2《自業自得の箱の中》
殺風景な監禁室のベッドの上で足を崩しながらあたりを見回して、天井に向かって媚びた女の口調を使った。
「ねえ、私は今日お風呂に入れるのかしら、監視人さん?」
頭の隅で理性が、おどける自分を冷ややかに見下ろす。家族や同級生が聞いたなら、軽蔑から思わずふきだすような、私という人格に似つかわしくない言動だからだ。しかし、いいのだ。これは似合わない口調を楽しむ遊びなのだから。
ああ……、なんて、開き直ればこの世界は愉快なのだろう。
入学式を終えて学校生活を知るように、この頃になって私もようやく知ることができた。押しつけられた常識を放り投げる覚悟ができたなら、この世界でも遊べる方法は多い。例えば、可哀相な子供たちを楽しませるためのボランティア活動で、冗談のような色彩と形状のワンピースを平然と着て、誰にでもにこやかにやさしくふるまうのだ。ボランティア好きの大人たちから「市長のお嬢さんは、おきれいねえ」などと褒められたら、相手の期待通りにはにかんでみせて。
……。
不思議なのは、そうしたときに自分の中が気持ち良いくらい空っぽなことだ。よく晴れた日に、家中の窓と扉を開けはなって、畳の上で仰向けに大の字になったように。
私に不似合いなはずの口調とふるまいは、どういうわけか開き直った私によく馴染む。一度も親しんだことがないというのに、私にもオンナノコとしての才能があったらしい。
「監視人さあん? お風呂はー?」
監視カメラを見つめて反応を待つ。現実に必要に迫られるのは、お風呂よりもトイレなのだが、余裕のないさまは見苦しい。
返答がない。無視しているのか、監視モニターから離れているのか。 つまらない。あきらめて仰向けにベッドに倒れて頭を打つ。痛い。今度かたいベッドに倒れる機会があれば、頭をかばってゆっくりと倒れよう。
リズムを刻むかすかな頭痛が治まる頃、左腕を天井に真っ直ぐに伸ばしてみた。ずり下がった袖口に右手の指をかけてひっぱる。見覚えのない衣服をそうして確かめた。意識のない間に高等学校の制服から、長袖の白いTシャツと臙脂色のジャージのズボンに着せ替えられていた。まるで中学生の体操着のよう。これがこれからの私の制服なのだろう。
さて、あとはどうやって時間を潰そうか。ここでなにをしていればいいのか。なにをさせられるのか。それとも退屈が私の罰なのか。 手首の力を抜いてだらりとした腕の先を眺めていると、誰かの手が天井から伸びて、自分の手を力強くにぎるイメージが浮かんだ。私をここから引きあげて連れだす、誰か。湿った手の体温の熱さまで感じることができた。監視カメラでは、頭の中まで見張ることはできない。 不意に空想をやぶる声が降った。
「入浴は当分無理です」
二秒間の硬直のあと、現実に引き戻された私はシーツに皺を作って、くるりと身体を反転させる。
「監視モニターから離れてたの? 仕事をさぼってちゃ駄目じゃない、公務員さん」
ふざける私に、返事は冷たい。
「あなたを監視するだけが私の仕事ではありません」
「そうなの。どんな仕事があるの?」
「あなたへ答える義務はありません」
確かに監禁室から逃走する恐れのない相手を、二十四時間厳重に見張る必要はないように思える。そんな意味の薄い作業に税金から給料を受け取る誰かが一日中かかりきりになるとしたら、市民から不満が飛びだすだろう。
そうか、私を見張る誰かは、本来の仕事の合間に私を監視しているのか。誰かが書類を作成しながら、あるいは今日の予定の調整をつけながら、お昼の弁当を食べながら、私の監獄に繋がるモニターを覗いている。
ところでこの「誰か」は誰だ。
どの部署のどんな肩書きの人間がこの「箱入り」の刑罰の看守の役目を負ったのだ。
「あなた、誰」
「答える義務はないと答えたばかりです」
「鎧塚さん? それとも福祉課の伊藤さん? ……市民課の藤田さんとか? 総務部の石通白さん? 滝川さん? ……違うわね、誰も私にそんな話し方はしない」
「答えないと云ったはずです」
「ふうん……退屈なんだけど」
「自業自得でしょう」
不満にはさらりと切り捨ての言葉が返る。その無慈悲な軽さがつかの間、友達同士のうち解けた会話に似た空気を生む。
「トイレは?」
「部屋の隅に造りつけてあります。床板の一部が外れます」
「あなたはそれも見張っているの」
「そうです」
「あなた、男よね?」
「そうです」
「さっきみたいに、監視モニターから離れててくれてていいのよ?」
「離れたところで、あなたの行動はすべて録画されてあとから確認されます」
「私の人としての尊厳は?」
「殺した子供たちの尊厳について、あなたは考えましたか」
ふうん、と唇をつきだして相手の信念を吟味する。私のその態度は相手の目に反抗心の表れと映ったらしい。「不満ですか」と云う。黙っていると勝手に肯定だと解釈された。
「あなたにも一つだけ保障された権利があります」
声に硬質な怒りを含ませて、そんな言葉から指示を切りだす。おとなしく従ってベッドから一番離れた壁の一部を探ると、胸の高さでノートほどの面積の四角型を細い溝が描いているのを見つけた。なにやら仕掛けがあるらしい。その上部を押せと云う。
壁と見分けのつかないコンクリート製の分厚い扉が手前に倒れるように開く。ハードカバーの本が十冊くらい入りそうなスペースが現れた。手のひらサイズの矩形のプラスチックケースと、五百ミリリットルの水が入ったペットボトルが中央に並んで置かれている。交通事故現場のお供えのよう。
私はプラスチックケースを手にとって開いた。中身はそれぞれに色の異なる三粒の錠剤だった。手のひらのくぼみに落として、監視カメラをふり仰いだ私に声が云った。
「いつでもそれを飲みなさい」
私はうまく軽蔑を瞳で表現できただろうか。
手のひらに落としたものの正体をよく知っていた。あてつけならよくできている。
この錠剤は東第二都市では「信号」もしくは「三色」と呼ばれている。三錠がそれぞれ赤と青と黄の色をしているための俗称だ。市民が身分証明を添えて市役所に申請すれば、二日に分けて誰でも手に入れることができる。
まず一日目に黄色の錠剤が手に入る。これは市役所職員の目の前で飲み込まなくてはならない。赤色の二錠目と青色の三錠目が手に入るのは次の日だ。市役所にて前日と同じ窓口に行くと、血液検査が行われる。採血後に二十分ほど待たされて、本人の血液中に一錠目の成分が混じっていることが確認されれば、残りの二錠は持ち帰って好きな場所で飲むことができる。赤色の二錠目を飲むタイミングは、一錠目を飲んでから二十四時間から三十時間の間だ。
それで眠るように死ねるという。これは市から市民へ無料で提供される「正式自殺薬」だ。
「この錠剤が、箱の中に耐えられなくなったときにここから私を逃がしてくれるというわけ」
「そうです」
私はもう一度、ふうん、とつぶやいて錠剤を手の中で弄ぶ。
多少の個人差はあるが三十時間を過ぎれば二錠目の効果はなく、二十四時間より早ければ気分が悪くなるだけでやがて回復する。
ここまで役目のない青色の錠剤だが、これは赤色の二錠目を飲んでから十分以内に自殺の意思が失われた場合に使用される。解毒のための錠剤なのだ。前日の黄色い錠剤に続いて赤色の錠剤を飲んだ人間は、およそ十分で意識を失う。動揺による手の震えで解毒剤を飲み損ねないように、他者に付き添ってもらうことが勧められている。
私にこの錠剤が与えられるということは、私の死が望まれているということだ。東第二都市からの刑罰という形ではなく、自分の意思という形で。
私は皮肉を並べる。
「死刑制度が廃止になったのはいつだったかしら? 囚人を自殺を選びたくなるような状況へ追い込むのが、この都市での新しい死刑の形なの?」
「いいえ、あくまでも権利です」
自殺のための三錠が市役所で配られるようになったのは、自殺が公的に認められるようになった年の翌年のこと。死の選択が個人の自由と認められるのと同時に、管理された穏やかな死が求められ、それに都市が応える形で開発された。
死刑のない都市で最も厳しい刑罰を云い渡された囚人にも、最後の権利として保障されているのがこの錠剤の服用だ。そのために事実上の死刑だとの非難の声も市民の間に存在する。
それでも市役所はこの制度を守り、錠剤を本人以外へ利用されないためのシステムを考えた。それが日にちをずらしての錠剤の配布と血液検査だ。一錠目と二錠目は時間のずれを作ってこそ効果がある。同時に飲んでも、片方だけ飲んでも、順序を逆に飲んでも効果がない。そんな風に調合されている。だからひとくくりに三錠と云っても、役割に必要な分量が異なるため大きさはまちまちで、人体の中で二十四時間を過ごしたあとで二錠目の成分と結びつくと、劇的に毒に変化する一錠目は平たく一円玉ほどの大きさで、二錠目は小豆粒ほど。三錠目は大豆粒の大きさになる。自殺を口先だけで唱える者が錠剤を集めて殺人に利用しないように。
だがこの錠剤こそが、私が子供たちを殺すのに用いた毒の正体でもある。
天井の声が私に云った。
「東第二都市で自殺が公的に認められたのは八年前のことです。あなたの父親はこの制度の撤廃に心血を注いでいたようですが……。あなたのような人間は、この制度が制定されたときに死んでしまうべきだったと思いますよ。社会に害を与える前に、自分を社会から消してしまうべきだった」
心に偽りのない実に誠実な言葉だった。私はほほえんだ。
「正直ね、監視人さん」
父が自宅にこの錠剤を大量に持ち込んだのは初当選した市長職の任期が切れる年、いまから三年前のことだ。大人の事情を子供に聞かせるような人ではなかったが、市長として思うような結果がだせず、焦る父のぴりぴりとした空気は当時家庭を支配していて妹たちを怯えさせ、母の神経を細らせた。
市長という役職は子供の私からしたら都市のリーダーで、自分の意思で都市ルールを変えることが可能で、逆らう相手を抑える権力の象徴なのだが、実際はそんな単純なものではないらしい。市の職員たちは選挙で選ばれる市長を次の任期までの臨時の上司と認識して軽んじ、市議員たちは前市長や他の市長候補の派閥などに分かれて、議会での発言は議題の内容ではなく、現市長の足を引っぱることに重点が置かれたものとなる。
その中で、東第二都市のリーダーであるはずの父の意思は潰されていった。
あとになって、組織というものにいくらか詳しい様子の大人たちが父と話しているのを耳にしたが、市長職についた人間が自分の目指す市政を行うには、最初の任期だけではとても無理なのだという。右も左もわからず、まごついているうちに任期の四年が過ぎるのだと。本気で市政を変える気ならば、二期目の当選が必要なのだ。
自殺の権利の撤廃を目指しながらも叶わずに最初の任期を終えようとしていた父は、最後の年に無茶とも云える行動にでた。
自殺幇助となる自殺薬の配布に反対する団体に混じって、過激な抗議運動に参加したのだ。錠剤を保管していた施設に他の運動員と共にプラカードを掲げて正面から押し入り、錠剤のほとんどを奪って帰った。
もちろん市長であっても許される行為ではなく、市議会が紛糾する大問題となった。
それでも三ヵ月ほどで比較的穏便にことが収まったのは、父の市長としての任期の終わりが近かったためだろう。どうせこの市長は今期限りでいなくなるのだから、徹底的に潰す必要はない――
だが追求をゆるめた市議員たちの予想は裏切られ、父の行動は市政への熱意の表われと市民から評価され、次の市長選挙でめでたく父は二度目の当選を果たした。
二期目ともなれば周囲の態度も変わってくる、と父の応援者たちは喜んだものだが、結局、現在でも自殺の自由は東第二都市で守られている。
なにより、パパも自殺したし。自分で反対しておいてね。
私は廃棄前に父が自室に一時保管した錠剤から、気づかれないだろう分量をかすめとった。特殊な人間しか自殺など望まないと信じる父は、自宅での錠剤の保管に細心の注意を払わなかった。その毒薬を利用しようと考える人間が身近に存在することなど、想定もしていなかった。夕食前に妻と子供たちに軽く注意を促すと、あとはごく簡単に自分の寝室の戸棚に保管したのだ。家族なら簡単に探れる場所だった。
――どうしてこの都市はこんなことになってしまったのか。
父は妻の前でも子供の前でも他の大人の前でも、いきどおっていた。昔、東第二都市が『日本』という国の一部であった頃、自殺薬など配布されていなかった、自殺など権利として認められていなかった、と。
私は聞かされる。ことの起こりは十二年前の無差別大量殺傷事件だと。元は同じく『日本国』の一部であった東「第一」都市で、犯人である男がトラックで歩道に突っ込み次々と歩行者を跳ね、続いてトラックを降りて「俺を死刑にしろ」と叫びながら、二本の草刈り鎌をふりあげて二十人ほどの通行人に切りかかった。死刑制度が廃止される前のことだ。八人が死亡し、取り押さえられた犯人は、自分は自殺志願者であるとさえずった。
この犯人は凶行時の姿から、「カマキリ」と通り名がつけられた。カマキリさんの目のつけ所には驚く。農業復興強化地区へ行けば、そこらの水田の畦に落ちていそうなくらいお手軽な農具で、まさかそんなにたくさんの人間を簡単に殺せるなんて知らなかった。
このカマキリ事件を、東第一都市の出版社が一冊の本として出版し、世間に問いかけた。
『こうやって自分の死を望みながら、自分を傷つける勇気を持てない自殺志願者が引き起こす他人への暴力事件は、最早、公に自殺を手助けすることでしか防げないのではないのか』
模倣事件が連鎖してしまい、本は話題を呼んで、東第一都市では『本人にとって苦痛の連続でしかない人生は、本人の意思で終わらせるべきだ』との声が上がった。やがて声は大きな運動へと繋がり、その年の市長選では『自殺の自由権利』を公約にした候補が新しい市長に当選したのだ。東第一都市は、世界で初めて自殺が公的に認められる都市となった。
そして東第一都市から遅れること四年。東第二都市でも『自殺の自由』を求める声が高まり、東第一都市に倣って自殺の権利が制定されたのだ。
当時、大学教授だった父は、その新しい制度に激怒して市長選に立候補したのだ。
天井の声が穏やかに告げた。
「――あなたは生まれるべきではなかったと思いますよ。どうしてこの世界に生まれてきたのですか」
おや、と思った。とびっきりの悪意を誘う質問だ。
私は笑った。たぶん、とてもやわらかに答えられたと思う。
「この世界に自分の意思で生まれてきた人間がいると思うの?」
天井から言葉は返らなかった。
私の起こした事件を、後先を考えない浅はかな子供の犯行だと、私を捕まえた大人の一人が云った。
そうではない。広く知らせなければならなかったのだ。
この世界に、私のような人間が存在することを。
事件発覚から容疑者が特定されるまで三週間。証拠を隠滅して逃げ切る気など端から私にはなかった。