第六十話
研究機関に迎えられたジュデッカは熱心に働いた。
『魔素』と呼ばれる物質は、今までのどの物質とも異なる性質を持っていた。
正しく『異物』と呼ぶべき存在。
誇張でも何でもなく、この世の物とは思えなかった。
『………』
そして、その魔素を生み出す女も未知の存在だった。
記録によれば、既に五十年以上変化なく生きているらしい。
老いることなく、飢えることなく、いつまでも活動できる存在。
外見こそ人間に似ているが、中身は全く別物だった。
宇宙で見つかったエイリアンが偶然人に似ていただけ、と言っても信じられる程だ。
『…新しい、人間か?』
『ッ! あなた、話すことが出来たのですか?』
ある日、唐突に口を開いた女に、ジュデッカは心底驚いた。
他の研究者達がまるで実験動物のように扱う為、てっきり言葉が話せないと思い込んでいた。
『私にも舌があり、喉がある。言葉を話すのがそんなに不思議か?』
その女は意外と流暢に語った。
見た目に反した男口調なのは、ここに居る男性職員から言葉を覚えたからかもしれない。
『名前は、何て言うのですか?』
『名前など、ない。私は私だ。天使或いは悪魔と呼ばれている』
『…それは困りましたね』
未知の生き物相手とはいえ、相手は会話の通じる存在だ。
名前が無いと不便だ、とジュデッカは思った。
『カイーナ、と言うのはどうでしょうか?』
『…何だ、それは?』
『あなたの名前ですよ。取り敢えず、私があなたを呼ぶ時はそう呼びますから』
『…好きにすればいい』
どうでも良さそうに女、カイーナは鼻を鳴らした。
カイーナの入っている研究室は冷凍庫並みに温度が低い筈だが、カイーナは衣服すら一切纏わずに平然としていた。
『…目のやり場に困りますね。今度、衣服を渡せないか相談してみますよ』
『服?…ああ、お前達が着ている布切れのことか。私はお前達と違ってどんな環境であろうと体温を維持できるから、必要ない』
『一応、あなたも女性なのですから羞恥心を持つべきですよ』
『羞恥心?』
こくり、と首を傾げるカイーナの顔は、外見に反して幼く見えた。
既にジュデッカの倍以上生きている筈だが、カイーナは子供のように無垢だった。
『今度持ってきますよ。ですが、独身の男のセンスに期待はしないで下さいね?』
笑みを浮かべながらジュデッカは言った。
いつの間にか、目の前に居る相手に対して親しみを感じてしまっていた。
カイーナは未知の生物ではない。
人間では無いのかもしれないが、言葉を交わし、理解することが出来る存在であると。
『………』
それからジュデッカの生活は変わった。
研究所の研究対象との奇妙な関係。
友人のような、そうでないような、不思議な距離感。
ジュデッカがカイーナのことを理解する度、カイーナもまたジュデッカのことを理解していった。
『この研究は、いつまで続くのだろうか』
ある日、カイーナが独り言のように呟いた。
『いつになったら、私は外に出られる?』
ジュデッカとの日々を送る内に、カイーナは段々と知識を付けていった。
それはやがて、外の世界への興味に変わり、今の生活への不満となった。
『ジュデッカ。私はずっと昔からここに居る…外の世界を知らない』
『…カイーナ』
『…私は、空が見てみたい。本物の空が』
『………』
ジュデッカに、カイーナの願いを叶えることは出来なかった。
カイーナは研究対象だ。
不老不死であるカイーナは何十年も何百年も、ここで研究を続けられるのだろう。
『…もう少しだけ、待って下さい。いずれあらゆる病を治す万能薬が完成する。そうすれば、あなたは自由となる筈です』
ジュデッカはそう告げるしか無かった。
魔素の研究は、人類の夢を叶えることが出来るかもしれない。
カイーナの体質を解明すれば、世界を変えることが出来るのだ。
その時になれば、きっとカイーナも自由になるだろう。
『…分かった。お前を信じよう』
カイーナは僅かに不満そうにしながらも、そう言ったのだった。
「『白き爪』」
光の爪を具現化しながら、ジュデッカは戦闘を続ける。
ネロとウェルギリウス、そしてヴェンデッタの全てを相手にしながらも、決して退くことは無い。
「…アンジェロ」
爪を振るいつつ、ジュデッカは呟いた。
同時に、虚空から無数のアンジェロが出現し、白銀の槍を構える。
「チッ! 新しいアンジェロを呼んだか…!」
「そっちはオレっち達が対処する! ネロちゃんとウェルギリウスは魔王の方を!」
「無理はするなよ!」
アリキーノの言葉にネロはそう言いながら、ジュデッカとの戦いを再開した。
今出現したアンジェロが全てとは限らない。
これ以上敵が増える前に、アンジェロを倒さなければならない。
「鬱陶しいですね。諦めて救済を受け入れたらどうですか?」
「お前に支配される生活なんて、御免だ!」
「支配ではない、と言っているでしょうに」
ネロの剣を躱しながらジュデッカは言う。
「『トッレ・ディ・バベル』の完成さえ見届ければ、私は能力の維持をこの塔に委ねて、私自身もその影響下に入ります」
「…何? お前も心の無い人形になると?」
「当然でしょう? 私だけが心を持っていれば、いつか私の欲望で世界が破綻してしまう」
欲望の無い世界平和を願うジュデッカにとって、それは避けなければならないこと。
故に、能力の発動と同時にジュデッカ自身も人形となる。
全ての悪魔から心を奪うとは、そう言うことだ。
「…どうして、そうまでして悪魔の性を憎むんだ?」
ネロはジュデッカの考えは全く理解できなかった。
全ての悪魔から意思を奪い、奴隷にするつもりなら、まだ理解は出来る。
しかし、悪魔の欲望を無くす為に自分自身すらも自我を捨てるとは、狂っている。
何がそこまでジュデッカを狂気に駆り立てるのか。
「…憎悪、とは少し違いますね」
ジュデッカは僅かに考えながら告げた。
「…コレは私の責任なんですよ」
何か、強い決意を秘めた顔でジュデッカは言う。
「私には、世界を滅ぼした責任があるのです」
『それは、本当なんですか…?』
カイーナの自由を願い、上司に懇願したジュデッカは、衝撃の事実を告げられた。
この研究機関の真実。
秘密裏に魔素を研究していたのは、万能薬を生み出す為などでは無かった。
『不老不死、人類の夢だ。それを叶える為に金を払う富豪など、この世には幾らでもいる』
そう、この研究機関は不老不死を研究する為に作られた場所だった。
老いた金持ち達の醜い欲望によって成り立っているのだ。
彼らの頭にあるのは、不老不死に対する執着のみ。
不老不死を体現するカイーナに対する嫉妬のみ。
『………』
彼らは、ジュデッカの知らない所でも様々な実験をカイーナに行っていた。
より多くの魔素を抽出する為に、全身を切り刻んだ。
細胞の変化を観察する為に、多くの毒物を注入した。
欲望を叶える為だけに、非人道的な実験を繰り返した。
『…カイーナ』
信じる、とカイーナは言った。
ジュデッカを信じる、と。
これだけ酷い目に遭っても、カイーナはジュデッカを信じているのだ。
『………』
それなのに、自分は何をしているのだろう。
世界を変えたくて。
少しでも多くの人を救いたくて、努力してきた。
それなのに。それなのに…
『カイーナ、あなたはもう自由だ』
ジュデッカはカイーナを檻から解放した。
研究室の全ての装置の電源を切り、彼女を自由にした。
それによって自分がどうなるとしても構わなかった。
もうジュデッカは、疲れ果てていたのだ。
そして、
『ありがとう、ジュデッカ。全てお前のお陰だ』
ニタリ、と悪魔は嗤った。
その顔を見て、ジュデッカは目の前の女が人間では無いことを思い出した。




