第十四話
『ははははははははははは!』
その夜のことは、今でも鮮明に覚えている。
例え百年の時が経とうとも、忘れることは無いと言う確信がある。
血溜まりに沈む母の姿。
それを見下ろし、狂ったように笑う父の姿。
『父、さん…?』
『んん? 何だお前は?』
父の顔をしたその男は、訝し気に呟いた。
まるで初めて見るかのようにジロジロとビーチェの顔を見つめ、それから自身の頭に手を当てる。
『…ああ、そうか。そうだったな。お前は娘か! この俺の…トロメーアの娘!』
トロメーア、とその男は口にした。
父は、そんな名前では無かった。
そんな風に笑うことも無かった。
ビーチェの父親は無口だが、とても優しい男だった。
いつも家族を大切にしてくれる、大好きな父親だった。
その筈なのに。
『さて、お前の母は現実に耐え切れず、自ら命を絶った…』
悪魔らしい残酷な笑みを浮かべて男は言った。
『お前はどうする? どんな未知を見せてくれる?』
「感動の再会だなァ、ベアトリーチェ」
「…ッ」
トロメーアの言葉にビーチェは苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべる。
聞き覚えの無い名前にネロは思わず、ビーチェの顔を見た。
「…私の本名。ビーチェは愛称よ」
心から嫌そうに説明するビーチェ。
「私のことはこれからもビーチェと呼んで。あんな男が付けた名前なんて、二度と名乗る気は無いから」
吐き捨てるようにビーチェは言った。
それはビーチェの決意の表れだった。
己と母を裏切ったあの男に対する反抗心。
もう奴を父親とは思わない。
だからこそ、奴から与えられた名前は復讐を決意した日に捨てたのだ。
「悲しいなァ。家族は仲良くするものだぞ?」
「…お前が…それを、言うのか…!」
ざわざわとビーチェは殺気立つ。
その憎悪に呼応するように影が蠢き、弾ける。
「母を殺した、お前が…!」
ビーチェの殺意を具現化したような影の狼がトロメーアに襲い掛かった。
普段よりも凶暴で、普段よりも速い獣が牙を剥いて喰らい付く。
「俺が殺した訳じゃねえだろう?」
パチン、とトロメーアは指を鳴らした。
瞬間、獣を圧し潰すように瓦礫が空から落下してきた。
「アレは不幸な事故だったのさ。俺だってまさか、アイツが自殺するなんて思わなかった」
ビーチェの怒りを煽るように笑みを浮かべながらトロメーアは言う。
「過去は水に流し、仲良くやろうじゃないか。ベアトリーチェ」
トロメーアは瓦礫に触れる。
すると、瓦礫から重さが失われたかのようにふわふわと宙に浮かんだ。
「ほらよ、キャッチボールだ! 受け取れ!」
指で弾くと同時に、瓦礫は勢い良くビーチェへと向かう。
大質量の投石。
それはまるで隕石のように、ビーチェの体を圧殺する。
「『オンブレ・チネージ』」
だが、瓦礫はビーチェに触れる直前に空中で切断された。
真っ二つに切り裂かれた瓦礫の向こうから、影の剣を手にしたネロが現れる。
「娘に会いに来た、と言ったな。殺しに来たの間違いでは無いか?」
今の一撃、ネロが防がなければビーチェは間違いなく死んでいた。
遊び半分のような攻撃で、トロメーアは躊躇いなく実の娘を殺そうとしたのだ。
「殺す気なんてねえよ。すぐに死んでしまったら、俺がつまらないだろう?」
当然と言うように、トロメーアは告げる。
「この程度で死ぬのなら、生かした価値も無い。退屈させるなよ、ベアトリーチェ」
トロメーアの興味は未だビーチェにあるようで、愉し気に見つめていた。
あまりにも傲慢な言葉だった。
自分以外の全ては、己を愉しませる為の玩具に過ぎないとでも言うように。
「トロメーア…!」
拳を握り締め、ビーチェは叫ぶ。
許せない。絶対に。
自分達を玩具のように弄ぶこの男が。
頭では勝てないと理解している。
だが、それでも…
「君の敵は、俺の敵だ」
怒りに震えるビーチェを庇うように、ネロは前に出る。
その表情は険しく、トロメーアを睨みつけていた。
「下がっていろ、ビーチェ。奴は俺が殺す」
殺意と憎悪に満ちた顔で、ネロは告げた。
目の前に立つ魔王を殺すと。
「…聞き間違いか? 今、俺を殺すと言ったのか?」
「そう言った」
「………」
ぱちくり、とトロメーアは細い目を開いて、瞬きをした。
心底驚いたかのような顔を浮かべると、次第に表情を変えた。
「はは」
それは笑みだった。
ビーチェと再会した時と同じくらい、心から楽しそうな笑みだ。
「はははははははは! 俺を前にして、そんな言葉を吐いた奴はいつぶりか! 良いなァ! 新鮮な感覚だ! 最高に面白いぜ、お前!」
長き生に飽き、未知に飢えた魔王は嗤う。
魔王殺しを望む悪魔など、ここ百年は現れなかった。
しかも、トロメーアと対峙しながらそんな啖呵を切れた者など、今までにいただろうか。
「良いぞ! 逆らうことを許す! 全霊を尽くしてこの俺を殺してみるがいい!」
ドン、と地を蹴るとトロメーアの体が宙に浮かぶ。
同時に、周囲の瓦礫が次々と浮遊し、虚空に浮かぶトロメーアの周囲を漂い始めた。
(…物体を、浮遊させる能力…か?)
ネロは宙に浮かぶトロメーアを見上げながら、その能力を推測する。
物体の重量、質量に関わらず重力を奪い、自由自在に浮遊させる能力だろうか。
空中浮遊と聞くと危険度は低そうだが、トロメーアは悪魔すら圧し潰せる質量の瓦礫を自在に操ることが出来る。
(…いや、思い込みは良くないな。相手は魔王だ)
ただ物体を浮遊させるだけの能力と思い込んでいれば、致命的な失敗をするかもしれない。
敵は魔王。四大魔王の一人。
常に警戒しておくべきだろう。
「では行くぞ。呆気なく死んで、がっかりさせるなよ?」




