輪の中の宝物
まず真っ先に視界に映り込んだのは、土でできた高い天井だった。
少し体の気怠さを感じつつ、ゆっくりと上体を起こす。
ここは、俺たちの拠点になっている地下空間か。
あれから、どうなったんだっけ。
城でステビアと戦って、それから――。
そっと、自身の口に手を当てる。
今はもう、すっかり舌の痛みは完治していた。
あれだけ激痛を訴え、大量の血を流していたのが嘘みたいに。
と。不意に、近くで硬い何かが落下したかのような甲高い物音が聞こえた。
訝しみ、振り向くと。
俺を見つめ、驚愕に体を震わせている少女――アニスが立っていた。
その足元には、医療薬らしきものが入っている箱。先ほど落としたのは、これか。
「あ、あっと、え、その、ちょっ……ま、待ってて!」
しどろもどろになりながら言い、突然踵を返す。
待っててと言われても、一体どうすればいいのか。
困惑しつつ、その場でじっと待つこと、およそ数分。
ドタドタと騒がしい足音が響いてきたかと思えば、複数の少女が駆け寄ってきた。
アニス、チコリ、カモミール、そしてシナモン。
何だかみんなの顔を見て、少し安心する自分がいた。
「み、みん――」
「――ミツバさんっ!」
突然、飛びかかるようにして、シナモンが抱きついてきた。
髪からいい匂いがするとか、豊満な胸が少し当たって柔らかいとか、色々な感覚に襲われて頭がクラクラしてくる。
「やっと、やっと目を覚ましてくれたんですね……本当に、心配したんですよ……?」
「やっとって、どれくらい眠ってたんだ?」
「丸三日です」
さすがに驚いた。まさか自分が、そんなにも長い間意識を失っていたなんて。
ステビアとの戦闘中で負った舌へのダメージが、それほどまでに大きかったということか。
そう考えると、今こうして無事に生きていられるのは奇跡みたいなものだな。
「……ミツバさん、何笑ってるんですか」
「えっ?」
ふと、シナモンがかなりの至近距離で俺の顔をじっと見ていることに気づいた。
全く意識していなかったが、少し口角が上がってしまっていたらしい。
シナモンは徐々に瞳が潤い、目尻に涙が溜まっていく。
「私、怒ってるんですからね……? ミツバさんが、このまま目を覚まさなかったらどうしようって、ずっと心配してて」
「いや、怒ってるというより泣いて……」
「怒ってるんですっ!」
「は、はい、すみません」
今までにない剣幕で叫ばれ、思わず条件反射で謝ってしまう。
おかしいな。そんなに怒られるようなこと、何かしたっけ。
「むぅ……あんまり無茶ばかりしないでください」
今にも泣き出してしまいそうな顔で言われ、得心がいった。
そうか。自分の舌が痛むのも厭わず次々と能力を使い、その結果、三日もの間眠り続ける羽目になった。
かなり心配させただろうし、そりゃあ怒られても仕方のないこと……かもしれないけど。
「でも、ステビアと戦ってたんだからしょうがな――」
「そんな口答えはいいですっ!」
「ご、ごめんなさい」
だめだ、全く反論させてくれない。
いつにも増して、ご立腹なようだ。
「たとえステビアさんを倒して、世界が元通りになったとしても。ミツバさんが無事じゃなかったら、意味ないんですからね……?」
「……悪かったよ。もうあんな無茶しないから」
「ほんとですか? 嘘じゃないですよね? 信じても大丈夫なんですよね?」
「あ、当たり前だろ。こんなところで能力なんか使わないって」
ようやく信じてくれたのか、シナモンは安心したように笑顔を見せた。
これからは、できるだけ心配させないようにしよう。
この笑顔を、もう失わせないために。
「あ、そういえば。あの骸骨たちは、どうなったんだ?」
「ステビアさんが人間に戻ったからか、それとも亡くなったからか分からないんですけど。みんな、元に戻りました。私の両親も含めて」
「そうか……よかったな」
てっきり、骸骨になってしまえばもう手遅れなのだとばかり思っていたが。
正真正銘の、一件落着。全て、無事に解決できたというわけだ。
長いようで短く、短いようで長い不思議な冒険だった。
それでも、何とか俺たちは騎士団に勝利することができたのだ。
そう。何とか――。
……あれ。ちょっと待てよ。
そもそも、俺の目的って何だっけ。
……あれ。
「……って、あぁああぁぁっ!? 元の姿に戻してもらうの忘れてたぁっ!?」
ようやく思い出し、俺は思わず叫ぶ。
そうだ。俺がステビアを求めていたのは、奴の能力で変化した俺の姿を元に戻してもらうためだったのである。
あいつが亡くなれば能力も解除されるのかと思いきや、俺の姿は一向に戻る様子がない。
どうすんだ、これ。ステビアがいなくなれば、もう俺の姿を戻してくれる人なんてどこにもいないぞ。
「……みつば。今のままでいい、なの」
「いや、よくな――って、姿が変わったこと知ってたのか?」
「……ん。みつばが寝ているときに、しなもんから聞いた、なの」
チコリの言葉を聞き、他のみんなのほうへ視線を移す。
思い思いに口角を上げたり、頷いたりしていることから、みんなも知っていることらしい。
「あ、あの、話したらだめでしたか?」
「……だめじゃないよ。いつかは話そうと思ってたし」
自分から話す手間が省けたのなら、むしろありがたい。
それにしても、もう戻れないということは、これからもずっとこの姿のままということか。
あまりのショックに、深々と溜め息を吐き出す。
「元気出しなさいよ、ミツバ。見た目の姿なんて、どうでもいいでしょ? あんたはあんた、それ以外の何者でもないんだから」
「アニス……」
「そうそう! ミツバちゃんの唇すっごい柔らかいし、耳も尻尾も可愛いし、絶対今のままのほうがいいよー。えっちするなら、絶対に今のミツバちゃんだねっ!」
カモミールが涎を垂らしながら気色悪いことを言ってたけど、とりあえず無視しておく。
自分から姿を変えたくて変えたわけじゃないとはいえ、今まで騙していたみたいなものなのだから、咎められても仕方ないと思っていた。
なのに。実際は全然そんなことなくて、暖かく受け入れてくれて。
少し。ほんの少しだけ、目頭が熱くなった。
「ミツバ……もしかして、泣いてる?」
「はっ!?」
アニスが首を傾げながら問い、俺の頬を涙が伝っていたことに気づいた。
途端、他の三人もぐいっと顔を近づけてくる。
「わーっ、泣いてるミツバちゃんかわいいよおおお。ぎゅってしたい、ぎゅって! ねえ、わたしがその涙ぺろぺろしてあげよっか? はぁ、はぁ、もうだめ……濡れてきちゃう」
「みつばの泣き顔、初めて見た、なの。みつばも泣くことがある、なの?」
「ミツバさんミツバさん、もう少し見せてくださいっ!」
な、何だ、こいつら。
人のことを涙なんて流さない冷酷な人間みたいに言いやがって。
俺が泣くのが、そんなに珍しいか。
「ちょ、ばっ……う、うるさい! 見るなっ!」
途端に恥ずかしくなり、顔を逸らして急いで涙を手の甲で拭う。
俺としたことが、少し涙もろくなってしまったのかな。
まさか、こんなことで泣いてしまうなんて。
再び、溜め息を漏らす。
無意識に、口角が上がっていく。
最初は、突然こんな異世界に飛ばされて。
何で俺がこんな目に、とか思ったり。自分の不運を呪ったりもしたけど。
今では、この世界に来れてよかったと思っている。
間違いない。異世界に飛ばされたのは、不運なんかじゃなくて何億分の一の幸運だったのだろう。
こんなに温かくて最高な、宝物に出会えたのだから――。
今作は、これにて完結となります
短い間でしたが、本当にありがとうございました!