第五十九話
今から一千年前、この世界は人間で溢れていた。
この世界に魔法は無く、科学と常識で世界は成り立っていた。
『………』
ジュデッカは、そんな時代に生まれた一人の科学者だった。
他者より優秀な頭脳を持ち、天才と呼ばれた人間だった。
『………』
しかし、その頭脳故にジュデッカはいつも苦悩していた。
どれだけ努力しても、世界から悲劇はなくならない。
この世界は残酷で、いつもどこかで犠牲となる人々がいる。
『…私が、ですか?』
そんな日々に悩んでいた時、彼はとある研究機関から声を掛けられる。
そこはこの世のあらゆる不治の病の治療法を研究している場所だった。
世界を変える為、救われぬ人を救う為、ジュデッカはその誘いに頷いた。
世界中から集められた各分野の天才達に囲まれ、これからの日々に希望を抱いていた。
『コレは、一体…?』
研究機関に迎えられて数年後、ジュデッカはそれを見た。
地下深く、巨大な冷凍庫のような部屋に閉じ込められた存在。
『コレは我々の世界とは違う場所から堕ちてきたモノだ』
研究機関の科学者は言った。
『天使或いは悪魔。少なくとも科学的に、我々の常識から外れた存在であることは間違いない』
科学者は宗教家では無かったが、認めざるを得なかった。
あらゆる検査、実験の結果が証明している。
『ですが、コレは…どう見ても…』
ジュデッカは恐る恐る分厚いガラスで覆われた向こう側を指差した。
標本のように中に収められたそれは、人間の女に似た姿をしていた。
生まれてから一度も切っていないような伸び放題の青い髪。
頭部には鈍く光る輪のような物が常に浮かんでいる。
衣服は纏っておらず、自然に垂れた髪が剥き出しの肌を覆い隠している。
顔の作り自体は整っているが、その殆どが長過ぎる髪で隠れてしまっていた。
『人間に似ているのは外見だけではない。コレは呼吸もする。人間とは全く別物だがな』
『別物とは…?』
『コレのする呼吸は酸素と二酸化炭素の交換ではない。呼吸をする度、この生き物は未知の物質を吐き出している』
『未知の、物質』
『我々はそれを、魔素と呼んでいる』
それこそが、この研究機関の目的だった。
不治の病の研究は、表向きの目的。
本当の目的は、この未知の生物が吐き出す物質『魔素』の研究。
悪魔と呼ばれる存在の解明だった。
「『アイネイアース』」
「“剣”」
黒白の剣をそれぞれ振るうウェルギリウスとネロに対し、ジュデッカは防戦一方だった。
反撃する余裕すらなく、ひたすら回避に専念している。
「行けるぞ、ウェルギリウス!」
影の剣を握りながらネロは叫ぶ。
ジュデッカの能力は洗脳。
条件が整えば恐ろしい能力だが、直接戦闘は苦手のようだ。
(このまま押し切る…!)
「“鎖”」
ネロは手にした剣を影に戻し、無数の鎖を生み出す。
鎖は四方からジュデッカを取り囲み、全身を縛り上げた。
「よし! 捕まえ…」
「………」
ネロが勝利を確信した時、ジュデッカの口元が吊り上がる。
その眼が、真っ直ぐネロを射抜く。
「ッ!」
ぞくり、とネロの背筋に悪寒が走った。
考えるよりも先に、本能でジュデッカから距離を取る。
直後、ジュデッカの左目から真っ赤な閃光が放たれた。
「…くっ!」
咄嗟に身を躱したネロの髪を掠め、赤い光は地面を焼き焦がす。
あと数歩踏み込んでいれば、閃光はネロの体を貫いていただろう。
「…その眼、魔道具を仕込んでいるのか!」
ネロはジュデッカの左目を睨みながら呟く。
「眼だけではありませんよ?」
言いながらジュデッカは右手を振り被る。
「『白き爪』」
瞬間、ジュデッカの手から五本の光が放たれた。
白く光り輝くそれは、光の爪。
アンジェロの持つ槍と同じ性質を持つ爪は、ネロの上半身をバラバラに切断した。
「ネロ!」
慌ててビーチェはネロに向かって手を翳す。
切断されたネロの肉塊が影へ戻り、瞬時に元の形に復元される。
「再生速度、上がってますね。脳と心臓を同時に切り裂いても復活しますか…」
手から出現させていた光の爪を消しながらジュデッカは言う。
「なら、こんなのはどうでしょう? 『青き爪』」
今度はジュデッカの左手から氷の爪が伸びる。
それに反応するよりも速く、ジュデッカは氷の爪をネロに突き刺した。
「生かさず殺さず。生きたまま全身を氷漬けにしても、復活できますか?」
「こ、の…!」
抵抗しようとしても、既に遅かった。
ネロの全身は麻痺したように動かず、足下から凍り付いていく。
「『アイネイアース』」
それを阻止するべく、ウェルギリウスは純白の剣を振るった。
魔素を切り裂く剣は魔道具が起こした現象すら消し去り、ジュデッカを狙う。
「『金の爪』」
ドン、とジュデッカが地を踏み締めると同時に、地面から巨大な黄金の爪が突き出る。
柱のように太く強固なそれはウェルギリウスの剣を受け止め、攻撃を防いだ。
「一体どれだけ魔道具を仕込んでいるんだ…!」
全身に仕込んだ魔道具が起動する度、全く違う能力が発動する。
まるで複数の魔爪を同時に使いこなしているような光景だった。
ジュデッカの本来の魔爪は電磁波による洗脳能力だが、それを抜きにしてもジュデッカが魔王であることには変わりない。
数多の魔道具を量産する能力こそが、ジュデッカの最も恐るべき能力なのだ。




