抗う精鋭
――ほんの少しだけ、時間は遡る。
ミツバ、シナモン、そしてオレガノがまだ城の中にいる頃。
要するに、ステビアの裏切りによりディルが命を散らし、そんなステビアが魔王となってミツバたちの前に立ちはだかっていた頃。
街の中では、突然の災厄に見舞われていた。
真夜中だったため暗くはあったものの、ついさっきまで平和そのものだった空が赤く染まり。
地面から骸骨のような魔物が大量に生まれ、街の中を徘徊し始めたのである。
いや、ただ徘徊しているだけではない。
外を歩いている人を見かければ襲いかかり、挙げ句の果てには家の中にまで侵入してしまう始末。
鍵がかかっていようと、どこに身を隠そうと関係ない。
無数にも等しい骸骨たちが扉を破壊し、生きている人間を探しては、どう乞おうとその胸を貫いていった。
とはいえ、骸骨に襲われているのは、この街の中だけ。
つまり、逃げるのなら街の外に出るしかない。外にさえ出れば、命は助かるだろう――そう考えるのが普通。
それは、ミツバを城の中に転移させたあと、しばらく休憩したことで動けるようになったアニスも同じだった。
「……な、何よ、これ」
しかし。
街の門に辿り着いて、アニスの頬を冷や汗が伝う。
肉眼でも目視できるほどの濃い紫の結界が、街を覆っていたのである。
試しに門から出ようとしても、結界に阻まれて進むことは不可能。
ならば、と考えて転移能力を試みたが、何故か街の外に出ることは叶わなかった。
「どうなってんのよ……ミツバたち、大丈夫なんでしょうね……?」
思わず遠くにそびえ立つ城を眺め、ぼそりと呟く。
だが、アニスだって当然、心配ばかりしてもいられなかった。
骸骨だ。
五体ほどが、アニスに向かって一直線に向かってきている。
まるで水を得た魚のように、人間を見つけるや否や。
「ちっ……しょうがないわね。いいわ、どっからでもかかってきなさいよ」
懐から短剣を取り出す。
骸骨を倒せるのかどうかは不明だったが、いつものように短剣を転移させ、骸骨に貫通させようと考えて。
そんなアニスの動作は、途中で中断することとなった。
横から、大量の水が骸骨に降り注いだのだ。
五体の骸骨は水によって崩れ、それでもなお降り注ぎ続ける水に、粉々になって動けなくなった。
骸骨を倒したことを確認したのち、一人の少女がアニスの前に姿を現す。
とても長い水色の髪に小柄で幼い雰囲気、少し開いた口から覗く八重歯。
他でもない。水を操る能力を持った水の精霊、チコリである。
「チコリ……」
「この骸骨、何、なの? 他にも、いっぱい街の中にいた、なの」
「あたしにだって分かんないわ。ただ、悪いことが起こってるのは間違いないみたいだけど」
チコリの問いに、アニスは片手で頭を掻きむしりながら答えた。
何が起こっているのか。
その問いに正確に答えられるのは、この惨事を起こした元凶か、元凶が起こしたときにその場にいた者だけだろう。
いや――もう一人だけ答えられる人物を、アニスは知っていた。
だからこそ足を動かし、チコリに言う。
「襲われてる人を助けながら、あいつを探すわよ」
「……あいつ、なの?」
「決まってるでしょ、クローブよ。あいつの能力なら、知りたい情報は何でも知ることができるの。とにかく、現状の把握は大事よ」
「分かった、なの」
二人で駆け出す。
無論、どこにいるのかは分からない。
辺りを見回しながら、あまり誰も通らないであろう路地裏まで念入りに探していく。
現状の情報が知りたいというのも当然あったが、あの男は戦う術を持ち合わせていない。
もし骸骨に襲われていた場合、早く助けに向かわなければ手遅れになる可能性も有り得るのだ。
そんな危惧が、どうしても頭の中から離れなかったのである。
そうして、駆け回り続けていたら。
不意に、どこからか聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ひやぁぁぁぁ、だだ誰か助けてええぇぇぇ、犯されちゃうよぉぉぉぉ」
そんな、緊迫感の欠片もないふざけた絶叫が。
一瞬で声の主を悟り、アニスは深々と溜め息を漏らす。
しかし、そうこうしている間にも、その声の主がアニスたちのもとへ走ってくる。
後ろには、数十体に及ぶ大量の骸骨。
声の主――カモミールがアニスたちに気づくと、大きく手を振った。
「あっ、アニスちゃんとチコリちゃん! あとでいっぱい揉ませてあげるから助けて!」
「あ、あいつ、何してんのよ……。その報酬のせいで、一気にやる気が失せたわ」
「何でっ!? 柔らかいよ? 挟むことだってできるんだよ!?」
「あたしの何を挟むってのよ!?」
「……生やす?」
「生やすか、あほッ!」
アニスたちの近くにまで駆け寄ったカモミールは、こんな状況でありながらいつものように変態発言をし、アニスはたまらず叫ぶ。
カモミールを追いかけていた数十体の骸骨は、今は三人を追い詰めようと、じりじりと迫ってきている。
「あんた、何をしたらこんなに追いかけられんのよ」
「それはもう、わたしの美貌とえっちな体のせいじゃないかなあ。アニスちゃんにはないもんね」
「……よし、助けるのやめた。行くわよ、チコリ」
「わーっ、嘘、嘘、冗談だよ! そんなちっぱいのアニスちゃんも大好きだよ!」
「フォローになってないわッ! 許しを乞う気ないでしょッ!?」
骸骨に迫られながらも、そんなことは関係ないとばかりに言い合うアニスとカモミール。
そんな二人を横目で見ながら、チコリは骸骨たちに手のひらを向け――。
巨大な波が、全ての骸骨を勢いよく押し流していった。
思わず、ぽかんとするアニスとカモミール。
チコリは涼しい顔で二人に向き直り、淡々とした口調で言う。
「早く行ったほうがいい、なの。状況、分かってない、なの?」
「……す、すいません」
つい謝ってしまう二人だった。
気を取り直したように手を叩き、カモミールは明るく告げる。
「そ、それじゃあ、わたしはまだ見ぬかわい子ちゃんたちを助けに行ってくるねっ」
「はぁ? せいぜい、また追いかけられないようにしなさいよ」
「えっ? もしかして心配してくれてるのー? ありがとー、わたしも大好きだよーっ!」
「……さっさとくたばれ、クソデカクソビッチ」
何だか楽しそう尚且つ嬉しそうに駆け出すカモミールに、アニスは半眼で呟く。
そうして、アニスとチコリは逆方向に歩む。
やがて、人気のない路地裏へと足を踏み入れた瞬間――。
「ようやく来たか」
そんな短い声がどこからか発せられ、咄嗟に身構える二人。
しかし、姿を現したのは――タバコを口に咥えたクローブだった。
その姿を視界に捉えると、ほっと胸を撫で下ろしつつ構えを解く。
「ちこりたちが来るの、知ってた、なの?」
「ああ、情報で見た。現状がどうなっているのか、か。長くなる上に、あんたらには荷が重い話かもしれないが、それでも聞くか?」
問われ、二人は顔を見合わせる。
だけど再びクローブに向き直ったときには、どちらも答えはとっくに決まっていると言わんばかりの勇ましい顔つきになっていた。
「当たり前でしょ。ミツバたちのことも気になるし、何も知らないまま襲われてんのは納得いかないわ」
「精霊は、人々を守るためにある、なの。この街が危機に晒されている今こそ、ちこりが何もしないわけにはいかない、なの。それに――そろそろ、恩返しがしたい、なの」
二人の真っ直ぐな答えを受け、クローブは短く吐息。
そして、その口角を僅かに上げ、頷いた。
「分かった。では、話すとするか」
そう言って、タバコを離した。