白刃と反転
ディルが自身の剣に手を添え、俺とオレガノは同時に構えをとる。
あいつの能力は、少し離れている者の能力を封じたり、空間なども斬ってしまうことが可能だ。
絶対に目を離すわけにはいかない。能力が封じられた時点で、近くに精霊石のない今は敗北が確定してしまうのも同義なのだから。
「ミツバちゃん、アタシに任せて」
ふと。オレガノが小声でそう囁いてきたかと思うと、そっと肩に手を置いてきた。
途端、見下ろす俺の体が透明になっていくのを実感した。
そうか……これはオレガノの能力で透明になったということか。
ディルとステビアは、突然透明になった俺を探すかのように、眉を顰めながら目線だけを泳がせていた。
あえて、オレガノから少し離れる。
そして嘘を事実に変えるため、口を開――こうとした瞬間。
ディルが剣を抜き、勢いよく駆け出した。
俺にではなく、オレガノのほうに。
「舐めないで、アタシだって弱くはないわ!」
だが、そんなディルの手首を力強く握り、ディルは少しだけ表情が歪む。
今だ。動きが止まった今が、最大の好機と言える。
「ディルを鋭利な風が――」
「――そこか」
突如発せられた短い呟きに、思わず俺の嘘は中断してしまった。
さっきまで、ディルにばかり注意していた。
ディルは剣を構えて向かってきたのに対し、ステビアは一歩もそこから動かなかったから。
でも。それは違ったのだと、今更思い知った。
ステビアは、自身の片目に手を当て。
真っ直ぐと、俺のほうを見て口角を上げていた。
間違いない。
奴は、透明になった俺の姿を、目視することができている。
そう確信を抱いた俺に構わず、ステビアは剣を抜く。
「不思議そうな顔をしているが、何も変なことはしていない。ただ僕の見えない目を見えるように変えただけの話だ。そして見えるようになってしまえば、お前の敗北は揺るがない」
剣を構え直す。
刹那――二本、四本、八本……と、ステビアの剣が増えていく。
もしかして、これもあべこべ能力によるものだとでも言うのか。
一本しかない剣を、大量の剣へと変える。
そんなの、厄介とかいう問題じゃない。
しかし、ステビアはその全ての剣を放り投げた。
甲高く無機質な音をたて、たくさんの剣は床に散らばる。
一体、何をしようとしているのか。訝しみつつ、ステビアの一挙手一投足に注目し――。
「行け、僕の下僕」
ステビアが言いながら床に両手をつくと、突然全ての剣がゆっくりと浮上を始める。
いや、剣だけじゃない。
棚や本などの家具までもが、全て空中に浮かび始めたのである。
しかも、それらの剣や家具は。
まるで意思が宿ったかのように、一斉に俺たちへ襲いかかってきた。
「……ッ」
オレガノは咄嗟に手首を掴んだままのディルを殴り飛ばし、後方に軽く跳ぶ。
ポルターガイストとなって襲いかかる家具たちを、間一髪のところで回避を試みながら俺は思考する。
まず間違いなく、これもステビアの能力だろう。
先ほど床に触れたのは、もしかして床に置いてあるものを全部あべこべにするためか。
その結果、床に置いてあるものは浮き上がり、意思をもたず動かないものは、こうして動き出した、と。
「つ……ッ」
ふと頬に鋭い痛みを覚え、眉根を寄せる。
そっと手で触れてみたら、傷口はあまり深くはないとはいえ、少し血が滲んでいた。
こんなにも大量の剣や家具から避け続けるなんて、至難の業だ。
仕方ない。俺は口元に手を当て、囁くように嘘を発した。
「剣も家具も、全部床に固定されている」
瞬間――さっきまで浮いていたものが一斉に落下し、大きな物音をたてた。
痛い。舌が凄まじい激痛に襲われ、口から血が溢れ出す。
既に何回も使用し、俺の舌へのダメージもそろそろ無視できないレベルになった。
これ以上戦闘が長引けば、ゲットウとの戦闘後に感じたあの痛みを上回ってしまうかもしれない。
「ふっ、使ってしまったな。無駄な悪あがきでしかない」
ディルが不敵に笑い、ステビアは無言でその場にしゃがみ込む。
そして、ディルの足に触れた。
もう説明されなくても分かる。
ステビアが触れた、ということはディルの足は――。
「君の命も、ここで散る」
いつの間に、そこにいたのか。
俺が一瞬まばたきをした間に、遠くにいたディルが、一瞬で目の前にまで迫っていた。
白銀の刃が光る。
俺の首を目がけ、ディルの剣が振るわれ――。
「――がぁッ!?」
ディルの短い絶叫が、響き渡った。
横から食らった一撃で吹っ飛び、その拍子で剣を床に落とす。
だが、俺の視線はそんなディルよりも。
さっきまでいなかったはずの、その姿に注がれてしまっていた。
赤い瞳に、鋭利な牙と爪。
漆黒の毛が逆立ち、ディルやステビアを威嚇している。
そう。それは――真っ黒な、狼のような魔獣だった。
「……なんだと?」
ステビアもついに表情を崩し、目の前の光景を睨みつける。
この魔獣が、俺を助けてくれたのか。
ディルの脇腹が血で濡れているところを見るに、おそらく脇腹に噛みついたか、爪で引っ掻いたのだろう。
不審に思う俺たちに。
その声が、やけにはっきりと響き渡った。
「清浄なる海の化身よ、紅血を求めし覇者よ、我が聲に従い顕現せよ」
一瞬の光を経て。
黒い狼の隣に、大きな鮫とイルカのような魔獣が二体、どこからともなく出現し虚空に浮いていた。
何だ、これは。
一体、何が起きているというのか。
そんな俺の疑問は、すぐあとに発せられた聞き馴染んだ声で解消された。
「大丈夫ですか、ミツバさんにオレガノさん。ここからは私も――一緒に戦います」
そう言って俺の隣に立つ女の子は、まさに俺がここに来た理由だった。
そうか。やっぱり、強くなったのか。
精霊石を使ってから一回も能力を使っておらず、どう強化されたのか不明なままだったが……この現状を見るに、強くなったのは火を見るより明らかだった。
名を呼ぶ。
隣に立った、その少女に。
「……シナモン、無事だったんだな」
俺の言葉に。
少女――シナモンは、屈託のない笑顔を返した。