偽物の報酬
クローブと呼ばれた男性は、起き上がるや否や。
ハンモックから飛び降り、俺たちの前に立つ。
深緑の頭髪に、切れ長の黒い瞳。
かなり背は高いものの、猫背になっているせいか、あまり背の高さは感じさせない。
三十代前半か半ばくらいだろうか。顎には無精髭を生やし、気怠げな様相を醸し出していた。
この人が、情報屋か。
思っていたより早く出会えてよかった。
これで、あとは精霊石の情報を無事に貰うことさえできればいいのだが。
「ほら、ミツバちゃんにシナモンちゃん。この人が、情報屋のクローブちゃんよ」
「……クローブだ。姫さんとは、珍しい客だな」
気怠げに呟き、再びタバコを吸い始めた。
俺たちも順に名乗り、ぺこりと頭を下げる。
「……それで、俺に会いに来たってことは、何か知りたい情報があんだろ」
近くの壁にもたれかかり、早速本題に入るクローブ。
俺としても、話が早くて大変助かる。
いくら情報屋と言えど、本当に精霊石の情報を持っているのかどうかは分からないが、とりあえず話してみないことには始まらない。
「あ、は、はい! 実は、精れ――」
「待て」
せっかく緊張しながら説明を始めようとしていたのに、クローブに途中で遮られてしまい、シナモンはキョトンと首を傾げる。
面倒そうに溜め息を漏らしたのち、吐息混じりに口を開いた。
「報酬は?」
「ほ、報酬、ですか?」
「そうだ。何かを得るには、相応の対価が必要となる。何も払わずに、自分たちだけが得をできると思うな」
確かに、一理ある。
そうなると、この場合はやはり金銭だろうか。
でも今の俺はお金を持っていないし、またシナモン一人だけに払わせることになってしまう。
できれば、それは避けたいところではあるが……。
「あの、いくら必要になるのでしょうか?」
「俺への依頼に、明確な額はない。どれだけ本気なのか、気持ちを見せてみろ。何なら、金じゃなくても構わないが」
「気持ち……」
どうせなら、明確な額を提示されたほうがまだよかった。もし高かったとしても、その額を払うだけで済むのだから。
だけど、気持ちを見せてみろ、か。
その結果クローブの期待外れだった場合は、情報を貰うことはできないということだろう。
参ったな。特に金目のものなんてないし、クローブがどんな報酬を望んでいるかなんて分かりっこない。
「わ、私、何でもします! 雑用でも何でも、してほしいことがあれば……」
「本当に、何でもできるのか? ここには、女に飢えてるような奴だっている。その体を差し出す度胸が、あんたにあるのか?」
「そ、それは……どうしても、必要、なら……」
ああ、だめだ。見ていられない。
ここの男たちにされそうなことを考えてしまっているのか、シナモンは体を小刻みに震わせ、俯き気味に唇を噛んでいた。
いくら情報のため、世界のためとはいえ、シナモンがそこまでしてやる必要なんてない。
いや、させてたまるか。それは情報ひとつ貰う報酬にしては、あまりにも大きすぎる。
下手したら、まだ若いシナモンの心が壊れてしまう可能性も孕んでいるのだから。
「……いいよ、シナモン。何もしなくていい」
気づいたときには、自分の口からそんな声が漏れていた。
シナモンは驚いたようにこちらを振り向き、クローブは訝しそうにじっと俺を見ている。
辺りを見回す。
この地下空間は洞窟のようになっており、当然と言うべきか小石なども至るところに転がっている。
自分の周囲に散らばっている小石を適当に拾い上げ、クローブに差し出す。
「はい、宝石だよ。売ったら、数百万はすると思う。これでも足りないなら、もっと高い宝石を、もっといっぱい持ってくるけど?」
「……」
クローブは見定めるかのように、突然差し出された大量の宝石を眺める。
無論、宝石などではなく、ただの小石に過ぎない。
売っても、数百万どころか一銭にもなりはしないだろう。
でも、そんなこと知ったことか。
今この場だけ信じてさえもらえれば、今この場で情報を貰うことさえできれば、シナモンが傷つく必要もシナモンが汚れる必要もなくなる。
だったら、俺はいくらでも嘘をつく。自分たちの目的のために、あいつらに日常を奪われないために。
「……いいだろう。あんたらの依頼、引き受けた」
俺の手のひらから小石を受け取り、クローブは変わらない気怠げさでそう答えた。
一時はどうなることかと思ったが、何とか無事に教えてもらえるらしい。
よかった……と、安堵にほっと胸を撫で下ろす。
「あ、ありがとうございますっ!」
「……で、依頼内容は?」
「はい。精霊石のある場所を知りたいのですが……」
頭を下げて礼を述べたのち、シナモンは手短に依頼内容を話す。
まるで既に知っていたかのように、ふっと口角を上げ。
クローブは天を見上げ、その情報を告げた。
「精霊石ってのはな、世界各地の色んなとこに隠されてんだ。ここから一番近い場所なら――バジル湖の中、とかな」
バジル湖というのがどこなのかは分からないが、その名前から察するに湖の名前なのだろう。
ということは、精霊石を入手するには湖の中に入る必要があるということなのか。
だが、水中だとそう長くは息が続かないし、一体どうすればいいのか。
「そう悩む必要はない。ここには、小型だが潜水艦もある。二人や三人程度、それに乗れば湖の中に行くことなんて造作もない」
また驚いた。
まさか、こんなところに潜水艦があるなんて。
「でも、それを借りちゃっても大丈夫なのですか?」
「ああ……操縦できるのは、ここにはオレガノくらいしかいないしな」
ほぼ無意識に、自然と俺とシナモンの視線がオレガノに注がれる。
この人、初めて会ったときから、濃すぎるし只者ではない雰囲気は何となく感じていたけど、そんなことまでできるのか。
「んふふ。必然的に、アタシもアナタたちについて行くことになるわね」
「こ、心強いです! ありがとうございます!」
「そんな~、いいわよん。精霊石に関しての依頼なら、アタシが行かないわけにもいかないもの」
言葉の意味がよく理解できず、怪訝そうな表情でシナモンは首を傾げる。
いや、それはシナモンだけでなく俺も同じだ。
訝しむ俺たちに、クローブが説明を始めた。
「精霊石の依頼をされた時点で、オレガノも一緒に行かせるつもりだった。何故なら、そのバジル湖に行き、精霊石を入手できたのが――オレガノ自身なんだからな」
本日何度目か分からない驚愕。
既に精霊石を手に入れた人が、こんなにも近くにいたとは。
ということはつまり、もうオレガノは自分の能力を強化しているのか。
「アタシはね、本来の能力は自分の姿を消すっていう、まさに透明人間みたいなものだったの。でもね、精霊石を手に入れた途端、何だか力が漲ってきて……気づいたときには、触れたものでも何でも隠せる能力に変わっていたの」
その説明で、得心がいった。
この地下へ来るための階段は、路地裏の地面で隠れていて全く気づけないくらいだったが。
あれは、オレガノの能力で隠していたからだったのだろう。
「実は、アタシもクローブちゃんに精霊石の場所を聞きに来た客の一人だったのだけどね。本当に精霊石を手に入れられるとは思わなくて、さすがに驚いちゃったわ」
なるほど、オレガノも精霊石を欲していて、情報屋がここにいることに気づき、それで依頼した、と。
今の俺たちと、境遇が似すぎている気がする。
「それじゃあ、まだしばらくよろしくお願いするわね。ミツバちゃんに、シナモンちゃん」
「は、はい! こちらこそ、です!」
そうして、俺とシナモンに。
何だか奇妙な仲間が増えた。