第六話
「…ふわぁ…朝、か」
窓から差し込む光で目を覚ましたビーチェは小さくあくびをした。
折り曲げていた翼を広げ、伸びをする。
(昨日は確か、都市の外で男達に狙われて…それから)
昨夜の出来事を思い出す内に段々と寝ぼけた頭が覚醒する。
(あ、そうだった)
ネロ。
自分の影から現れた謎の男。
同じ悪魔でありながら、初対面の自分の為に生きると告げる胡散臭い男。
欠片も信用していないビーチェだったが、彼の能力は魅力的だった。
『魔王殺し』と言うビーチェの悲願を叶える為、利用できる物は全て利用するつもりだ。
「…あれ?」
目を擦りながら周囲を見渡したビーチェは首を傾げた。
いない。
この家で共に寝ていた筈のネロがどこにもいなかった。
(まさか、逃げた…?)
昨夜、ビーチェは自身の目的をネロに告げた。
魔王殺しと言う途方もない目的。
あの時は平然としていたネロだったが、朝になって怖気づいたのだろうか?
「………」
悪魔であれば、当然の反応だ。
そもそもビーチェ自身、信用などしていなかったのだから、裏切られたなんて思わない。
思わない、が。
ほんの少しだけ、残念な気分だった。
「ネロ…」
「呼んだか? ビーチェ」
「きゃあああああああ!?」
思わず呟いた言葉に返答があり、ビーチェは悲鳴を上げて飛び上がる。
硬直するビーチェの前で、彼女の影が盛り上がり、ネロの姿に変わった。
「な、何で! 私の影から出てくるのよ…!」
「いやぁ、入ってみたら意外と快適だったから、つい」
照れたように頬を掻きながらおかしなことを言うネロ。
ベッドから転げ落ちたビーチェは、無言で立ち上がった。
「………」
我慢、我慢だ。
多少性格が変でも、その力は利用できる。
どう言う訳かこの男は自分のことを好いているようだから、愛想を振りまいて損は無いだろう。
「それにしてもきゃあ、って言った今? ビーチェ、そんな可愛い声も出せたんだなァ。ははは!」
「………」
我慢だ、とビーチェは青筋を浮かべる自分に言い聞かせた。
「さて、これからのことを考える前に、まず知っておかないといけないことがあるわ」
「ほう? それは?」
「戦力、よ」
家の外に出たビーチェは、ネロを見つめながらそう告げた。
「魔爪には様々な種類がある。炎を生み出す能力。他者に幻覚を見せる能力。個々の悪魔によって発現する能力は千差万別よ」
強力な物から、利用価値の分からない物まで、本当に色々だ。
一度ネロの戦いを見ている為、大体どんな能力を持っているかは把握しているが、本人から直接説明された訳では無い。
ネロの能力に期待しているビーチェにとって、能力を知っておくのは必要なことだった。
「俺の能力か」
キョトンとした表情で、ネロは自身の影を見つめた。
「一言で言えば、影を操る能力だな」
ネロが手を翳すと、影から黒い剣が生えてくる。
柄の端から刃の先端まで黒一色の剣だった。
それを手に取り、ネロは手の中で弄ぶ。
「『オンブレ・チネージ』って言うんだけどよ、影を武器に変えることが出来る」
「武器…? それは、剣以外にも?」
「ああ。俺の想像できる範囲なら、何でも」
トントン、と自身の頭を指で叩きながらネロは言う。
要するに、見たことが無い武器や知らない武器は作れないようだ。
逆に言えば、想像次第でどんな武器でも無尽蔵に作り出すことが出来ると言うこと。
応用性の高い、強力な能力だと言えるだろう。
「あとは、そうだな。影の中に入り込むことも出来るぞ?」
「影を物質化するだけではなく、影の中にも入れる…」
しかも、今朝ネロはビーチェの影の中に入り込んでいた。
自分以外の影にも潜むことが出来るのか。
それも使い方次第では、かなり強力だろう。
「他には、何か無いの?」
「他? うーん…」
これだけでも十分だったが、少し欲が出てビーチェはネロに尋ねる。
ネロは少し困ったように眉を動かした。
「悪いが、俺の記憶している限りではこれだけだな。もしかしたら他にも能力があるのかもしれないが、覚えていない」
「そう、仕方ないわね」
言われて思い出したが、ネロは記憶喪失だった。
その割には随分と己の能力について覚えていたが、それで全てかどうかは自信が無いらしい。
「お返し、と言う訳じゃないけど、私の能力も教えておくわ」
そう言ってビーチェは軽く手を振った。
ネロと同じく、ビーチェの影が動き、中から一匹の狼が生み出される。
「私の魔爪は『ベスティア』…能力は、影から獣を生み出すこと」
色の無い黒い狼は、くるくるとビーチェの近くを回る。
「正直、悪魔同士の戦いで役に立ったことは殆ど無いけどね」
やや自虐するようにビーチェは言った。
生み出せる獣のサイズは狼程度が限度。
悪魔と戦うには弱すぎる。
不意打ちで放って囮に使うくらいで、戦いで勝ったことなど一度も無い。
魔爪の強さは悪魔の強さ。
故にビーチェは強者に虐げられる弱者なのだ。
「ビーチェも俺と同じ影を操る悪魔だったんだな」
「あなたには大きく劣るけどね」
「その共通点故に、俺と君の影が共鳴し、君の影から俺は出ることが出来たのかもしれないな」
能力同士の共鳴。
そんな話は今まで聞いたことが無いが、ネロは確信を持っているようだった。
「安心すると良い、これからは俺が君の影になる。どんな時だろうと君を守る為に影従しよう」
「…それは有り難いけど、もう私の影には入らないでよ」
冷めた目を向けながら、ビーチェは釘を刺すようにそう告げた。