第五十六話
「肯定。命令を受託しました」
「肯定。標的を確認しました」
コキュートスの空に浮かぶ無数の天使達。
魔道具による転移で出現したアンジェロ達は、天使の翼を広げながら地上を見下ろしていた。
「何だろうアレ? ジュデッカの眷属かな?」
「…恐らくそうだろうが、妙な雰囲気だな」
アリキーノの言葉にウェルギリウスは頷く。
敵であるのは確かだが、不思議な感覚だ。
悪魔であって、悪魔ではない。
生物であって、生物ではないような…
「「「汝の罪は疑心と未練。我が光は禁忌に触れし者を浄化する」」」
アンジェロ達の口から同じ言葉が紡がれる。
「『パラディーソ』」
同時に、彼女らの手の中に光り輝く白銀の槍が出現した。
貫いた者全てを浄化する槍を構え、アンジェロ達はヴェンデッタを見つめる。
「肯定。これより殲滅を開始します」
「アンジェロとは、神の『恩寵』を振るう存在のことだ」
ルビカンテは自身の胸に手を当てながら告げる。
「『恩寵』とはかつての大戦時、神が人間に授けた力。悪魔を殺す為の力だ」
「悪魔を、殺す力」
ビーチェの脳裏に白銀の槍が過ぎる。
悪魔の再生能力を無効化し、その肉体を塩の塊に変える浄化の力。
対悪魔に特化したあの力は、魔爪とは根本から異なる力だったのだ。
「恩寵は本来人間にしか使えない力だ。欲深い悪魔には使うことが出来ない」
「…そうか、だから」
「そう。それを使う為に、アンジェロは心を削り取られた」
欲望を持つ悪魔では恩寵を使えないから。
我欲を削り、悪心を削り、恩寵を使えるように調整された。
彼女達は既に悪魔ではない。
神の力を振るう心の無い天使なのだ。
「汝の罪は邪淫と背徳。我が炎は退廃の都を焼き尽くす」
ルビカンテの手の中から昏い炎が溢れ出る。
「『インフェルノ』」
それこそが恩寵と呼ばれる力。
魔素を焼き、悪魔を浄化する退魔の炎。
「…まさか、お前もそうなのか?」
ネロはルビカンテの正体に気付き、思わず呟いた。
ルビカンテは自分をアンジェロだと言った。
そして恩寵は欲望を持たない者にしか使えないと。
「…アンジェロに例外はない。オジサンも同じさ。本当は、何も感じないんだよ」
少しだけ悲し気な顔でルビカンテは告げた。
その顔すらも演技なのだろう。
「笑ったり、怒ったり、結構上手いものだろう? まるで、心があるように見えただろう?」
好戦的で残忍な顔も全て、嘘偽り。
ヴェンデッタに入り込んでいた時だけではない。
心を持たないルビカンテにとっては、周囲に見せている感情の全てが嘘なのだ。
「…分からないな。どうしてそんな仕打ちを受けてまで、ジュデッカに従う?」
「恨みや憎しみの感情も、オジサンには無いからだよ…!」
ルビカンテは昏い炎を放出する。
手から解き放たれた炎は光すら呑み込みながら、ネロへと迫った。
「“鎖”」
ネロは手を翳し、影から無数の鎖を生み出す。
敵を拘束する為ではなく、それを束ね、身を守る防壁として展開する。
「ははは! それで防げるつもりなのかなぁ!」
嘲笑を浮かべながらルビカンテは更に炎を放つ。
この昏い炎は魔素を焼き尽くす炎だ。
どれだけ強力な魔爪だろうと、それを構成する魔素自体を焼却すれば無力。
ルビカンテの炎に燃やせない物は無い。
「…んん?」
しかし、ルビカンテの予想に反して炎は食い止められた。
いつまで経っても鎖が焼き尽くされることが無い。
いや、正確にはルビカンテの炎は鎖を焼いているが、それと同じ速度で新たな鎖が影から出現し、炎からネロ達を守っている。
影から鎖を生成する速度と炎が鎖を破壊する速度が拮抗していることで、結果的にルビカンテの攻撃は完全に防がれていた。
「以前戦った時よりも力が増しているねぇ! 可愛いヒロインが傍に居るからかなぁ!」
ゲラゲラとわざとらしく笑うルビカンテ。
元々ネロは創造主であるビーチェが傍に居た方が強い実力を発揮したが、今の力はそれ以上だ。
ビーチェが己の能力を自覚したことで、より強い力がネロに与えられているのだろう。
敵がどれだけ強大あろうとも、ビーチェのイメージするネロは誰にも負けない。
そんな子供染みた想像力が、ネロを無尽蔵に強化しているのだ。
「でも、無駄! 全部無駄なんだよねぇ! オジサンこう見えても、子供相手に本気になっちゃうタイプだからさぁ!」
ルビカンテは両手を広げる。
大きく開いた両手の中から濁流のように昏い炎が噴き出した。
「サンタクロースなんてこの世に居ないと告げるようにさぁ! 大人げなく、君のヒーローをぶち殺しちゃうからねぇ!」
手だけではなく、ルビカンテの全身から底知れぬ炎が放出される。
大気中の魔素すら残らず焼き尽くし、ネロの防壁を破壊する。
逃げる隙など与えない。
鎖の崩壊と共に炎はネロとビーチェを呑み込み、魂すら残さずに灰に変える。
その筈だった。
「“鎌”」
背後から聞こえた声と共に、黒いギロチンがルビカンテの首を刎ねた。
刎ね飛ばされたルビカンテの首が、己の背後に立っていたネロとビーチェを見つめる。
「…そう言う、ことか…」
鎖の防壁は、身を守る為の物ではなかった。
アレはルビカンテの目から身を隠す為の物だった。
そして、ルビカンテが鎖の防壁を破壊することに集中している隙に、影の中を移動してルビカンテの背後に移動した。
大技を放ったばかりのルビカンテの隙を突く為に。
「は。前の時はあんなに弱かったのに。女がいればそんなに強くなるなんて…ズルいねぇ…」
地を転がりながら、ルビカンテの首は笑みを浮かべる。
致命傷を負ったことすら、気にもせず。
「…死ぬことが怖くないのか?」
「怖くはないよ。言っただろう? 俺は、何も感じないんだ」
ルビカンテは自虐するような笑みを浮かべた。
「喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、何も感じない。何も感じなかった筈なのに…」
「………」
「…それでも、ジュデッカの命令に従ったのは、俺を生み出した父親だったから…かな?」
心はなく、何の感情も無い。
だが、どうしてかジュデッカの命令に逆らおうと言う気持ちは無かった。
それはきっと、彼が自身の親だから。
「多分、お前がビーチェに感じている気持ちに近いんだろうねぇ。ははは…」
自分でも理解できない感情を口にしながら、ルビカンテは笑った。
「…ああ、でもアイツは、俺を見てくれたことは、一度も無かった…な」
どこか悔しそうに、ルビカンテは言った。
身勝手に生み出され、身勝手に心を操られた。
似た境遇であった筈なのに、ネロはビーチェと理解し合うことが出来た。
それが、羨ましかった。
「………」
その言葉を最後に、ルビカンテは静かに瞼を閉じたのだった。




