第五十話
「くそっ、駄目だ! 体が硬すぎるよ!」
水弾を連射しながらアリキーノが叫ぶ。
悪魔の体すら容易く貫通する弾丸だが、暴走したアンテノーラに傷を負わせることは出来なかった。
「手を止めんな優男! そのまま続けろォ!」
「グラッフィちゃん…?」
首を傾げながらもアリキーノはその指示に従った。
次々と放たれる水弾がアンテノーラの皮膚に弾かれ、その体を水で濡らす。
「水は電気をよく通すんだぜェ!」
そこにグラッフィが雷撃を叩き込んだ。
放たれた雷撃は水の中を流れ、アンテノーラの全身を巡る。
例え強靭な皮膚に覆われていようとも、体表の全てを守ることは出来ない。
感電したアンテノーラの体が麻痺し、その動きが止まった。
「『アイネイアース』」
動きを止めたアンテノーラへ純白の剣が振り下ろされる。
硬質化した皮膚を砕き、その血肉を切り裂いた。
「ァァァァァ…!」
「かははは! 皮膚が砕ければこっちのもんだァ!」
切り裂かれた傷口を狙い、グラッフィは雷の爪を突き刺す。
雷撃が傷口から体内に入り込み、アンテノーラを内側から焼き焦がした。
膨大な魔素によって傷口が再生し始めるが、それも無限ではない。
削れば削る程にアンテノーラは弱り、その体は小さくなっていった。
「朽ち果てろ!」
再びウェルギリウスが純白の剣を振るう。
アンテノーラの皮膚が裂け、赤黒い血が噴き出した。
「よォし! コレで止めを…!」
「“鎌”」
雷の爪を振るおうとしていたグラッフィよりも先に、黒い鎌がアンテノーラを両断する。
「ア…ァァァァ…!」
真っ二つになったアンテノーラの体が血溜まりに沈む。
最早血に染まっていない所が見つからない程に、その体はボロボロだった。
「“棘”」
しかし、攻撃はまだ終わりでは無かった。
黒い鎌が無数の棘に形を変える。
「…ァァァ…ア…」
百を超える数の棘の雨はアンテノーラの全身を串刺しにする。
まるで昆虫の標本のようにアンテノーラの体は地面に縫い付けられた。
「“剣”」
ぴくりとも動かなくなったアンテノーラへ、黒い剣を振り上げる。
ボロボロの体を更に切り刻もうと剣を握る手に力が込められた。
だが、その手は横から伸びた手に掴まれた。
「ッ…! ウェルギリウス! 何で邪魔をする…!」
自身の手を掴むウェルギリウスを睨み、ネロは叫ぶ。
「…よく見ろ、もう死んでいる」
静かな声で、ウェルギリウスは告げた。
その視線の先に居たアンテノーラは、既に息絶えていた。
醜悪に変貌した肉体はもう再生することなく、少しずつ塵となっていった。
「それに、お前が殺したい相手はコイツではないだろう」
「…くそっ」
ウェルギリウスにそう言われ、怒りに支配されていたネロの体から力が抜けた。
今のはただのやつあたりだ。
ビーチェを誘拐された焦り、ルビカンテに逃げられた怒り、そんな感情をぶつけるようにただ暴れたかっただけだ。
「…くそっ、くそっ! 俺はどうしてこんなに弱い…! どうして女一人守ることが出来ないんだ!」
ネロは手にした剣を地面に叩き付けた。
ビーチェを誘拐したルビカンテ以上に、自分自身が許せない。
強くなった筈だった。
魔王すら倒せる程に強くなった。
ビーチェを守る為だけに、ネロはそれだけの力を手に入れた。
それなのに、どうして…
「…泣いて、いるのか?」
ウェルギリウスは思わず呟いた。
心底驚いたように目を見開き、ネロの目から零れる涙を見ていた。
「他人の為に、お前は泣いているのか? 悪魔である、お前が」
「…他人じゃない」
ネロは涙を拭い、ウェルギリウスに告げる。
「大切だから。特別だから、泣いているんだ。当然だろう」
「…そう、か」
ウェルギリウスはまだ納得していないような表情で、そう答えた。
ネロは地面に転がった剣を拾い、握り直す。
「俺はビーチェを助け出す。ルビカンテも、ジュデッカも、邪魔する者は全て殺してやる…!」
諦めるつもりなど微塵も無い。
例え勝算が無かったとしても関係ない。
どんな手段を使ってでも、ビーチェを取り戻す。
「………なら、俺達の利害はまだ一致しているな」
ウェルギリウスは純白の剣を握りながら言った。
「どのみち、残った魔王はジュデッカしか居ない。協力しないのは非効率的だろう」
「ウェルギリウス…」
口調と表情は普段と変わらないが、ウェルギリウスの雰囲気はいつもと違った。
合理的な理由以外にも、ネロに協力する理由があるような気がした。
「オレっち達も当然協力するよ、ネロちゃん!」
アリキーノは大きく胸を叩きながら言った。
「君のお陰でオレっちはチリアットを取り戻せた。だから、今度はこっちが協力する番だよ!」
「そうだ! ビーチェも俺達の仲間だ!」
「魔王なんかに奪わせるな!」
次々と声が上がる。
まだ入って間もないビーチェを救う為に、ヴェンデッタの面々が拳を振り上げていた。
「…ここは」
ビーチェは、何もない部屋で目を覚ました。
天井も床も石灰を塗ったかのように真っ白。
病的なまでに白一色で、汚れ一つ無かった。
「私は、確か…」
「目を覚ましたかな?」
「ッ!」
突然近くから聞こえた声に、ビーチェの頭が覚醒した。
そうだ。全て思い出した。
ビーチェはあの焼死体を見た後、背後から現れたルビカンテの不意打ちで意識を失ったのだ。
「ここはどこ? あなたは何者なの?」
「ここは魔王ジュデッカの領地。そしてオジサンはジュデッカの眷属。他の魔王を倒させる為にヴェンデッタに入り込んでいたんだよ………他に質問は?」
「ジュデッカの、眷属…!」
「良い表情だ。いやぁ、オジサンそう言う素直な反応する子、好きだなぁ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながらルビカンテは言う。
ビーチェの知るルビカンテはどこでも眠るような不真面目で物臭な男だったが、今のルビカンテはイキイキとしている。
こちらが本当の顔なのだろうか。
「…私を人質にするつもり?」
「人質? その発想は無かったなぁ」
意外なことを言われた、と言う表情でルビカンテは呟く。
「確かにお前を人質にすればネロくらいなら簡単に殺せそうだけど……そんなことしたら、つまらないだろう?」
「つまらない…?」
「どうせ殺し合うなら、本気でやらないとつまらないじゃないか! 傷付き! 血を流し! 今にも死にそうな程なスリルが無ければつまらない!」
狂気に満ちた笑みを浮かべるルビカンテの手から昏い炎が噴き出していた。
「…まあ、それでもオジサンは誰にも負けないけどねぇ。ゲームってのは、勝てるからする物だし」
その言葉には絶対の自信と自負があった。
ネロが相手でも、ウェルギリウスが相手でも、ルビカンテは自分が勝つと確信しているのだ。
「お前を拉致ったのは、ネロを本気にさせる為だよ。彼って、お前が危ない目に遭うとパワーアップするらしいじゃない?」
ルビカンテは愉し気に人差し指をビーチェへ向けた。
その指先からチラチラと昏い炎が揺らめく。
「…腕の一本でも焼いていた方が、もっと本気になるのかなぁ?」
「!」
「はははは! 冗談冗談! そんなことしたらオジサン、ジュデッカに怒られちゃうよ」
思わず後退るビーチェを見て、ルビカンテはゲラゲラと笑った。
「お前はジュデッカの研究対象だからねぇ」
「研究対象…? 私が…?」
ビーチェは訝し気な顔をする。
当然ながら、ビーチェはジュデッカに会ったことなど無い。
見たことも無い魔王に興味を持たれる理由もない。
「…トロメーアのことを言っているのなら、私は奴の娘ではないわよ」
唯一思い至ったことをビーチェは呟く。
魔王トロメーアがビーチェの父親に憑りついていたと言うだけで、血の繋がりはない。
ビーチェを魔王の娘と思い込んでいるのだとしたら、それは勘違いだ。
「違う違う。トロメーアとか関係ない。ジュデッカが興味を持っているのは、お前の能力だ」
「…何を言っているの?」
ますます訳が分からない。
ビーチェの能力は影から獣を生み出す能力。
数多の魔爪の中でも、弱い部類に入る能力だ。
そんな物に魔王が興味を持つなんて信じられない。
「まあ、オジサンも詳しい話は知らないから。今度直接聞くと良いよ」
そう言うと、もうビーチェに対する興味を失ったようにルビカンテは部屋から去っていった。




