魔獣の軍勢
ディルやステビアとの戦闘中、思わず斬られたと思ってしまったが。
狼の魔獣に救われ、そしてこの場に一人の少女が姿を現した。
俺は知っている。
少女――シナモンの能力は、召喚だ。俺がこの世界へ来たのも、シナモンの召喚能力が原因だった。
狼、鮫、イルカの三匹の魔獣が出現したのも、その召喚能力によるものだということはすぐに察することができた。
「この、魔獣は……?」
「私の能力が強化されて、本当に色々なものを呼び出せるようになったみたいです。魔獣でも、兵器でも、何でも。それに、呼び出せるものをある程度は選べるようにもなったんですよ」
得心がいった。
召喚の幅が広がっただけでなく、選べるようになった、か。
もし最初から選択可能であれば、俺がこの世界に来ることはなかったのだろうか。
なんて、今更そんなことを考えていてもしょうがない。
「……だが、今の私は高速で動くことが可能だ。どんな魔獣であろうと、私の速度に追いつけなければ、姫様たちに勝ちの目などない」
それでも自身の勝利を信じてやまないのか、ディルは不敵な笑みを漏らす。
高速で動けるようになったのは、先ほどステビアがディルの足に能力を使ったからだろう。
確かに、高速で動かれてしまえば、こちらの攻撃を軽々と避けることができるだろうし、逆にディルの攻撃を見切ることが不可能にも等しくなるが。
シナモンは、ディルの言葉を無視して言う。
まるで、ディルの自信を嘲笑うかのように。
「それとですね、私は召喚したものに能力を与えることができるのですが……。その能力だって、完璧にではないですが、近くにいる人と同じ能力や、近くにいる人に付与されている状態と同じ能力を選べるようになりました」
言いながら、三匹の魔獣に手で触れる。
途端――三匹ともが一瞬で姿を消し、その次の瞬間にはディルの背後と左右に現れていた。
「――ほら。これで、ディルさんと同じ高速能力になりました」
「な、なん……ッ!?」
驚愕する暇すら与えない。
表情が歪むディルに一瞬で肉薄したイルカが腹部に突進したことで、背中から壁に激突してディルは吐血する。
だが、猛攻は止まらない。
瞬間移動にも思える俊敏さで、ディルの腕を噛み千切ろうとせんばかりに、鮫が鋭利な歯で噛みつく。
みるみるうちに血が滲み、ディルは大きな絶叫を上げずにはいられなかった。
「ぐ……あああッ」
すごい。
あのディルの反撃を一切許さず、一方的に追い込んでいる。
いくら精霊石の力で強化したからとはいえ、まさかここまでシナモンが強くなったなんて。
「まだまだ行きます――天空を翔ける漆黒の猛将よ、大地を駆ける白銀の猛虎よ、我の聲に従い顕現せよ!」
シナモンが気高く詠唱を唱えた刹那。
今度は目の前に、黒い翼をはためかせた大きなカラスと、白い毛を逆立てた大きな虎が現れた。
どれも魔獣なのだろうし、本来であればかなり厄介な敵として立ちはだかっていたことだろう。
でも、今は違う。
味方として一緒に戦ってくれるのなら、これ以上ないほどの心強い戦力だった。
「お前……俺のより強くなりすぎじゃないか……?」
「そ、そんなことないですよ。私の能力だって、全く欠点がないわけでもないですから」
見たところ、俺の舌へのダメージのようにどこかを痛がっている様子もない。
シナモンの言う欠点って、一体何なのだろうか。
さほど広いわけでもない空間で、総勢五体の大きな魔獣がディルに襲いかかる。
思わず、勝利を確信した。
このシナモンの力なら、ディルやステビアでさえも圧倒的にねじ伏せることができる、そう信じてやまなかったのである。
でも、その考えは甘かったのだと。
すぐあとに、嫌でも思い知らされた。
「く、くくく……どうした。勝ったと思ったか? 終わったと思ったか? 私が、この程度だと思ったか? 見くびるな。精霊石を入手したのは、私だって同じこと。無論、能力を強化したのも、私だって同じことだッ!」
叫び、ディルは立ち上がる。
間髪入れずに剣を横に薙ぎ払い――五体全ての魔獣が、体を真っ二つに切断された。
そして光の粒子となり、全て消滅してしまった。
「そ、そんな……」
驚愕と絶望に、声を震わせるシナモン。
そんな彼女を見て、ディルは不敵に笑む。
「いかがいたしましたか、姫様。私はただ、断ち切っただけです。魔獣たちの――息の根を」
「息の根……?」
「ええ。私の強化はとてもシンプルなもので、剣の届く範囲と、斬ることのできるものが更に増えた。それだけのこと。今の私は、たったひと振りで、その惨めな命を余すことなく散らすことができる」
シナモンも、あまりの驚愕にもう言葉もないようだった。
俺の能力でも、生死に関することまでは無効だった。
それなのに、こいつの強化された能力は人や魔獣の命にまで干渉することができるというのか。
……反則だ。
そう思わざるを得なかった。
俺たち全員が力を合わせたところで、一瞬で息の根を斬られてしまえば、勝ち目なんて皆無にも等しいじゃないか。
しかし。
そんな状況で、淡々とした声色が響き渡った。
「……なるほど。団長の強化された能力は、そのようなものだったのですね」
さっきまで無言でディルの戦いを見ていた、ステビアだ。
一歩、また一歩と歩み始め、その口元には笑みを刻み続けている。
「でしたら、僕の野望の前には不要――むしろ邪魔です」
いつも以上に低く、ドスのきいた声で呟いたかと思うと。
勢いよく、自身の左胸の辺りに、叩くようにして手のひらを押しつけた。
瞬間――。
みるみるうちに、ステビアのシルエットが大きくなっていく。
背中からは紫の翼が、頭部には黒い角が、臀部では黒い尻尾が生える。
肌は徐々に濃い紫に染まり、爪は長く鋭利に伸び、歯はかなり鋭い牙となった。
魔族。
いや、むしろ魔王。
今のステビアの変貌を見て、俺の脳内に真っ先に浮かんだイメージがそれだった。
「ククク……クハハハハハッ! このあべこべ能力を以て、僕は人間から魔王になった! もう誰にも、邪魔などさせるものか」
手を伸ばす。
不気味に嗤いながら。
ただ、真っ直ぐディルのほうへ。
「ステビア……何を、するつもりだ……?」
「ふん、決まっているだろう。団長――いや、ディル。平和などという愚かなものを尊重するお前は、いつか僕が自分の手で始末するつもりだった。それが、少しばかり早くなっただけのことだ。そんなに危険な能力を持ったお前を、放置しておくわけにはいかない。僕の、野望のためにもな」
ステビアの手のひらから、漆黒の紫の光線が放出される。
僅か、数秒程度。
右腕だった存在に突如として裏切られ、驚愕に表情を歪めたままのディルに。
その光線が、左胸を貫いた。
「が……ステ、ビアァ……ッ」
そんな呻き声を最後に。
ディルは床に倒れ、そのままぴくりとも動かなくなった。
「さあ、次は貴様らだ。僕の目指す理想の世界へ招待しよう」
俺たちに向き直り。
ステビアは、またニヤリと口角を上げた。