第三十七話
ウェルギリウスの最終決定により、ヴェンデッタはアンテノーラと戦うことを決めた。
しかし、流石にすぐにアンテノーラの領地へ攻め込むのは自殺行為だ。
少しでも勝算を高めるべく、様々な準備が行われた。
新たに加わったばかりの元トロメーア眷属達との合同訓練。
魔王の領地から入手した魔道具の配布。
戦いの準備は着々と進んでいた。
「ん…?」
忙しく走り回る面々の手伝いをしていたネロは、自身に向けられた視線に気付き、首を傾げた。
大量の魔道具を持ったまま振り返ると、そこにはアリキーノだった。
ネロと同じく、何かの荷物を持ちながらネロの隣に並ぶ。
「…ありがとう」
「何の話だ?」
「チリアットの件だよ」
隣を歩きながらアリキーノは呟く。
「君が賛成してくれなければ、きっとチリアットは見捨てられていた」
アリキーノは顔を悲痛に歪めた。
それを横目で見ながら、ネロは息を吐く。
「ウェルギリウスも、あそこまで冷たい奴だとは思わなかった。言ってること自体は正しいのかもしれないが、少しは情とか無いのか?」
「…君は本当に変わり者だな」
ウェルギリウスを非難するようなネロに、アリキーノは苦笑を浮かべた。
やはりネロはチリアットの為に庇ってくれた。
ウェルギリウスが納得するように言葉を選びつつ、チリアットを救いたいと願うアリキーノの味方となってくれたのだ。
「…ウェルギリウスは正しいよ」
「はぁ? お前まで組織の為にチリアットを犠牲にしろとか言うのか?」
「違う。そうじゃないんだ。リスクとか理屈とかじゃない」
後悔するような表情で、アリキーノは吐き捨てる。
「オレは、ウェルギリウスの言葉を否定できなかった。チリアットを取り戻したいと言いながらも、命を懸ける程ではないと思っていた」
ウェルギリウスはアリキーノの本心を見抜いていたのだ。
アリキーノにとってのチリアットは、命を懸ける程の存在じゃない。
愛だの恋だの口にするが、結局一番大切なのは自分自身。
死ぬと分かっていながら、チリアットの為に戦うことなど出来ない。
だからこそ、ウェルギリウスはアリキーノの懇願を切り捨てた。
それが本心では無いと気付いていたから。
「オレ達は悪魔だ。最も大切なのは自分の命。恋人や家族なんて存在も、結局は自身の欲を満たす為の存在に過ぎないんだ」
家族を愛する悪魔は居るだろう。
だがそれは、孤独を嫌い、他者と繋がることを望んでいるだけ。
孤独を恐れる己の為。
「…ネロちゃん。もし仮に、奪われたのがビーチェちゃんだったら、君はどうする?」
「言うまでもないだろう。アンテノーラの領地で乗り込んで、ビーチェを救い出す」
「例え、ヴェンデッタが誰も味方しなかったとしても?」
「無論だ」
「…やっぱり、君は変人だよ」
アリキーノは呆れたように笑みを浮かべた。
この言葉は嘘ではない。
事実、ネロはビーチェの為にトロメーアと戦った。
その命を落とすまで、ビーチェを守り続けた。
それは異常だ。異端だ。
だけど…
「…オレっちは、君が羨ましい」
そう、この感情は羨望だ。
アリキーノがネロに対して抱いていた苛立ちに似た感情。
その正体は羨望。そして嫉妬だった。
ネロがビーチェへ捧げる愛。
それを目にした時から、アリキーノは自分が口にする愛が酷く陳腐な物に見えるようになった。
弱肉強食の魔界で他人の為に生きるなんて正気では無い。
そう思う心はあるのに、憧れる心を捨てられない。
それは変化だった。
ネロと関わることで起きたアリキーノの変化。
「…オレっちだけでは、無いのかもしれない」
アリキーノは周囲を見渡す。
忙しく走り回るヴェンデッタの面々の顔には、不安と心配が浮かんでいた。
魔王を恐れているのではない。
魔王の下に奪われたチリアットの身を心配しているのだ。
「………」
ウェルギリウスがアンテノーラと戦うことを決定した時、反対する者は一人も居なかった。
誰もがチリアットを助けるべく、魔王と戦う道を選んだ。
確かにチリアットは皆から好かれていたが、それでも迷いなく魔王と戦うことを選べる程ではなかった。
元々ヴェンデッタは魔王に対する復讐心だけで集まった組織だった。
それが少しずつ変化してきている。
悪魔らしからぬ『仲間意識』と言う物が芽生えつつあるのだ。
全ての始まりはアリキーノの目の前に居る男が原因だろう。
自身の命を投げ出してビーチェを守り、そして魔王を滅ぼした姿を誰もが見ていたのだ。
「オレっちも、君のようになれるかな?」
「…俺のようになる必要はないさ。ただ、チリアットを助けてやればいい」
ネロは不敵な笑みを浮かべた。
「大切な子なんだろう?」
「…ああ、その通りだ」
自分の命より大切、とまではまだ断言することが出来ない。
それでも、彼女の笑顔を、彼女の明るさを、愛していることは変わらない。
大切なのだ。間違いなく。
「…何これ?」
同じ頃、別の場所で準備を手伝っていたビーチェは思わず声を上げた。
他の者に言われて魔道具を取りに来たのだが、肝心の荷物が無い。
代わりに、地面に転がる赤い物体があった。
「ZZZZZZ……んん?」
大きないびきをかいていたその物体が、ゆっくりと起き上がる。
よく見ると、それは赤い髪の男だった。
ボサボサとした赤髪、伸び放題の赤髭。
目元には濃いクマが刻まれており、常に眠たげな眼をしている。
背は高いが、かなりの猫背で身長自体はビーチェとそう変わらない。
自身を包むように赤い翼を体に巻いているが、何故かそれは片方しか無かった。
「………」
悪魔には翼がある。
空を飛翔する為の物だが、本人の意思で消すことも出来る。
普段は邪魔なので消しているのが普通だが、片翼だけ出している悪魔など初めて見た。
「あなたは、誰?」
ビーチェは警戒しつつそう訊ねた。
「オジサン? オジサンの名は、ルビカンテ」
「ルビカンテ? ヴェンデッタでは見たことが無いけど、何者よ?」
やけに緊張感の無い様子のルビカンテに対し、ビーチェは睨みながら告げる。
その言葉を聞き、ルビカンテは小さく息を吐いた。
「まるで不審者を見るような目つき。若い子にそんな目を向けられたらオジサン、傷付くわぁ。オジサンこう見えてもヴェンデッタの古株だってのに」
「ヴェンデッタの古株? 本当に?」
「もしかして君って新人の子? 出張ばっかりで中々家に帰らないから忘れられるのかしらねぇ」
そう言ってルビカンテは深いため息をついた。




