第六十一話
ジュデッカの知らなかった事実が二つあった。
一つ目は元々この研究機関は不老不死であるカイーナの殺す方法を見つける為に作られた組織だったこと。
二つ目はカイーナを捕獲する際、彼女は激しく抵抗し、百を超える犠牲が出たこと。
その二つの事実が意味する結果が、コレだった。
『ぎ、ああああああああああ!』
悲鳴が響き渡る。
解放されたカイーナは、視界に入る者を次々と殺害した。
銃弾もナイフも意味を成さず、コンクリートの壁すら紙のように切り裂き、研究者達を捕食した。
それは、出来の悪いパニックホラーのように滑稽で、現実感の無い光景だった。
人を喰らう度にカイーナは知性は発達していき、その力も増大していった。
『………』
ジュデッカを除く全ての研究者を捕食すると、カイーナの体から大量の魔素が放出した。
溢れ出す魔素は世界を侵食していき、多くの人間が死に絶えた。
人間も神の力を借りて抵抗したが、カイーナには勝てなかった。
殆どの人間が殺害され、生き残った一部の人間は魔素によって悪魔に変質した。
『見ろ、ジュデッカ。病めることも、老いることも無い。お前の望んだ世界だ』
カイーナは変わり果てた世界を眺めながら告げた。
人類は絶滅し、悪魔だけの世界となった。
正義と秩序は失われ、悪のみが残った地獄。
『こんな物が、私の望んだ世界だって…?』
世界を変えたいと望んでいた。
少しでも、今より良い世界を作りたいと願っていた。
だが、
こんな世界を、望んでいた訳では無い。
『………』
全て、自分の責任だ。
自分がカイーナを解き放ってしまった。
あの檻を開けてしまったから、世界は滅んだ。
『………』
償いをしなければならない。
失われた命に報いることは出来ない。
ならばせめて、この地獄を少しでも良い世界に変える。
それこそが、自分に出来る唯一の贖罪だから。
(過ちを正す…! この穢れきった世界を変える…!)
その為に、ジュデッカは今まで生きてきた。
世界が滅びてから千年。
贖罪の方法だけを考えてきた。
最初は悪魔を人間に戻そうと手を尽くしたが、それは不可能だった。
悪魔に心がある限り、欲望は尽きない。
だから欲望を消すには心を除去する必要があった。
その過程で、アンジェロが生まれた。
心を持たない天使。
自我を持たず、我欲を持たず、争いを生まない存在。
全ての悪魔を天使に変えれば、平和な世界が実現する。
かつてよりも素晴らしい世界が。
「私は救う…! この世界の全てを!」
「くっ…!」
光の爪を剣で受け止めながらネロは呻く。
ジュデッカは、他の魔王に比べて特別強力と言う訳では無い。
戦闘能力ならトロメーアの方が上であり、能力の多様性ならトロメーアの方が上だろう。
しかし、その胸に秘めた想いの強さだけはどの魔王も上回っていた。
贖罪の為だけに千年を掛けた想い。
それは他の悪魔のような欲望では無かった。
「『白き爪』制御解除! 暴走!」
ジュデッカはそう叫びながら、自身の右腕を切り離した。
分離した右腕を、ネロへ投擲する。
瞬間、右腕に仕込まれた魔道具が発動し、爆発した。
放たれた光と衝撃がネロの体を吹き飛ばす。
「『赤き爪』」
「ッ!」
その声を聞き、倒れたままネロは身構えた。
追撃を予想したネロだったが、攻撃が来ることは無かった。
(何で…?)
「…私の目的は初めからあなた方を殺すことではありませんよ」
ジュデッカの左手から伸びる細長く赤い爪。
それは、グラッフィの胸を貫いていた。
「チク、ショウ…!」
貫かれた傷口を抑え、グラッフィが倒れ込む。
「…やられた」
ウェルギリウスが小さく呟いた。
ジュデッカがグラッフィを先に仕留めた理由は明白だ。
あの塔…『トッレ・ディ・バベル』を再起動する為。
妨害電波を送っていたグラッフィが倒れた今、ジュデッカの計画を阻む物はないのだから。
「ネロ!」
「分かっている…!」
純白の剣を握るウェルギリウスと共にネロもまた影の剣を握り締める。
最早一刻の猶予も無い。
塔が再起動するよりも先に、ジュデッカを倒さなければ全てが終わる。
「遅いんですよ!」
ジュデッカは笑みを浮かべて塔を起動する。
様々なトラブルはあったが、コレで全て完了した。
千年の贖罪の日々が遂に報われる。
この世界は、天使だけが住む天国となるのだ。
「『インフェルノ』」
塔が発動するその瞬間、昏い炎が塔を呑み込んだ。
「な、に…?」
「今のは…まさか…!」
見覚えのある炎を見て、ネロは叫ぶ。
燃え盛る塔の傍らから、男が現れた。
「ルビカンテ。何のつもりですか?」
「見ての通りだよ、ジュデッカ。反抗期ってやつ?」
へらへらと笑いながらルビカンテは言った。
「…私を裏切るのですか。心の無いあなたがどうして?」
「生んでくれたことには感謝しているが、アンタの退屈な理想には付き合いきれないんだよねぇ」
舌を出しながらルビカンテは告げる。
他のアンジェロ同様に、心を持たないと思っていたルビカンテの反逆にジュデッカは顔を歪めた。
「…少々驚きましたが、あなたに出来ることは何もありませんよ」
冷めた目でルビカンテを睨みながら、ジュデッカは言う。
言葉通り、塔はルビカンテの炎に焼かれながらも無傷だった。
あの塔は計画の要なのだから、その程度の対策は講じている。
「知っているさぁ。だからオジサン、協力者を連れてきたんだよ」
「…協力者?」
「ほら、感動の再会ってやつかなぁ?」
そう言って、ルビカンテは後ろを差した。
燃え盛る炎に照らされて、その姿が露わとなる。
「…馬鹿、な」
今度こそ、ジュデッカの思考は止まった。
現れたのは、伸び放題の青い髪を持った女だった。
衣服は纏っておらず、自然に垂れた髪が剥き出しの肌を覆い隠している。
頭部には輪のような物が浮かび、鈍く光っている。
「………」
始まりの魔王、カイーナがそこにいた。




