」
「何を言っている? 多少の変化があったとは言え、本質は変わらん。お前も含め、全て人間だ」
「…へえ?」
「この世に悪魔は一人。私だけだ」
魔王は断言するように告げる。
確かに、この悪魔と比べれば自分達など人間と変わらない。
不老不死、無敵の悪魔。
怪物とは正に、この魔王の為にある言葉だ。
「それで、偉大な魔王様はオジサンのことも食べちゃうのかな?」
「何故そんなことをする必要がある? 食い物など、他に幾らでもあると言うのに」
心底不思議そうにカイーナは言った。
その反応に、ルビカンテは意外そうな表情を浮かべる。
己以外の全てを餌と見下す傲慢な魔王かと思ったが、そうではないようだ。
自身を復活させた功績故か、まだ利用価値があるのか、今のところルビカンテを殺す気は無いようだ。
(…まあ、考えてみれば自分以外全てを殺すような性格なら、四大魔王なんて作らないか)
どのような経緯かは知らないが、カイーナは自身の力を分け与えて四大魔王を築いた。
それはカイーナが他者の存在を認めていたことの証明である。
最後には裏切られる結果となった訳だが。
「…それはそうと、カイーナ。一つ良いかい?」
「何だ?」
「…その、服くらい着たらどうだい?」
どこか気まずそうに頬を掻きながらルビカンテは言った。
カイーナは未だに下着すら纏っていなかった。
一応、長い髪で隠れているとは言え、露出が激しいなんてレベルじゃない。
「感情も性欲も無いオジサンだけど、男として目のやり場に困るんだよねぇ」
「……………」
カイーナは無言で自身の髪に触れた。
青く長い髪の一部が蒸発するように黒い霧へと変わる。
やがてそれは藍色のマントとなり、カイーナの肌を覆い隠した。
「…これでいいか?」
「マシにはなったかなぁ…」
(素肌にマントだけって、それはそれで変態っぽいけどねぇ)
内心そう呟きながら、ルビカンテは苦笑いを浮かべた。
「全く、寒暖も感じないこの体に布を纏う必要性が感じられない。そもそもこの布と皮膚は同質。私にとっては素肌を晒しているのと何ら変わらないのだがな」
ブツブツと不満げに呟くカイーナ。
「ジュデッカの奴も昔から私に服が着ろと喧しく………」
「…どうしたの?」
「…何でも無い。この話はこれで終わりだ」
苦虫を嚙み潰したような表情で、カイーナはそう吐き捨てた。




