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悪の嚢  作者: 髪槍夜昼
第二圏 アンテノーラ
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第四十二話


「私達に…愛が無いですって…!」


ギリッ、とミリオーネは歯を噛み締める。


屈辱と憤怒に顔を染め、両手を突き出した。


「アンテノーラ様の…! あの方の愛を否定したな…!」


手の平に蜂を模したマークが浮かび、同じ物が部屋中に浮かび上がる。


「魔爪『アーペ』…その能力は物体の転送!」


壁や床に浮かんでいるのは『門』だ。


マーキングした場所同士を繋ぐ門。


予めマークを付けた場所にしか転送することは出来ないが、マークに触れている相手なら問答無用で瞬時に転送することが出来る。


ウェルギリウスの作戦を崩壊させたミリオーネの能力だ。


「あなたの五体を! 全てバラバラに転送してあげましょう!」


部屋中に仕込んだマークを全て同時に使用すれば、そう言う使い方も出来る。


血を流し過ぎたアリキーノはもう逃げられない。


「………」


「…なんなのよ。何で、私をそんな目で見ているのですか…!」


既にミリオーネはアリキーノの命を握っているのに、アリキーノは顔色一つ変えなかった。


ただ憐れむような目で、ミリオーネを見ていた。


「…君は、本当にアンテノーラが好きなのか?」


「当たり前でしょう! 私はあの方を愛している! その気持ちは、あの鬱陶しいカルカにも誰にも負けていません!」


「君はアンテノーラの能力を知っていたのだろう?」


「ええ、そうですよ。アンテノーラ様に愛を捧げる奴隷となる力。寵愛を受けるに相応しいと思った相手には私が蜂蜜酒ミードを送りました」


「………」


「大抵の者は抵抗しましたが、最後にはアンテノーラ様の愛に屈しました。それでいいのです。あの方の愛を拒絶するなんてあってはならないことなのですから…!」


恍惚とした表情で語るミリオーネ。


己を何よりも優先する悪魔でありながら、己よりもアンテノーラを愛している。


酩酊するように愛を語るミリオーネの姿を見て、アリキーノは確信した。


「それだけ分かっていて、どうして君は…自分が洗脳されている(・・・・・・・・・・)と思わないのか」


「……………え?」


ぶわっ、とミリオーネの顔から冷や汗が吹き出した。


洗脳? 自分が?


「ば、馬鹿なことを言わないで下さい! 私は正気です! 私は自分の意思でアンテノーラ様を…」


「…蜂蜜酒ミードを口したことは無いのか?」


「それは、ありますけど…で、でも…だって…!」


ガラガラとミリオーネの心が壊れていく音が聞こえた。


自分の信じていた物が、何よりも大切だった物が、跡形も無く崩壊する。


他者に指摘されて初めて感じる違和感。


自分と他の奴隷と何が違う?


アンテノーラの愛に酔い、己の愛を捧げる姿は傍から見れば全く同じだ。


目を付けた者に蜂蜜酒ミードを飲ませ、次々と洗脳していたように。


自分もまた、誰かに蜂蜜酒ミードを飲まされたのでは…


「―――ッ!」


苦し気に頭を抱えたまま、ミリオーネは逃げるように姿を消した。








「…拍子抜けだな」


倒れ伏すネロを見下ろしながら、カルカは呟いた。


「トロメーアを殺した悪魔。もう少し苦戦すると思っていたが」


ただの一突きで勝負がつくとは思わなかった。


今は四肢が麻痺しているだけだが、いずれ毒は全身に回る。


そうなれば心臓が止まり、死に絶える。


あまりにも呆気ない。


「…悪いがお前が毒で死ぬのを待つ時間も惜しい。他にも予定が多いのでな」


カルカは手から毒針を生やしながら告げる。


放っておいてもネロは毒で死ぬが、わざわざそれを待つのも無駄な時間だ。


既に身動きが出来ないネロの心臓を突き、止めを刺す。


「…他に、予定だと…?」


「他のヴェンデッタの始末だ。ミリオーネに散らさせたが、残りは俺が始末する」


「………ビーチェも、か?」


「ああ、その通りだ」


「………」


ドクン、とネロの心臓が強く脈打つ。


その言葉がトリガーだったように、麻痺していた全身が自由となる。


「なら俺がこんな所で寝ている訳には、いかないな…!」


立ち上がると同時に影が伸び、無数の刃となってカルカを襲う。


「チッ…」


舌打ちをしながらカルカは針でそれを弾いた。


「“スパーダ”」


短い言葉と共にネロの手の中に黒い剣が出現する。


影のように黒一色の剣をネロは片手で軽々と振るった。


カルカは後方に飛び退いて影の剣を回避する。


「“ピストーラ”」


グニャグニャと剣が歪み、銃へと形を変える。


銃身も銃弾も、銃口から噴き出す火花まで黒い影の銃。


驚く隙すら与えず、放たれた弾丸がカルカの足を貫く。


「ッ…」


「“ファルチェ”」


僅かに足が止まったカルカの隙を突くように、影は再び形を変える。


影絵のように変幻自在に形を変える影が、巨大な鎌となってカルカへ振り下ろされた。


カルカの左腕が斬り飛ばされ、鮮血が宙を舞った。


「………」


失った左腕を抑えながら、カルカは無言でネロを睨む。


「ビーチェの名が出た途端に、力が増大したな。俺の毒も既に解毒したようだ」


つい先程までのネロは魔王の眷属にも劣るような力しか感じられなかったのに、今では魔王を相手にしているような感覚だ。


成長や進化と言うには急激すぎる変化。


ご都合主義の英雄のようだ。


「愛の力ってやつだ」


「…は」


ネロの言葉にカルカは失笑を浮かべた。


愛。


アンテノーラの眷属間でその単語を聞かない日は無い。


誰もがアンテノーラからの愛を信じ、己の愛をアンテノーラへ捧げる。


その一員であるカルカは、仮面の下で顔を歪めた。


「憐れだな。お前はまだ気付いていないのか?」


「…何の話だ?」


「お前の語る愛は、アンテノーラ様の眷属が語る愛と同じだ。己の全てを捧げる愛。狂信者の愛」


忠義と言えば聞こえは良いかもしれないが、そんな物は奴隷と変わらない。


己よりも主人の方が大切。


己の全てを犠牲にしてでも、主人を守る。


それほど尽くす理由など、自分でも分かっていないのに。


「自覚しろ。お前も洗脳されて(・・・・・・・・)いるのだよ(・・・・・)、ビーチェと言う女に」


カルカは確信を以て、そう告げた。

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