1《あなたの残りの一生はその部屋の中です》
「ナラサキミユキって誰?」
「犯罪者だよ」
「ハンザイシャって?」
「悪いことをした人」
「どんな悪いことをしたの?」
「子供を殺したんだ」
「子供?」
「そう」
「どんな子?」
「家族と離れて暮らしてる可哀相な子だよ」
「どうして可哀相な子を殺したの?」
「さあ、わからない」
「嫌いだったから?」
「わからないよ。……本人にしかわからないことだ」
「女子? 男子?」
「……どっちも」
「どういうこと?」
「一人じゃないんだ」
「二人殺したの?」
「いいや。もっと」
「三人?」
「もっと」
「四人?」
「二十七人だったか、二十九人だったかな……とにかく、たくさんだよ」
目覚めると私の両手に手錠はなく、ざらついた平らなコンクリートの床から肘をついて上半身を起こすと、窓ひとつない部屋に一人きりでいるのだとわかった。
胸の下敷きになっていた左腕をひしゃげた形を整えるようにさすりながら記憶をたぐるが、ここに運び込まれたときの記憶はない。現状を把握しようと、のろのろと立ち上がる。何時間放っておかれたのか、冷えきった身体の関節が軋んだ。
視点が高くなると、軽い目まいをおこしたような感覚に襲われた。原因はすぐに理解できた。部屋のバランスがおかしいのだ。この空間は幅と奥行と天井の高さが等しい。ここを部屋と呼ぶには問題がある、と思った。
隅に病院で見かけるような鉄パイプ製の簡易なベッドがあった。どこかで不要になってとりあえずそこに運ばれたような、そぐわなさがあった。その他は入口も出口も見当たらない。
四方の壁は床と同じコンクリートで、天井の全体が淡く面発光して窓のない部屋全体を照らしていた。アクリル板なのだろうか、半透明の板の向こうに照明器具があるように見えた。
箱入り、という父から聞かされた言葉が頭に浮かんだ。それは中学校の入学祝いに親から買い与えられる国語辞典に載るような、美しい意味を持たない。父が語ったその言葉は、私が暮らすこの都市では、半年後の西暦二千百七年から施行されることが決定した、刑罰のひとつを指していた。
もしかしたら、出入り口は見当たらないのではなく存在しないのであって、私の身体はこの空間に天井の一部を外して降ろされたのではないかと考える。ここからだすつもりがないのであれば、その可能性も十分に考えられた。天井は大人の身長の三倍ほどの高さがある。女にしては背の高い私でも、ベッドにのって跳び上がったところで遥かに届かない。 壁に近づいて表面をなでたあと、腕を水平に拳の底をぶつけた。振動の具合から、壁は工具なしでは到底壊せない厚みのあるものだと理解する。壁を睨みながら、手首をふって痛みを払う。
残念だ、と思った。この腕では役に立ちそうにない。冷めた感覚で眺める自分の腕はひどく華奢で、こんな女らしい腕だっただろうかと疑問さえ感じた。
同性の同級生たちの腕を思いだす。どれも私より細いか、ぽっちゃりとやわらかな見た目をしていた。高い声で笑いあう彼女たちの多くは小柄で非力で痛がりで甘ったれだ。か弱さを周囲にアピールしてお姫様のような保護を得ることを心がけている。事実、優先的に周囲に守られるのはそんな女の子らしい女の子たちで、真似ごとをしなければ私は保護の対象から外れた。それならば素の私は女という性からいくらか距離を持つ人間なのだろう。そう考えれば差別のような周囲からの扱いも仕方のないことと受け止めてこられたが、こんなときになって歴然とした性差を自分の女の身体で実感するのは、ひどく損をした気分だった。
「でられませんよ」
不意に頭上から硬質な男の声が降った。しわがれていない若い声だ。
天井を見回す。発光する天井の角に、ホテルのロビーで見かけるような小さなドーム型の監視カメラを見つける。つるりとした黒い半球の付け根に、竹串を通した跡のような穴が並び、そこから音が届いたようだった。スピーカーが一体になったものなのだろう。こちらの音を拾うように、マイクも内蔵されているのかもしれなかった。
「あなたの残りの一生はその部屋の中です。東第二都市はあなたを世界から隔離することを決定しました」
抑揚のない人間の声が無気質な半球から落ちる。私は口を開かない。
「おめでとう、と云うべきでしょうか。あなたが『箱入り』の刑罰を受ける第一号囚人です」
ああ、やっぱりこれが、と思った。新しい刑罰は前倒しでこの私に適用されたのだ。
声はそこでいったん途切れた。短い沈黙のあと、食いしばった歯の間からもらすような低い声に変化する。
「あなたの存在は人類にとって毒です。全世界戦争から復興を為し遂げ、平穏に営みを続けるこの都市の希望を打ち砕き、他の四十六の都市が抱く善意に無造作に傷をつける暴力です。これ以後、あなたを誰かと面会させることはありません。全世界四十七都市に起こる何事もあなたに伝えません。そこで世界から切り離されて過ごす残りの一生が、東第二都市があなたに与える罰です。そして愛情です」
愛情と云いながら、声には抑え切れない憎しみがこもる。
「……あなたは愚かで罪深い子供です。責められるべき犯罪者でありながら、同時に保護されなければならない幼い存在です。あなたを育てた東第二都市は、あなたを罰し守ります。二十四時間の絶え間ない監視の中で誰とも触れ合えずに生きなさい」
スピーカーは明瞭な音を吐きだし続ける。石のような心のままに聞き流す私に、スピーカー越しの誰かは聖職者のような厳かな口調で云った。
「己の罪を見つめなさい、ナラサキミユキ」
しらけた気持ちで目を細めた。
私は十六歳で、高等学校の一年生で、市長の娘で、両親と妹が二人いる平穏な家庭の子供で、一週間前に養護施設の子供を二十八人殺した。
日曜日の養護施設の野外パーティで、ピンクのワンピースを着て白いエプロンをつけた私は、毒入りのクッキーを子供たちに配った。甘い匂いがただよう芝生の庭を子供たちが駆け回って、パステルカラーの風船を、着ぐるみのウサギが配り歩いていた。市長の娘がボランティアに熱心な理由を疑う人間は誰一人いなかった。
青空の下でやがてクッキーを口に入れた子供たちが次々と倒れ、うるさいほどの数が集まった救急車で運ばれていった。その様子をどこかの週刊誌が、陳腐に真昼の地獄絵図と表現した。
食中毒を疑われた事件は、しかし数日で私の罪と暴かれて、私の身柄は拘束され、父は市役所の十四階から飛び降りた。
平和な世界に相応しくない私の罪は、世界に知られる前に私の存在ごと隠された。世界の平和は脆弱で、私の行為は凶悪過ぎる。
手首には赤紫に変色した手錠の跡。罪を犯した理由を問われて、「世界のため」と答えた。怒鳴られて揺らぐような心が残っているのなら、こんな事件など起こしはしない。
誰にも理解されなくていい。
私が私の犯した罪の理由を知っている。
私は灰色の箱の中で唇をひきしめる。紅いコスモスが隣の空地で首をゆらしている情景が頭に浮かび、小指にあたった陽光の温かさが蘇る。あれは二週間前のこと。嘘のようにのどかな風景を眺めて家の縁側に立っていた。これが見納めだと、目に入るものすべてを脳裏に刻みつけた。
覚悟を決めた私は、本物の空などもう二度と見られなくてもかまわない。