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マザーボード・ファンタジア  作者: 蒼井ふうろ
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1-01 飛鳥

「ねえ、聞いた? 隣町の中学で出たらしいよ、“人形症候群”!」

「えぇ~、マジ? 女子? 男子?」

「女子らしいんだけどさあ、なんか男にフラれた直後だったらしくてぇ……」



 こそこそと話す女子高生の声が断続的に耳に届く。朝7時12分発の電車に人はまばらで、そのほとんどが学生である。飛鳥は欠伸をかみ殺すとポケットからワイヤレスイヤホンを取り出してその音を遮った。別段話し声を迷惑に感じたというわけではないが、何となく女性の話を盗み聞いているようで居心地が悪かったのだ。


 スマホと繋いで適当にプレイリストを開けば、今はやりのシンガーソングライターが軽やかに歌い上げるポップスが流れてくる。座席に座って学校のある終点まで一眠りしようかと目を閉じた。



「でもかわいそ・・・・・・ね、にん・・・・・・症候・・・・・・ってさ・・・・・・」



 イヤホンから聞こえる音楽の合間合間に先ほどの女子高生の声が割り込んでくる。そんなに大きな声で話しているわけではないが、人が少なく遮るものがないからよく聞こえてくるのだろう。途切れ途切れに聞こえる言葉が眠気によってさらに分断されながら聞こえてくる。



「一生治らないんでしょ」



 やけにはっきりと聞こえたその言葉を最後に、飛鳥はまどろみの中に意識を手放した。









Ep.1-01 飛鳥









 ぷかぷかゆらゆら、波間に揺られるような感覚がする。おかしいな、電車に乗っているはずなのに随分と快適だ。


 そこまで考えて飛鳥の意識は引き上げられるように急浮上した。ぱちりと両目が開く。そして目の前に広がる光景に少々首をかしげた。



「・・・・・・青いなあ」



 目の前に広がるのはまるで電子回路を模したかのようなどこまでも続く青色の世界である。時折光のようなものが張り巡らされた細い線を伝って駆け抜けていくので、電子回路というたとえはあながち間違いではないのだろう。そんな世界の一角に飛鳥はぼんやりと座り込んでいたらしい。


 立ち上がって周りを見てみれば、通路のように別の場所に繋がっているらしい。飛鳥が立っている場所は広場というより、通路と通路の間にある踊り場のような場所のようだ。真正面と真後ろに通路がある。ふむ、と顎に手を当てて考えたが考えて分かることでもない。


「まあ、十中八九夢だもんな」


 ぽそりと呟いた言葉に返事はない。当然のことだと飛鳥は思う。


 いわゆる明晰夢と呼ばれるものを昔から見やすい体質であった。眠りが浅いことも関係していたのだろうが、どこかのタイミングで「あ、これは夢だな」と認識することが多いのである。普段の生活と何ら変わらない夢で会ってもこれが夢だと認識できるくらいだったので、今のように現実離れした夢であればほぼ100%の確率で気づくことができた。


 夢だと認識した途端、あたりの風景が若干揺らぐ。そして床に当たる部分に一本の線が通ったかと思うと、飛鳥の正面に続く通路の方へ光が流れ出した。まるで導くようなそれを見ているうちに飛鳥の足は自然とそちらに向いていく。どうせ終点についても寝ていれば駅員が起こしてくれる。どうせ終わる夢ならとことん進んでみてもいいだろう。そんなふうに考えながら飛鳥は正面の通路に足を踏み入れた。


 ぽぽぽ、ぴぴぴ。電子音に似た音が絶えず聞こえてくる。回路のような通路を進むたび、飛鳥の足下から光が散った。小学生の頃に行った科学展の出し物のようでほんの少し気持ちが明るくなる。



「どこに続いてるんだろう」



 ずんずんと進んでみたが、一向に開けた場所に出ない。振り向いてもみたが、先ほどまで自分がいた場所は既に見えないほど遠くなっていた。随分と長い通路である。体感としては既に数十分歩いたように感じるが、どれほど進んだのだろうか。


 終点の駅までは20分ほどかかる。実際の時間と連動しているのであればもうそろそろ起こされないとおかしいのだが、夢の中あるあるの「実際の時間とは大きく時間がずれている」というものだろう。現実世界ではどれほど時間が経っていることやら。若干汗ばみ始めた額を拭いながら進んでいく。


 やがて汗ばむのを通り越して汗が首筋を伝うようになった頃、それは現れた。


 広場だ。青く美しい回路を四角形に切り取ったようなそこはちょっとした体育館くらいの大きさがある。



「すごいな・・・・・・なんの夢なんだろう。こんな景色連想するようなもの、あったかな・・・・・・」



 広場の中を進んでみるが、特にめぼしいものはない。ぴぽぴぽと相変わらず鳴り響く電子音以外に言葉が返ってくることもない。しかし、基本的にいつもの明晰夢は自分が実際に行ったことのある場所だとか、ゲームや本で見たことのある場所をモチーフにしている場所が多いのだが、ここはどこだろう。

飛鳥は首をひねったが、考えても仕方がないとその場に座り込んだ。延々歩き続けて足が疲れているのだ。足を投げ出すように座り、ぐーっと体を伸ばす。どことなくひんやりとした壁が心地よい。


 ストレッチのために体をひねり、正面に体を戻して、そうして。





ギギギギギギギギギ!!





 飛鳥の耳に飛び込んできたのは聞いたこともないような音だった。咄嗟に転がるようにしてその場に伏せる。




 ぶぅん、と。




 何かが空を切る音が“自分の首があった場所”を通り過ぎていったとき、飛鳥はさすがに血の気が引くのを感じた。おそるおそる伏せたまま顔を上げたとき、飛鳥はそれと目が合った。


 目や口の位置に雑に穴を開けただけの、のっぺらぼうのような白い頭部が首の据わらない赤ん坊のように揺れている。その頭がついている胴は虎のようで、虎の胴から伸びる四本足の先は鋭い爪が生えた鳥のものだった。ちろりちろりと覗く尾は蛇だろうか。極めつけに背中からはこれまた巨大な翼が生えていた。先ほど空を切ったのはあの爪の生えた足らしい。あまりにも悍ましいその姿に胃が捻り上げられるような感覚と共に酸っぱい液がせり上がってくる。


 それは夢だというのに随分とリアルな感覚だった。普段の夢なら少々のものが出てきても笑って誤魔化しているうちにどこかに消えてしまうのに、これは意識の端に追いやることすら許してくれない。圧倒的な存在感を持って飛鳥の夢に居る。



「・・・・・・なんだよ、お前・・・・・・」

ギギギギギギギギギギ!!



 錆びた金属同士をこすり合わせたような、不快感を伴う音が回路を駆け抜けていく。瞬間、飛鳥の目の前でガラガラガラと音を立てながら青い回路が一面赤い色へと変わっていった。



――緊急事態発生、緊急事態発生。ヴィランの出現を感知。繰り返すヴィランの出現を感知。A1区域深層2階、至急救援を求む――



 ブザー音が鳴り響く。それだけで今が相当まずい状態なのは飛鳥にも理解できた。


 明晰夢は夢の中で意識が覚醒するという特性上、悪夢になったときにそのダメージが直接脳に出てしまうこともあるという。だからこそ飛鳥は今まで悪夢になりそうな夢で目覚めたとき、意識して目を覚ましたり、逆に意識の外に追いやったりしてその場を切り抜けてきたのだ。




 それが許されない。




「なんなんだよ・・・・・・!」



 体の震えが止まらない。鳥肌が立って、奥歯がかみ合わずにがたがたと音を立てる。まともに立ち上がることが出来ない。この感情を飛鳥は名前だけはよく知っていた。



 恐怖。



 人間の生存本能のうち、最も根本的な部分を揺さぶられている。圧倒的な脅威を目の前にして、逃げなくてはという感情以外がわいてこない。



ギギギ、ギギ、ギ?



 問いかけるように目の前の異形は音を出し続ける。しかしそれがこちらに対して歩み寄りを示すような音ではないのは、爪をカチカチと鳴らしながら近づいてくる様を見るだけで一目瞭然だった。そこまでの知能があるのかは分からないが、おそらく「何故外れた?」というような自問自答なのだろう。


 再度飛鳥の首の高さに構えられた爪も、その証拠といって差し支えなさそうだ。


 しゅん、と風を切る音がする。



「……え?」



 つぅっと生暖かいものが頬を滑り落ちていくのがわかった。恐る恐る触れる。ぺちゃ、という湿った音とともに指先に付着したのは赤い液体だった。


 一拍遅れて、頬を切られた痛みが飛鳥に襲い掛かる。びりびりと痺れるような痛みは、平時なら目を覚ましてもおかしくないほどのインパクトがあった。


 しかし、目が覚めない。夢の中だというのにリアルすぎる痛みだけが飛鳥の脳内を支配している。回路と同じ、暴力的な赤い色が視界を埋め尽くしていく。耳障りな音に耳を塞いでしまいたいのにそれすらできない。目の前に迫る異形から逃げたいのに、うまく体が、動かない。




「なぁに、ボサッとしてるにゃー!」




 不意に、飛鳥に影が差した。


 この遮るものの何もない体育館のような場所でなぜ影が差すのか。決まっている、飛鳥の上を何かが飛び越えていったのだ。そしてほとんど音を立てることなく飛鳥の前に着地する。

それは一見して黒猫のように見えた。しかしその黒い塊からはどう見ても人間の手足が伸びている。猫のような低い姿勢で着地したそれがこちらに顔を向けた。



「こんなとこで、キメラヴィランにお目にかかるとは、ある意味強運だにゃあ……」



低い声で呟いたそれは少女だった。こげ茶色の髪から、これまた猫のような金の瞳が飛鳥を射抜くように見つめている。なんだこの子、と飛鳥が認識するよりも早くその少女は飛鳥に向かって吠えた。



「とっととその通路通って戻るにゃ! 死にたくなかったらにゃ!」

「え、ええ……?」



 戻れと言われたところで、咄嗟のことに混乱する飛鳥は声をかけられても動くことができない。少女はチッ、と舌打ちをすると右手を虚空で一度大きく振った。


 キュィィィィン。


 モーターのような音とともに周りの回路から伸びた光の触手が少女の右腕を飲み込んでいく。あまりの眩さに思わず目を瞑り、次に目を開けた時には少女の右手には日常生活ではお目にかかれないものが収まっていた。



「か……刀……!?」



 喉の奥から引きつったような声が漏れる。少女はちらりと飛鳥を見るともう一度舌打ちをして、「だからさっさとその道を……」と言葉を続けようとした。


 しかし彼女の言葉が最後まで言い切られることはなかった。突然少女をめがけて異形の尾が横凪ぎに振るわれたのだ。すさまじい風圧、あんなものを食らったら体がどんな状態になるかなど見なくてもわかる。飛鳥は悲鳴を上げることすらできず、その場に座り込んだ。少女が吹き飛ばされた壁からはもうもうと煙のようなものが噴き出している。



「チッ、人が仏心出してるときに横やり入れるたぁふてェ野郎だなァ!?」



 煙の中で白銀が煌めいたかと思うと次の瞬間その煙から再び少女が弾丸のような速度で飛び出してくる。右手に刀を構えた少女は異形の目の前に躍り出ると勢いをつけて刀を振るう。


 キン、と金属同士がぶつかる高い音がして、衝撃を殺しきれなかったらしい少女の体は飛鳥の前まで吹き飛んできた。慌てて手を伸ばして彼女を抱きとめる。思っていた以上に軽い少女は飛鳥が動いたことに少々驚いた様子だったが、すぐに視線を異形にに戻すと低い声で呟くように言った。



「……あれは危険にゃ。そりゃもうそんじょそこらの殺人鬼なんかよりよっぽど危険にゃ。悪いことは言わにゃいから、すぐその道から戻るにゃ。あたしの力じゃ時間を稼ぐので精一杯にゃんだから」

「え……?」



 聞き返す飛鳥に少女は一度だけわずかにほほ笑んだ。その笑顔に何か凄みのようなものを感じて、飛鳥は思わず彼女の裾を掴む。



「にゃっ」

「だ、だめだ。危ないなら、一緒に逃げなきゃ」

「お、お前にゃあ……逃がし切るのが精いっぱいだって言ったんだから、察しろよにゃあ……」



 どこか困ったように、途方に暮れたように少女は呟く。それはつい数秒前まで勇ましく異形に向き合っていたとは到底思えないほど、年相応の少女の声をしていた。



ギギギギギギッギ!!



 耳障りな音を立てて異形が2人に向き直る。先ほど少女に刀で切りかかられた際に僅かに切れたのか、爪の先が割れて血がにじんでいた。激昂しているらしく、ぐらぐらと揺れる穴の開いただけの頭部からはとめどなく黒い液体が流れ出ている。


 その様子を見た少女は飛鳥の手を振り払うと刀を構えなおす。



「ああ、だめにゃ。あの状態のキメラヴィランなんか、普通にやりあっても生きて帰れないにゃ」

「に、逃げ……」

「ばぁか、普通にやりあっても生きて帰れないのに2人で逃げて帰れるわけないにゃ。戦える人間が残って時間を稼ぐのは正攻法にゃ」



 でも、と。言いかけた飛鳥はその後ろ姿から覚悟のようなものを感じて口をつぐんだ。


 飛鳥はいまだに現状を理解できていない。夢の中で訳の分からない化け物に襲われていて、それは真っ向から相手をしたら絶対に勝てないようなやつで、そいつから自分を逃がすために見知らぬ女の子が時間を稼ぐと言っている。そしておそらくこの少女では文字通り時間を稼ぐのが精いっぱいなのだろう。彼女は生きて帰ることなど想定していない。


 そこまで考えが至った瞬間、飛鳥は自分の体の内から何か熱いものがこみあげてくるのを感じた。それは腹の奥から沸き上がったかと思うと瞬時に飛鳥の全身を駆け巡り、炎のように身の内を焦がしていく。



「……だめだ、それは認められない」

「お前、しつこいのも大概に……!」



 そう言って、振り向きかけた少女が目を見開くのが見えた。口をぽかりと開けて飛鳥を、正確には飛鳥の後ろを見ている。





「お前……それ、なんにゃ……?」












シャアアアアアアアアアアッ











 飛鳥の耳に、馴染みのある声がした。それは“彼女”がよく発していた、飛鳥を敵から守るときの声。


 振り返る。そこにいるのが誰かを飛鳥はよく知っている。



「……クロ」



 数メートルはあろうかという巨大な黒猫がそこにいた。燃える炎のような瞳を目の前の異形に向けて威嚇の声を上げ続ける彼女は、飛鳥を守るように一歩前に出る。



「す……スレイヤーズ……!?」



 少女が呆けた声で言う。それが何のことか正確にはわからなかったが、おそらくクロのことを指しているのだろう。スレイヤーズ、殺すものたち、だろうか。


 彼女の――クロのことを詳細に語ることはできる。しかしこの場において飛鳥にとって重要だったのは、彼女が“飛鳥の夢の中でできた最初の友達”であり、彼女が“飛鳥の危機を見過ごす存在ではない”ということだ。


 ちらり、クロは声を発した少女を見るとその巨大な前足で彼女を飛鳥に向かって放った。キャッチできるでしょう、これくらい。そう言いたげな目に飛鳥は頷くと少女を抱きとめる。わぷ、と声を上げた少女は怯えたように飛鳥とクロを交互に見る。



「なんにゃ……なんにゃ、お前たち……!?」

――ほほ、にゃあにゃあうるさい子猫よの。足が竦んでおるえ、黙って飛鳥に抱えられていらっしゃい。



 あたりに響くように凛とした女性の声がする。飛鳥にとっては非常に懐かしい響きだった。それが目の前の巨大な猫から発せられていると気づいた少女はもはや声を出すこともできず口をパクパクと開閉するのみだ。



ギギギギギ……ギギギギギ……



 異形も突然現れたクロに戸惑っているのかじりじりと後退していく。その様子を見たクロは、「さてのう、飛鳥」と非常にゆったりした様子で飛鳥を呼んだ。



――ようやっとこうして会えたのじゃから、まずはゆるりと語り合いたいのう。しかしてそれにはあのデカブツが邪魔じゃ。そうじゃな?

「……うん」

――ほほ、ならば飛鳥、聡い主なら分かるな? 妾に何を頼むべきか、ささ、主の心の思うがままに声にしてみぃ。



 ニィッ。クロの目と口が三日月型に歪む。その様を見た途端、飛鳥の頭の中に大量の文字が流れ込んできた。


 使役、脅威、排除、召す、主、主、主。


 飛鳥は少女を抱きかかえたまま、クロに向かって叫んだ。






「契約者アスカが命ず……クロ、あの異形を……ここから追い出して!」








 ―――これは、旅だった。

 僕らにとって、何かを得るための、大切な旅だったんだ。




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