第三十九話
「ようこそ。歓迎するわ」
スティージュの一室。
高級感漂う部屋の中に、ウェルギリウスとネロは招かれていた。
客人の二人に笑みを浮かべながら、アンテノーラはゆったりと椅子に座る。
「………」
(この女が、アンテノーラか)
ネロは観察するようにアンテノーラの顔を見つめた。
トロメーアと同格の魔王だが、彼のように他者を圧倒するような威圧感は無い。
無垢な少女のように小柄な体つきをしており、とても千年を生きた魔王には見えない。
トロメーアが濃い血の匂いを放っていたとすれば、こちらは甘い蜜の匂いを纏っている。
対峙しているだけで、まるで花畑の中に居るような気分を覚える相手だった。
「………」
だが、それだけではない。
綺麗な薔薇には棘があるように、鮮やかな植物には毒があるように。
ただそれだけではない底知れなさが感じられた。
「それにしても、たった二人だけで来るなんてね」
紅茶を飲みながら、アンテノーラは少し不満そうに言う。
「パーティーの招待状には人数制限なんて無かった筈よ? どうせなら皆で来れば良かったのに」
そう言って不服そうに頬を膨らませる姿は、幼い少女のようにしか見えなかった。
じろり、と拗ねたような表情で二人の顔を見つめている。
「パーティーは人数が多いけば多いほど楽しい物でしょう?」
「…随分と、こちらを気に入ってくれているようだな」
ネロは思わずそう呟いた。
「わざわざ護衛を離してまで、こうして会談の機会を与えてくれるなんて思わなかった」
言いながらネロは扉へと視線を向ける。
この場に居るのは三人だけだ。
ネロとウェルギリウス、そしてアンテノーラだけ。
彼女の眷属は部屋の外に居る。
「私はね、常々悪魔には『愛』が足りないと思っているのよ」
「…愛?」
「そう、愛」
紅茶の中に蜂蜜を垂らしながらアンテノーラは笑みを浮かべる。
「誰かを愛さなければ、誰からも愛されない。当然の話よね? だから私は眷属達を愛しているし、眷属達も私を愛してくれている」
「…もしかして、護衛を離したのは俺達のことも愛しているから、って言いたいのか?」
「あなた達は私を信じてここまで来てくれた。だから私もその信頼に答えないとね」
「………」
ネロはどこか困ったような顔を浮かべた。
同じ魔王でもトロメーアとは随分と違う。
これを本心から言っているのだとすれば、どれだけ楽観的な魔王なのだろうか。
「それで? 私に秘密の話があったからカルカ達を離したんじゃないの?」
「………」
「私と楽しくお茶会がしたかっただけなら、別に私はそれでもいいけれど」
ニコニコと笑いながら、アンテノーラはテーブルに並べられたティーカップを指差す。
未だ椅子にも座っていない二人に自慢の紅茶を促していた。
予想以上に好意的な態度に面食らいつつ、ネロは口を開く。
「チリアット、と言う悪魔がいるだろう?」
「ええ。新しい私の眷属よ。それがどうしたのかしら?」
「あの子は元々俺達の仲間だったんだ。あの子の恋人だって、ヴェンデッタに居る。だから…」
「嫌よ」
ネロの言葉を遮り、アンテノーラは告げた。
それまでの態度が嘘のように冷たい声だった。
「チリアットはもう私の眷属、私の家族よ。私の下を去ることは認めないわ」
アンテノーラはお気に入りの玩具を取られそうになった子供のように言う。
「仲間? 恋人? そんなこと私は知らない。私の眷属になれば、もう過去なんて関係ないわ」
「…なるほど」
「納得してもらえたかしら? もし、その恋人も私の眷属になりたいと言うのなら…」
「お前もトロメーアと変わらないな」
今度はアンテノーラの言葉を遮るようにネロは言った。
そう、変わらない。
態度や雰囲気こそ違うが、本質的には同じだ。
愛や優しさを口にしても、暴力と恐怖で支配していたトロメーアと同じ。
眷属を己の所有物としか思わない傲慢さは、何も変わらない。
「…この私が、あの欲深いトロメーアと同じだと?」
「その通りだ。だからこそ、俺達はお前を倒さなければならない」
ネロが影の中から剣を生み出す。
それと同時に無言で成り行きを見守っていたウェルギリウスも純白の剣を握った。
「…俺は最初から話し合う余地はないと言った筈だ」
「まあまあ、相手が外道だと分かってから戦う方が迷いが無くなって良いだろう?」
「相手のことを非難する資格は、俺達にも無いがな」
言いながらウェルギリウスは懐から出した道具のスイッチを入れた。
瞬間、部屋の扉が緑色に光る壁のような物に塞がれた。
「出入口は封じた。これでお前の眷属はここへ来れない」
「そして…」
それを合図に部屋の中で景色が揺らぐ。
空間に色を塗るように、次々とヴェンデッタの面々が出現する。
気配も姿も魔道具で消していたが、最初から彼らはこの部屋の中に潜んでいたのだ。
ネロ達は最初から二人だけではなく、他の者達と共に来ていた。
それぞれが魔爪と魔道具を構えてアンテノーラを取り囲んだ時、屋敷が揺れた。
「別働隊も動き出したみたいだな。今頃、眷属共はそちらに気を取られているだろう」
「…最初から、私を殺すつもりでここへ来たの?」
感情の読めない顔でアンテノーラは訊ねる。
怒っているのか悲しんでいるのか、その眼は真っ直ぐネロとウェルギリウスを見つめている。
「お前の能力は知っている。眷属の強化。サポートに特化している故に、お前自身はトロメーアほどの力を持たない」
純白の剣を向けながらウェルギリウスは断言する。
直接会った経験は無かったが、長い歴史の中でアンテノーラの情報も集めている。
アンテノーラが眷属を大切にして傍に置くのは他の魔王に比べて弱いから。
巨大な巣を支配する女王蜂のように、兵隊蜂に力を与え、自身を守らせているのだ。
「…二つ、間違いを指摘してあげる」
アンテノーラは囁くように言った。
「一つ目、確かに私の能力は眷属の強化だけれど、それは私自身があなた達より弱いと言うことの証明にはならない」
ゾクリ、とネロの背筋に悪寒が走る。
放たれるのはトロメーアにも劣らない量の魔素。
息苦しくなる程の魔素が部屋中を覆い尽くし、眩暈がした。
「それから二つ目、私の眷属を、この程度で出し抜けたと思わないことね」
その時、部屋の床が眩い光を放った。
床に浮かぶのは蜂をモチーフにしたようなマーク。
幾つも浮かび上がるそれに触れた者達が、次々と姿を消していく。
伏兵として隠れていたヴェンデッタの面々も、ネロさえも。
「…さて、残ったのはあなた一人ね」
唯一その場に残されたウェルギリウスを見つめながら、アンテノーラは笑った。
「あなた達は私の愛を裏切った。その報いは、受けてもらうわよ」
「何だったんだ、今のは…?」
光に触れ、姿を消したネロは見たことも無い場所に居た。
恐らくは屋敷のどこかなのだろうが、周囲は暗く何もない。
「ここは一体…?」
「ここはゴミ処理場だ」
ネロの言葉に答える声があった。
薄暗い闇の中から現れるのは雀蜂を模した仮面。
アンテノーラの眷属、カルカだ。
「お前達の企みなど分かっていた。だからミリオーネの能力でお前達をバラバラに転送した。引き離した先で各個撃破出来るようにな」
「………」
「そしてお前の相手は俺だ…言うべきことは以上だ」
カルカは右手を上げる。
その人差し指と中指が黒曜石のように硬質化し、長く鋭い爪となる。
「俺は喋ることが嫌いだ。さっさと死ね、ヴェンデッタ」




