第二十五話
「『オンブレ・チネージ』」
影から武器を作り出し、ネロはトロメーアへと立ち向かう。
恐れすらなく自身を睨みつけるネロの殺気に、トロメーアは笑みを浮かべる。
「忘れた訳じゃないだろう? お前は一度俺に殺されているんだぞ?」
トロメーアの背から青白く揺らめく巨人の腕が出現した。
それは形を変えたトロメーアの魂そのもの。
あらゆる物質を透過し、生物の魂を直接削り取る霊体の腕。
「さあ、お前の魂を削り、潰し、もう一度殺してやろう!」
「ッ…!」
ネロの頬に冷や汗が浮かぶ。
トロメーアに殺された記憶が蘇り、手が僅かに震えた。
嗜虐的な笑みを浮かべ、トロメーアはその腕を振るう。
「おっと! オレっちを無視して話を続けるなよなー!」
二人の会話を遮るように、陽気な声が響いた。
声と共に無数のシャボン玉が周囲を埋め尽くす。
「アリキーノ!」
「今回、君はヴェンデッタの一人として戦っているんだ。当然、オレらも手を貸すさー!」
パイプを咥えながらニヤリと笑うアリキーノ。
彼だけではなく、他のヴェンデッタのメンバーも動き出していた。
トロメーアを取り囲むようにそれぞれ己の武器を構えている。
「さて、まずはオレっちから行くかー!」
パチン、とアリキーノは指を鳴らした。
それを合図に、無数のシャボン玉が破裂する。
否、より正確にはそれはただのシャボン玉では無かった。
一見、宙に浮かぶシャボン玉のように見えたそれは、水の塊。
無重力空間で水が球状になることと同じように、何らかの力で球体で固定化された水だった。
それは弾けたことで形無き水へと戻り、トロメーアの周囲に撒き散らされる。
「纏われ!」
アリキーノの言葉と共に、水はトロメーアの体へと纏わりく。
まるで水飴のように粘着性を持ったそれは、トロメーアの全身を覆い尽くす。
「!」
「オレっちの『スキューマ』は水を操る能力だ。そう言うと、そこまで強そうには聞こえないかな?」
水はトロメーアの顔にも纏わりつき、鼻も口も呼吸の一切を封じる。
形が無く、流体である為、水は壊すことも裂くことも出来ない。
「少量の水でも、生物を容易く殺すことが出来る。水は、自然界で最もありふれた凶器なんだよ」
「…は」
呼吸を封じられたまま、トロメーアの顔に笑みが浮かんだ。
瞬間、トロメーアの顔を覆っていた水が独りでに剥がれ、地に落ちた。
「水遊びか? この程度で魔王が殺せるとでも?」
トロメーアの指先から青白い光が浮かぶ。
その光はトロメーアの魂の欠片。
魂の欠片を水に憑依させることで、トロメーアはそれを引き剥がしたのだ。
「思っていないさ…装填」
アリキーノは焦ることなく、腰に下げていたカラフルな銃を取った。
玩具のようなそれに、水泡を装填する。
「水遊びの次は水鉄砲かァ?」
「その通り、だよ!」
銃口を向け、アリキーノは引き金を引いた。
カチリ、と軽い音を立てて水の弾丸が放たれる。
「な…!」
その威力は、トロメーアの想像を超えていた。
撃ち出された水の弾丸はトロメーアの胸部に命中し、肉も骨も抉り取って貫通した。
ぽっかりと空いた胸部から赤黒い血が零れる。
「ただの水鉄砲と侮るなかれ。水圧を弄れば、水は鉄すら貫くことが出来るんだよ!」
「チッ…」
貫かれた傷口を抑え、トロメーアは大きく舌打ちをした。
想定外のダメージにアリキーノから距離を取ろうとする。
「隙あり、だ」
その背後から声が聞こえた。
トロメーアの影から姿を現したネロが、右手に握られた剣を振るう。
「―――」
鎌鼬のように放たれる影の斬撃。
それはトロメーアの全身をバラバラに切り裂き、血溜まりに沈める。
首も腕も足も、全てが解体された肉片となったトロメーア。
「…く、はは」
しかし、それでもトロメーアの顔には笑みが浮かんでいた。
地に転がっていた首が独りでに浮かび上がり、ネロへ視線を向ける。
「俺の体をここまで傷付けるとは中々やるなァ。だが、全て無意味だ」
バラバラになったトロメーアの体が次々と浮かび上がり、元の形へと戻っていく。
最早悪魔の再生力を超えた現象だった。
「言った筈だ。この体はバルバリッチャの物。それに俺は魂を憑依させ、操っているだけに過ぎないと」
この体は単なる人形に過ぎないのだ。
埋め込まれたトロメーアの魂が無事である限り、何度でも蘇る。
心臓を貫こうと、頭部を潰そうと、元通りに修復して動き続ける。
「残念だったなァ。お前達に俺は殺せない」
酷薄な笑みを浮かべ、トロメーアは告げた。
魔王の不死性を。
数多の悪魔では届くことの無い魔王の力を。
「そんなことは、初めから知っているよ」
「…何?」
アリキーノの言葉に、トロメーアは訝し気な顔を浮かべた。
絶望的な状況を理解していないかのようなアリキーノは笑みすら浮かべて続ける。
「君の能力は魂の分割。魂の欠片を他の物体に憑依させることで、それを操る」
バルバリッチャの肉体もそれと同じだ。
瓦礫と同様に、魂の欠片を埋め込むことでまるで生きているかのように動かしていた。
「ならば、分割した魂の残り。その本体はどこにある?」
「そうか…!」
ネロはアリキーノの言葉の意味に気付く。
ここに居るトロメーアが偽物だと言うのなら、どこかに本体が居る筈。
己の魂を分割し、ビーチェの父やバルバリッチャの体に欠片を埋め込んだ魔王トロメーアが。
「…まさか」
トロメーアは視線を周囲へ巡らせた。
いない。
他のヴァンデッタのメンバーは全て居るのに。
ウェルギリウスの姿が無い。
「オレらは囮さ。既にボスは本拠地へと向かっている」
魔王トロメーアの本体が居るだろう、その場所に。
「………」
同時刻、マーレボルジェ西方『フレジェトンタ』
煮え滾る血の河に浮かぶ古城の前に、ウェルギリウスは立っていた。
塩の柱を削り出したような純白の剣を握り、ゆっくりと古城へと近付いていく。
「『バレーノ』」
「!」
瞬間、ウェルギリウスの頭上から五本の落雷が降り注いだ。
咄嗟に身を退いたウェルギリウスの目の前の大地が焼け焦げ、土煙が巻き上がる。
「お前が、ヴェンデッタか?」
荒波のように逆立った金髪の男は訊ねた。
振り上げた右手には五本の紫電が迸っている。
雷の爪を持つ悪魔。
魔王トロメーアの眷属、グラッフィだった。
「…別働隊はウェルギリウス一人か」
トロメーアは口元に嘲笑を浮かべた。
「たった一人で俺の眷属を全て相手するつもりか?」
ヴァンデッタの作戦を聞いた時には僅かに驚いたが、その内容はあまりにもお粗末だ。
トロメーアの足止めにウェルギリウス以外の全戦力を配置したのは良い判断だが、それでウェルギリウスが単騎でフレジェトンタを攻めることになっては意味が無い。
フレジェトンタには多くの眷属が居る。
トロメーアの本体を動かさなくとも、眷属達を一人で倒すことなど不可能だ。
「全てを相手する必要はないさ」
そう言って、アリキーノはポケットからピアスを取り出した。
純金で出来たそれをトロメーアに見せつけるように揺らす。
「…?」
(アレは、どこかで…?)
何故か、トロメーアはそれに見覚えがあった。
純金のピアス。
それを身に着けていたのは、確か…
『悪いな、魔王様』
その時、バチバチとピアスから紫電が放たれ、声が響いた。
トロメーア達が使っている通信機に似た現象。
魔力の代わりに電波を用いて、声を送っている。
『アンタの思想には心から共感する。弱肉強食。強ェ奴は弱ェ奴から何を奪っても良い。全くその通りだと俺は思う』
「…グラッフィ」
『だがなァ…』
通信機越しにグラッフィの声色が変わる。
その声に、煮え滾るような憤怒が宿る。
『俺は弱者じゃねェ! いつまでもアンタに支配されるのは我慢ならねェんだよォ!』
グラッフィはトロメーアの眷属だが、バルバリッチャのように心は折れていなかった。
彼の下で力を蓄え、静かに反逆の機会を狙っていたのだ。
そんな時、トロメーアからヴェンデッタの話を聞いた。
魔王打倒を掲げる組織。
その存在を知った時から、グラッフィの心は決まっていた。
『俺はこっちの側につく。文句は、ねェよなァ?』
「ッ」
それは起こるべくして起きた事態だった。
眷属に欲望のままに生きろと告げながら、力で支配し続けていた矛盾の結果だ。
己こそが最強と信じる乱暴者達が、自分を支配する存在に不満を抱かない筈がない。
反逆の時は来た。




