反逆する従順な妖魔
城の中に、人気は全くなかった。
前、俺が入った頃より、何だか薄暗く、壁や床などの色と所々にある模様が変化している。
そして――何より、ぴりぴりと肌を刺すような空気が、辺りに充満していた。
ごくり、と唾を飲み込む。
そしてカモミールと頷き合い、廊下を進んでいく。
何か罠が仕掛けられていたり、何かが待ち構えているかもしれないと身構えていただけに、少し拍子抜けしてしまうほどに何もない。
不気味にも思えるくらい、妙に静かだった。
ステビアは、生き延びることができれば来いなどと言っていたが。
彼自身も、無駄に罠を施すことなく僕たちとは決着をつけたいと思っているのかもしれない。
それでもあの場ですぐには戦わず、僕たち全員を街の至るところへ転移させたのは何か理由があるのだろうか。
などと考えながら、玉座の間を目指して歩いていると。
不意に、どこからか獰猛な生物の咆哮のようなものが聞こえ――瞬間、目の前の壁が大きな音をたてて崩れた。
崩れた壁の奥の庭には、大きなゾウのような魔獣が鎮座しており。
その傍らには、シナモンが立っていた。
「あっ、ミツバさんとカモミールさん! もう中に来ていたんですね、ちょうどよかったです!」
俺たちの姿を視界に捉えるや否や、嬉しそうに顔を綻ばせる。
あれからシナモンがどうなったのか気になってはいたが、まさかこんなにも早く合流できるとは。
「シナモンは、何でそんなとこに……?」
「あ、えっと……私も私なりに城を目指して来たんですけど、あの骸骨さんたちに囲まれてしまいまして」
なるほど、それでゾウの魔獣を召喚して一掃したところだったのか。
壁を破壊するのは少しやりすぎな気がしなくもないが、そのおかげで何とか合流できたのだからよしとしよう。
「でも、骸骨さんがあまりにも多くて、少し時間がかかってしまいました……そろそろ来ます、離れてください!」
と。シナモンがそう叫んだ、瞬間。
ゾウが大きな雄叫びをあげ、こちらへ向かって突進してきた。
咄嗟に回避したため一瞬しか見えなかったが、目が赤く、そして虚ろになっていた。
「な、何で急に暴れちゃったの!?」
「私の能力は、魔獣でも武器でも何でも召喚できるようにはなったんですけど、時間制限があるんです。その一定の時間を過ぎたら、逆にこっちを襲うようになってしまうんです」
カモミールの動揺に、シナモンはゾウから目を離さずに答えた。
それが、シナモンの能力の欠点ということか。
大量の骸骨やステビアを相手にするのに精一杯だというのに、ここでゾウの魔獣とも戦わなくてはいけなくなったのか。
壁を破壊した攻撃力に、大量の骸骨を一掃した戦闘力。
油断して勝てるほど、弱い相手ではないだろう。
今はカモミールがいるし、俺の嘘で何とかするしかないか。
そう思い、口を開けた――刹那。
ゾウの胴体に、二本もの短剣が突き刺さった。
甲高く絶叫するゾウに、今度は横から細く鋭利な水が襲いかかる。
水の威力に吹き飛ばされ、遠くの壁に激突。
ぴくりとも動かなくなったかと思うと、光の粒子となって消滅した。
どこからともなく瞬間移動してきた短剣と、凄まじい威力をもつ水。
そのふたつを見てしまえば、誰が来たのかなんて確認するまでもなかった。
「ちこり一人で大丈夫だから、あにすは短剣を温存しておくべきだった、なの」
「う、うっさい。別にいいでしょうが。あたしだって、ただ見てるだけは嫌だっての」
「もしかして、まだ何の役にも立ててないの気にしてる、なの?」
「役に立ってないとか言うなっ! あたしも少しは役に立ってるわ! 立ってるわよね!?」
何やら言い合いを繰り広げながら、こちらへ歩み寄ってくる少女二人――アニスとチコリ。
最後で俺のほうを見て問いかけてきたが、俺に訊かれても困る。
「二人も、ここに来たんだな」
「まあ、あんたらだけに任せてらんないし。ステビアの野郎は、ちょっとぶん殴ってやんないと気に済まないし」
「でも、あにすはまだ――」
「役に立ってないとか言うなっ!」
「……まだ言ってない、なの」
本当に役に立ててないのかどうかは知らないけど、この本人の気にしすぎなところを見るに、事実な感じがしてくる。
まあ、きっと戦闘面でもチコリのほうが活躍してそうだな、と。
それでも、アニスの転移能力には何度も助けられたし、俺としても感謝してるくらいだけど。
「ありがとな……アニス、チコリ」
思わず、嘘偽りない心からの礼を述べる。
一瞬だけ泡を食ったような顔になったものの、アニスはすぐに目を逸らしつつも平静を装う。
「そ、そんなの、終わってから言いなさいよ。まだまだ、こっからでしょ」
「……ああ。そうだな」
アニスの言う通りだ。
俺たちはステビアと戦い、そして絶対に勝利しなくてはならない。
全てが終わったあとで、またみんなにお礼を言おう。
そう自分自身に誓い、五人で再び玉座を目指すため踵を返す――と。
どこからか、その声が響き渡ってきた。
「やはり来たか。骸骨だけでは不相応だろう。この僕が自ら、貴様らを迎えてやるとしよう」
直後、背後でぐちゅぐちゅと奇妙な物音が聞こえ、怪訝に思いつつ振り向く。
紫色のスライムのようなものが、地面から生えていた。
スライムは少しずつ形を変え、やがて一人の人間の姿を形作る。
これは、間違いない。
ステビア、その人だったのである。
骸骨だけでは敵わないと判断したのか。
もし本人と全く同じ戦闘力を持っているのだとしたら、これ以上の厄介な相手はいないだろう。
無意識に、奥歯を強く噛み締める。
このあとには本人との決戦も待ち構えているのだ。
今のうちから体力を消耗させるわけにもいかないが、いくら本人ではないとはいえ無傷で勝てるとも思えない。
どうする。一体、どうすれば――。
「……はぁ。しょうがないわね。こんなやつはあたしが相手になるから、あんたらは先に行きなさい」
ふと。アニスが一歩前に出て、肩越しにこちらを振り向いてそう言った。
「あにす、無理はしなくてもいい、なの。ちこりと一緒に――」
「いいから。あんたもミツバたちと一緒に行きなさいって言ってんのよ」
「でも、あにすが一人で勝てる相手じゃない、なの」
「あー、もう、うっさい。本番は、本人と戦うときでしょうが。今ここで戦力を割くわけにもいかないの、あんただって分かるでしょ」
「……」
反論材料がなくなったのか、チコリは少し俯き気味に押し黙ってしまった。
本気で、一人で残って戦うつもりなのか。
俺たち全員を、玉座の間に進めるために。
短く、息を吐く。
そして、アニスの背中に微笑みかける。
「それじゃあ、『またあとで』な」
またあとで――。
それは、ただの別れの言葉じゃない。
また会おうと、絶対にここでやられないと、そんな誓いの言葉だ。
アニスも、俺の考えを察してくれたのか。
微笑み返し、しっかりと頷いてくれた。
踵を返す。
玉座の間を目指して、四人で再び駆け出した。
背後から戦闘開始の大きな物音がしたのを、耳にしながら。