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悪の嚢  作者: 髪槍夜昼
第三圏 ジュデッカ
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第五十五話


「―――」


言葉が、出なかった。


ビーチェの本当の能力。


ネロの正体。


ジュデッカが告げた真実は、ビーチェの理解を超えていた。


「―――」


誰も信じられなかった。


誰にも心を許せなかった。


弱いビーチェは常に虐げられる側であり、強者に怯えて逃げ続けていた。


この悪に染まった地獄では、目に映る全てが敵だと思っていた。


「―――」


…それでも、信用できると思える相手に出会えた。


誰もが己のことしか考えないこの世界で、ビーチェの苦しみを理解してくれた相手。


生まれて初めての『味方』だった。


「―――」


しかし、それは全て嘘だった。


ネロはビーチェの苦しみを理解したのではなく、ビーチェの苦しみから生まれた幻想だった。


ビーチェ自身が無意識の内に生み出した、己を慰め、守る為の存在だった。


ネロと言う悪魔など、初めからどこにも居なかったのだ。


「…私は」


今まで、何をしていたのだろう。


魔王が憎い、トロメーアを殺したい、と願望だけを口にしてネロを利用した。


ネロが自分に好意を抱いているから、それを良いことに己の欲望の為に利用し続けた。


その好意すらも、己が植え付けた物だと気付きもせず。


「私、は…!」


眷属を奴隷にしていたトロメーアと何が違う?


眷属を洗脳していたアンテノーラとどこが違う?


何も変わらない。


ビーチェが今までネロに行ってきたことは、魔王の悪行と何の違いも無い。


「もし、ネロが真実を知ったなら、彼はどうするでしょうね?」


「ッ!」


ジュデッカの言葉がビーチェの胸を貫く。


真実を知れば、ネロはどう思うだろうか。


自分の抱く感情が全て偽りで、ビーチェに操られていたのだと気付いたら。


初めからずっと、裏切られていたのだと知ったなら。


そうしたらきっと…


「それが嫌なら、あなたも『人形遊び』を続けるしか無いんですよ。私と同じでね」


「………」


そのジュデッカの言葉に、ビーチェは何も言えなかった。


他者の心を奪い、人形に変えると言うジュデッカの所業を否定することが出来ない。


ビーチェも同じことをしていたのだから。


「…ふむ。罪の意識を抱くなど、やはりあなたは不思議な悪魔ですね。そんなあなただからこそ、異質な能力を発現したのでしょうか?」


絶望するビーチェの顔を眺めながら、ジュデッカは冷静に呟いた。


「まあいい。あなたの能力は私の計画の役に立ちそうです。協力してもらいますよ」


そう言いながらジュデッカはビーチェへ近付く。


それに気付きながらも、ビーチェは何も出来ない。


戦うことも、助けを呼ぶことも出来ない。


そもそも誰に助けを求めると言うのか。


最大の理解者だったネロは居ない。


彼を裏切ったビーチェが、どうして助けを求めることが出来るだろうか。


ビーチェの目から涙が流れ、影の中へ落ちていく。


その時だった。


「『オンブレ・チネージ』」


ビーチェの影から、男が現れた。


距離も、空間も、あらゆる障害を無視して、そこへ現れる。


理由など無い。


ただ己の愛する者の危機を救う為だけに。


「誰だァ! ビーチェを泣かせた奴は! ぶっ殺すぞォ!」


両手に影の刃を握り締め、ネロは吠える。


怒りと殺意を込めて、ジュデッカを睨みつけた。


「…コレは面白い」


ジュデッカは目の前に出現したネロを見て、興味深そうに笑った。


「ヴェンデッタが影響を受けたのも無理はない。見た目は完全に悪魔でありながら、内面は全く違う。悪魔から生まれた物とはいえ、欲望も悪性も持っていない」


影響を受けたのはビーチェ自身もそうだ。


悪性を持たないネロと触れ合う内に、内面に変化が起きた。


ネロが他の悪魔とは違い過ぎるから。


生まれつき欲望も悪性も持たない神聖な存在。


心を失っている訳では無いが、ネロも本質的にはアンジェロと同じ存在なのだ。


「『黒い天使(ネロ・アンジェロ)』…なんて、皮肉が効いてますね」


「さっきからごちゃごちゃと…!」


両手に握った剣を構え、ネロは地を蹴る。


首を刈り取るように振るわれた二本の剣をジュデッカは一歩下がることで回避した。


「危ないですね。短気は損気ですよ」


言いながら、ジュデッカは指を鳴らす。


それを合図に、何人ものアンジェロが出現した。


光り輝く白銀の槍を握り、ジュデッカの指示を待っている。


「チッ…! ビーチェ!」


「え…あっ…」


状況が不利と判断し、ネロは撤退を選んだ。


ビーチェの手を掴み、扉を破壊してその場から脱出する。


「追いなさ………ん?」


すぐに後を追わせようとして、ジュデッカは手を止めた。


ジュデッカの持つ魔道具が外の状況を伝える。


「ヴェンデッタ…もうここまで来たのですか」


来るとは思っていたが、予想より早い。


恐らく、ネロも彼らと共にコキュートスまで来たのだろう。


「…計画の準備段階で邪魔されるのは困りますね。アンジェロはそちらに送りますか」


パチン、と指を鳴らしてアンジェロを転送する。


これで良い。


こんな時の為にアンジェロには『力』を与えてある。


その力は悪魔とは真逆の力。


魔素を断ち切り、魔爪を削り取る、浄化の力だ。


「私の世界に、悪魔は不要。その罪と共に浄化されなさい」








「待って…! ネロ!」


「…? どうした、ビーチェ」


出口を目指して研究所内を走り続けていたネロは、ビーチェの言葉に足を止めた。


息を荒げながら、ビーチェは真剣な目でネロの顔を見つめている。


「言わないと、いけないことがあるの…」


「それは今じゃないといけないのか?」


「…ええ」


重々しく、ビーチェは頷いた。


その真剣さを見て、ネロも表情を変える。


「ネロ。あなたは、悪魔じゃないわ」


「………」


「あなたの正体は、私が能力で生み出した幻想。私が、自分を守る為に作り出した都合の良い人形」


黙っていることなど出来なかった。


例えその事実がネロを傷付けるとしても、これ以上裏切り続けることは我慢できなかった。


「…あなたは私を愛しているんじゃない。私がそうなるように操っていただけなのよ」


その感情も想いも、全て偽物。


記憶が無いのも当然だった。


ネロは、ビーチェと初めて出会った日に生まれたのだから。


「………」


真実を打ち明けられ、ネロは何も言わなかった。


静かにビーチェの言葉を噛み締め、何か考え込んでいるように見えた。


「ッ」


ビーチェはその沈黙が恐ろしかった。


魔王に殺されそうになることよりも、ネロの言葉を聞くことが怖かった。


怒り狂うのだろうか。絶望するのだろうか。


どちらにせよ、ネロはもうビーチェの傍に居てくれることは無いだろう。


「…なあ、ビーチェ」


小さく、ネロは呟いた。


「…言いたいことはそれで全部か?」


「え…?」


「ならいい。そんなことより、早くここを脱出するぞ」


ネロは、話は終わったとばかりにビーチェの手を掴んだ。


そのまま先へ進もうとするネロに驚き、ビーチェは手を振り払う。


「そんなこと…? そんなことって、何? ネロ! 私の言葉が分からないの!」


「分かっている。俺は君の力の一部であり、俺が君に感じていた感情も、作られた物だって言うんだろう?」


「だったら…!」


「…舐めるな」


ビシッ、とネロはビーチェの額にデコピンをした。


「確かに薄々妙だとは思っていた。初めて会う女に対して、愛情のような物を感じていた。だがな、俺が君を守りたいと思うようになった理由は、それだけじゃない」


確かに始まりはそれだった。


初対面から好意を抱くようには心を操作されていたのだろう。


だが、決してそれだけじゃない。


それだけではないのだ。


「あの夜、俺は君の涙を見た。亡き家族の為に泣く君を見た。その時に誓ったんだ」


ネロの目に迷いはなかった。


これこそが、ネロの本心だと告げている。


「俺は、君を悲しませる全てから、君を守ると」


「だから、その想いだって私が…!」


「それは違う。この心は、この想いは、間違いなく俺の物だ」


例えビーチェの言葉だとしても、それは認められない。


今のネロが抱くこの感情は、ネロだけの物だ。


ネロは心の無い人形ではないのだから。


「俺は俺の意思でここに立っているんだ」


「………」


真剣な表情で告げるネロを前に、ビーチェは何も言えなくなった。


その言葉を否定することは出来ない。


それを否定することは、ネロの心を否定することだから。


「わ、私…」


「…悲しまないでくれ、ビーチェ。俺は君を悲しませない為に、ここに居るのだから」


「ッ…!」


困ったように笑うネロを見て、ビーチェの疑心は消えた。


例え成り立ちが悪魔とは違うとしても、彼はビーチェの理解者だった。


全ての真実を知っても何も変わらなかった。


心から信じられる仲間のままだった。


「…ビーチェ」


ネロは涙を浮かべるビーチェの手を引き、自身の背後に移動させた。


盾になるように前に出ながら、物陰に視線を向ける。


「いつまでそこに隠れているつもりだ?」


「…何だ、気付いていたのかい」


物陰からゆったりと男が姿を現した。


ボサボサとした赤髪と伸び放題の赤髭。


片翼の悪魔。


「覗き見とは趣味が悪いな、ルビカンテ」


「空気を読んだと言って欲しいなぁ。オジサン、馬には蹴られたくないからねぇ。キスとかしなくて良かったの?」


ニヤニヤと品の無い笑みを浮かべながら男、ルビカンテは言った。


その顔を見て、ネロは殺気立つ。


ビーチェを誘拐し、この場所に監禁していたのはこの男だ。


怒りと殺意が蘇り、剣を強く握り締めた。


「およ? やる気かい? オジサンこう見えても、他人の恋路は応援したくなるタイプだから、見逃してあげても良いよぉ?」


「“スパーダ”」


ルビカンテの軽口を無視し、ネロは影の剣を振るう。


それを躱すルビカンテの背が弾け、もう一本の翼が生えた。


「その翼…!」


新たに生えた翼を見たビーチェが声を上げる。


悪魔の片翼とは逆側に生えたもう片方。


それはアンジェロの背に生えていた天使の翼と同じ物だった。


左右で形の違う悪魔と天使の翼。


その二つを器用に扱い、ルビカンテはネロから距離を取った。


「まさか、あなたも…?」


「…ジュデッカの眷属は、全てアンジェロだ」


ルビカンテは告げた。


「オジサンこう見えても、アンジェロなのさぁ」

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