第四十七話
『家族』が欲しかった。
私を愛してくれる誰かが欲しかった。
魔王となった私の望みは、最初からそれだけだった。
『………』
私は美しく生まれ変わった。
かつての醜い私ではない。
地を這う芋虫が蝶に変わるように。
誰よりも美しい姿を得た私に、多くの悪魔が愛を囁いた。
『………』
だけど、私の心には恐怖があった。
本当に私は美しくなったのか?
本当に私は愛されているのか?
虐げられた過去が、私の心に黒い染みを落とす。
ずっと不安だった。
自分では、自分が美しいと信じることが出来ない。
だから私は、
私は…
「“剣”」
ネロの影が一振りの剣へと形を変える。
揺らめく影絵の剣を手に、ネロは走り出す。
「あなたも、私の眷属にしてあげましょう…!」
アンテノーラは笑いながら尾を振るった。
胴体よりも太い、アンバランスな毒針がネロを貫こうと迫る。
「影よ…」
毒針の先端が触れる寸前、ネロの姿が影に沈み込む。
標的を見失った毒針は誰も居ない地面に突き刺さった。
直後、影の中を移動したネロはアンテノーラの影から姿を現した。
「断ち切れ!」
隙だらけの背中に向かってネロは影の剣を振り下ろす。
刃はアンテノーラの背にぶつかり、しかし金属音を立てて弾かれた。
(…硬ッ)
その皮膚の硬さにネロは驚愕する。
眷属達から生命力を収奪した効果か、アンテノーラの皮膚が硬質化していた。
岩も鉄も容易く断ち切るネロの剣でも、この皮膚を破ることは出来ないだろう。
「退け!」
「!」
鋭い声に反応し、ネロは後方に飛び退く。
合わせるように現れたウェルギリウスが純白の剣をアンテノーラへ振るった。
ガキィン、と再び大きな金属音が鳴り響く。
「チッ…!」
ウェルギリウスは苛立ちを隠さずに舌打ちをする。
頭部を狙って振り下ろされた剣は、アンテノーラの尾によって防がれていた。
硬い殻に覆われた尾には傷一つ付いていない。
「ウェルギリウス!」
ネロの呼ぶ声に従い、ウェルギリウスは剣を退く。
アンテノーラを睨みながらネロの隣へと並んだ。
「あの硬さだと、俺の攻撃は無意味だ。どんな武器を出しても弾かれる」
「…そのようだ」
あの皮膚を破ることが出来なければ、首を断つことも、心臓を壊すことも出来ない。
スピードでは負けていないが、ダメージを与えられないのであれば意味がない。
「だが、奴はお前の攻撃だけは防いだ」
「…お前も気付いていたか」
「俺だって馬鹿じゃないんだぜ?」
不敵な笑みを浮かべながらネロは言う。
ネロの攻撃には躱す素振りすら見せなかったのに、ウェルギリウスの攻撃は尾を使って防いだ。
それはつまり、ウェルギリウスの剣はアンテノーラにダメージを与えられると言うことだ。
魔爪を切り裂き、不死を殺す魔剣。
強い殺傷性を持つウェルギリウスの剣は、魔王であっても恐れる物なのだ。
「なら作戦は決まったな。俺は援護に回る」
「そして俺が奴の命脈を絶つ」
真っ白な塩を思わせる剣を握り直しながらウェルギリウスは言った。
「…十秒だ。それだけ時間を稼げるか?」
「は」
ウェルギリウスの言葉にネロは笑みを浮かべた。
「余裕に決まっているだろ! その倍は時間を稼いでやるよ!」
ネロは獰猛に笑いながら、右手を振るう。
その手に握られた剣が溶けるように消え、影へと戻る。
「影よ、形を成せ! 敵を縛る枷と成れ!」
ネロの影が膨らみ、広がり、具現化する。
「“鎖”」
現れたのは無数の鎖。
先端に槍のような物が付いた黒い鎖が、アンテノーラの全身を包み込む。
それはアンテノーラの皮膚を傷付けることは出来ないが、その四肢の全てを縛り上げる。
「こんな物で私を拘束できるとでも…!」
アンテノーラはすぐさま鎖を握り締め、渾身の力を込めて引き千切ろうとした。
吸い上げた生命で強化されたアンテノーラの力は、鋼鉄の如き鎖に亀裂を走らせ、軋ませる。
「無駄だ。影は殺すことも、壊すことも出来ない」
しかし、鎖に刻まれた亀裂は瞬く間に修復された。
見た目は鋼鉄の鎖だが、その本質は影。
例え粉々に砕かれようとも影に戻るだけで、瞬時に同じ形を作ることが出来る。
「なら…!」
アンテノーラの目がネロの姿を捉えた。
その背から伸びる尾が動き、ネロに狙いを定める。
「そうだ。影は全て俺の足から伸びている。影の出所である俺を殺せば、影は消える」
影の破壊は意味がない。
だからアンテノーラが狙うべきなのは、ネロの方だ。
その判断は間違いではない。
「だが、そんな俺ばかりに注目して大丈夫か?」
「…ッ!」
ネロの言葉にアンテノーラはハッとなる。
ウェルギリウスが居ない。
先程までネロの傍に居た筈なのに、意識を外している間に居なくなった。
「ッ! 上ッ!」
見上げると天井に蜂を模したマークが浮かんでいた。
アンテノーラが気付くと同時に、そこから剣を振り上げたウェルギリウスが現れる。
両手で剣を握り締め、全体重を乗せた一撃。
それを防ぐ為にアンテノーラは尾を動かそうとした。
「残念。そっちはもう貰った」
悪童染みた笑みを浮かべたネロが言った。
アンテノーラの長く巨大な尾は、底なし沼のような影に引き摺り込まれていた。
強引に振るえばまだ脱出できるが、それでは間に合わない。
「や、やめ…」
「魔を絶て…『アイネイアース』」
純白の刃が、魔王を両断した。
断ち切られた身体から血が噴き出し、魔素が吹き荒れる。
背から伸びていた巨大な尾がドロドロと溶けていき、消滅した。
残ったアンテノーラの肉体も、段々と崩れていく。
「わ、わた、し…! わた、私は…!」
美貌が失われていく。
力が失われていく。
アンテノーラの手に入れた全てが、消えていく。
「嫌、だ…! 嫌だ…ァ!」
ドクン、と切り裂かれたアンテノーラの心臓が強く脈打つ。
それと同時に、肉体の崩壊が止まった。
「…眷属の命を吸って崩壊を止めたか。つくづく醜悪な生き物だ」
寄生虫を見るような顔で、ウェルギリウスが呟く。
「だが、悪足掻きもそれまでだ」
肉体の崩壊こそ止まったが、未だにアンテノーラは瀕死だ。
ウェルギリウスの剣は悪魔の魔爪を切り裂く。
アンテノーラの脳と心臓を両断した時に、その能力も既に斬っている。
それでも生きている生命力と執念だけは驚嘆に値するが、悪足搔きに過ぎない。
もう一度脳と心臓を同時に絶てば、それで終わりだ。
「失せろ」
瀕死のアンテノーラへウェルギリウスは剣を振り下ろした。
「魔爪『カラブローネ』」
瞬間、アンテノーラとウェルギリウスの間に割り込む影があった。
右手から巨大な毒針を生やし、ウェルギリウスの剣を受け止める男。
アンテノーラを守るべく、その盾となって前に立つ者。
「…この方だけは、殺させない」
その男、カルカはボロボロの体でそう告げた。




