第四十八話
「………」
カルカはアンテノーラを背に庇うように立つ。
その呼吸は乱れており、体は血塗れだった。
ネロに両断された体は再生しているが、それは見せかけだけだ。
未だ瀕死であることは変わらず、いつ死んでも不思議では無かった。
「…この方を殺すと言うのなら、まずは…俺から殺せ」
それでも、カルカは庇うことをやめなかった。
決して勝てないと理解しながら、ウェルギリウスとネロの前に立つ。
「何故その女を庇う? 既に、洗脳は解けている筈だろう」
ウェルギリウスが訝し気に呟いた。
アンテノーラの魔爪は断ち切った。
眷属達の洗脳も解除され、正気に戻っている。
もうアンテノーラに命を捧げる者など居ない筈だ。
「俺は初めから洗脳などされていない。ここに居るのは、俺の意思だ」
カルカは迷いなく言い切った。
「…カルカ。その女は本当に、それだけ忠誠を捧げる価値があるのか?」
どこか憐れむようにネロは言う。
カルカの忠誠は理解できる。
しかし、それを捧げる相手は本当にアンテノーラで良いのか。
数多の悪魔を洗脳し、玩具とする邪悪な魔王で良いのか。
「…俺の命を捧げる相手は、俺が決める」
カルカは大きく両腕を広げた。
背後に立つアンテノーラを守るように。
「ネロちゃん! ウェルギリウス!」
「おい、もう魔王は倒したのか!」
その時、扉を蹴破るようにアリキーノとグラッフィが現れた。
アンテノーラの暴走によって眷属達が無力化した為か、他のヴェンデッタのメンバーも次々とこの場に駆け付けてくる。
「…もうアンテノーラの眷属は壊滅した。諦めろ、カルカ」
「まだ終わりではない…」
カルカの両手から二本の毒針が伸びる。
右手と左手に一本ずつ生えたそれを構え、カルカはネロへと襲い掛かった。
「俺にはまだ、守るべき者がいる…!」
「…カルカ」
瀕死の体で戦うカルカの背を、アンテノーラは見ていた。
血による洗脳ではない。
元からカルカは洗脳していない。
洗脳する前から自身に忠誠を誓った変わり者。
真面目で素直な所が気に入っていた。
それだけだった。
アンテノーラにとってカルカはお気に入りの玩具の一つに過ぎなかった。
「『カラブローネ』」
だけど、カルカにとってはそうではなかった。
ただ受け入れ、居場所を与えた。
たったそれだけのことが、何よりも嬉しかった。
だからこそ命を懸けてアンテノーラを守ろうとしている。
己の命すら投げ捨ててアンテノーラを救おうとしている。
「“剣”」
「ガァ…! ま、まだだ…!」
カルカの右腕が千切れ飛ぶ。
だが、カルカは足を止めない。
本当に命尽きるまで戦い続ける。
「―――」
それは、アンテノーラが求めていた物だった。
ずっと求めていながら、決して手に入らなかった物。
洗脳した偽りの愛ではない。
そんな物を幾ら集めた所で、満たされることは無かった。
本当に求めていたのは、心から自分を愛してくれる者。
「…ッ」
そうだ。
多くの愛を求めていた訳じゃなかった。
たった一人だけで良かった。
それだけだった。それだけだったのだ。
「…カルカ。もういいわ」
「…アンテノーラ様?」
「もう、十分よ」
片腕を失い、傷だらけのカルカを見ながらアンテノーラは言った。
あれほど不安だったのに。
あんなに愛に飢えていたのに。
今は何の不安も不満も無かった。
「あなた達は私を殺しに来たのでしょう? それは、眷属も全て殺すつもりなのかしら?」
「…向かって来る者はな。そうでなければ戦う理由はない」
「…じゃあ、私が大人しく死ねば、カルカは見逃してくれる?」
「アンテノーラ様!」
カルカは驚きの声を上げる。
アンテノーラはそれに笑みを浮かべた。
「俺の命などどうなっても構いません! あなたの為なら俺は…!」
「…ずっと、誰かにそう言って欲しかった。だから、もういいの」
アンテノーラは心から満足していた。
死ぬことすら何も怖くはない。
ずっと前から求めていた物が手に入ったのだ。
「抵抗はしない。私はここで死ぬ。だからカルカだけは…」
憑き物が落ちたような穏やかな表情でアンテノーラは言った。
瀕死のカルカを庇い、前に出る。
自分を愛してくれる者が居る。
本心から自分を護ろうとしてくれた者が居る。
それでもう、十分だった。
「…ウェルギリウス」
「………」
二人を見ながらネロは呟く。
言いたいことはウェルギリウスも理解していた。
この二人を殺す必要があるのか、と。
魔王に恨みを抱くヴェンデッタの者達も迷いを顔に浮かべていた。
もう二度とアンテノーラは眷属を増やすことは無いだろう。
欲しかった物は既に手に入ったのだから、誰かを洗脳する理由はない。
それでも殺すべきなのか。
互いを庇い合うこの二人を、この手で殺す意味はあるのか。
「………」
ウェルギリウスは無言でアンテノーラの顔を見た。
その口がゆっくりと開く。
「おいおいおいおい! 何ですか、このクソ寒い展開はさぁ!」
それを遮るように、男の声が響いた。
「萎えるなぁ、萎えるよねぇ、悪党が改心するとか、実は悪党じゃなかったとか。そう言う展開ってうんざりするよねぇ」
場の空気にそぐわぬ明るい声。
大声で喚きながら、その男はゆっくりと近付いてくる。
「悪魔ってのは、最期まで『悪』であるべきだ。そうだろう?」
ドンッ、と何かが爆発するような音が響いた。
「………え?」
その声を漏らしたのは、誰だったか。
音の方へ全員が目を向けると、そこにはカルカが立っていた。
咄嗟にアンテノーラを押し退け、身代わりとなったカルカ。
その体から一本の槍が生えていた。
「ぐ…が…あああ…ッ!」
赤熱する槍はカルカの血肉を焦がす。
全身を炎が包み込み、深部まで焼き尽くす。
「か、カルカ…?」
「アンテノーラ、様…申し訳、ありま………」
それが、カルカの最後の言葉だった。
あまりにも唐突に、カルカの命は炎の中に消えた。
「あ、あああ…」
呆然と伸ばしたアンテノーラの手に、火の粉と灰が触れた。
この世で唯一、アンテノーラを愛した者の亡骸が。
「あああああああああああ!」
涙すら零さず、アンテノーラは絶叫した。
それを眺めながら、男は笑みを浮かべる。
「おいおい、どうした皆? もっと喜んだらどうだい? あの憎い魔王が全てを失い、心から絶望している! これこそが俺達の復讐だろうぉ?」
男は嗤う。
見たことのある顔に、見たことも無い表情を張り付けて、嗤い続ける。
「なあ、ウェルギリウス? オジサン、何か間違ってるかなぁ?」
「…ルビカンテ」
ウェルギリウスは男の名を呼んだ。
ウェルギリウス、アリキーノと同じヴェンデッタの初期メンバーの一人。
長い間、ジュデッカの所に潜伏して任務を行っていたヴェンデッタの古株。
ルビカンテが、そこに居た。
以前のような怠惰で面倒臭がりな雰囲気など欠片も無く、別人のような狂気の笑みを浮かべている。
「あ、ああ…アアア…!」
「お。そろそろか」
ルビカンテがそう呟くと同時に、アンテノーラの体が弾けた。
バキバキと音を立てて背から蟲のような羽根と、細く硬い手足が生えてくる。
アンテノーラの姿が段々と巨大な蟲の化物へと変貌していく。
「アンテノーラが、怪物に…!」
「体内の魔素が暴走してるのよぉ。自我も崩壊しているだろうけど、そこはまあ、腐っても魔王?」
ケラケラと愉しげに笑いながらルビカンテは言う。
「お前達を皆殺しにするくらいは余裕だろうねぇ。ご愁傷様」
「る、ルビカンテ! 君は一体何が望みなんだ…!」
まるでヴェンデッタの死を望んでいるかのような言葉にアリキーノは声を上げた。
付き合いが長い分、ルビカンテの豹変に特に衝撃を受けていたのだ。
「…ジュデッカか」
その時、ウェルギリウスは小さく呟いた。
「おっと、大正解! それとも、薄々気付いていたけど、利用価値があるから見逃していたのかな?」
「ジュデッカって確か…」
ネロはウェルギリウスへ視線を向けた。
ジュデッカは魔王の一人。
長い間、ルビカンテが潜入して情報を集めていた魔王だ。
「逆だったんだ。奴は、ジュデッカの下へ潜入したヴェンデッタのスパイではなく…」
「ヴェンデッタの下へ潜入したジュデッカのスパイ。そう言うことだ」
裏切ったのではなく、初めからジュデッカ側のスパイだったのだ。
ヴェンデッタが結成されるより前からルビカンテはジュデッカの眷属であり、ヴェンデッタの情報を探る為に送り込まれた。
そしてジュデッカの下へ潜入すると言う名目で、ジュデッカとヴェンデッタを行き来していたのだ。
「オジサンの忙しい日々もこれでようやく終わる。名残惜しいが、皆さんさようなら」




