真夜中の消失
舌への傷は、カモミールとのアレで何とか改善に成功したが。
それでも体の疲れまでは取れず、みんなで体を休ませている間に夜も更けてきた。
シナモンもアニスも、そしてチコリも、すぐ近くで眠っている。
神殿は直ったことだし、もうチコリは帰るものかと思っていたけど、どうやらまだ暫くここにいることに決めたらしい。
本人は『ミツバには神殿を直してもらったから、もっとできるだけ協力したい、なの』などと言っていた。
泣いて喜んでくれたのは、こちらとしても嬉しいが、そこまで気にしなくてもいいのにとは思う。
ちなみに、カモミールも近くにいるものの、まだ寝ずに三人の寝顔を楽しそうに眺めている。
よくもまあ、そんなに幸せそうに人の寝顔を見続けられるものだ。
アニスが知ったら、たぶんかなり怒るだろう。
とはいえ、俺も眠れずにぼーっと三人のことを見たりはしてたけども。
と。ふとカモミールの視線が寝顔ではなく、俺のほうへ向いていることに気づく。
訝しむ暇すらなく、すぐに笑顔で訊ねてくる。
「ねえねえ、ミツバちゃん。舌、怪我してない?」
「……はぇ? い、いや、あれから能力使ってないし」
「そうなの? じゃあほら、どんどん使っちゃおう。大丈夫だよー、どれだけ痛くても、わたしがいい子いい子しながらたっぷり愛し……治してあげるからぁ!」
「……」
思わず半眼で睨む。
あんな能力、そう何度も使ってたまるか。戦闘中など、本当に必要なときにしか使わないほうがいいだろう。
それに……明らかに治癒方法のアレをやりたいだけのようにしか思えない。
「そんなにしたいか、俺と……その、キス」
「当たり前でしょ!? ミツバちゃんの唇ほんとに柔らかくて気持ちよくてぇ……わたし、あれだけでイっちゃうかと思ったもん。ふへへ……思い出しただけで濡れてきそぉ……」
だめだ、こいつ。
思い出しながら恍惚とした表情で涎を垂らす今のカモミールは、何だか気持ち悪かった。せっかく美人だというのに、本当にもったいない。
単純に、俺の初めての相手がカモミールっていうのは、なんか悲しい。
治してくれたこと自体はとても感謝しているし、今後も何度かする必要があるだろうけど、それとこれとは話が別である。
そっと、無意識に自分の唇に手を当てる。
悔しいことに、カモミールの唇も柔らかくて気持ちよかったことが忘れられない。
いや、あれはただの治癒。ただの治療行為。断じてキスとかじゃない。
そう自分に言い聞かせないと、やってられない。
「ねえ、ミツバちゃん。今みんな寝ちゃってるし、あれの続き……シよ?」
「つ、続き?」
「もちろん……性・交!」
「そんなことを大声で叫ぶな! 嫌だよ!」
「ぶー、ぶぅぅぅ」
「ぶー、じゃない。絶対やんないぞ」
何を言い出すかと思えば、さすがに呆れるしかない。
そりゃあ俺だって興味がないわけじゃないが、いくらなんでもいきなりすぎる。自重しろ、ほんとに。
そういえば、今の俺は女の体なのだが、女同士のアレってどうするのだろう。
もちろんやるつもりはないから、関係ないんだけど。
そんな風に、いつも通りの変態発言に呆れて溜め息を漏らしていると。
不意にひとつの足音が聞こえ、振り向くと一人の男性がこちらへ歩み寄ってきていた。
「……ミツバとカモミールか。まだ起きていたのか」
やがて近くまで来たところで俺たちにそう言ってきたのは、クローブだった。
今は、タバコを口に咥えてはいない。
「うん。実はミツバちゃんに夜這いされちゃってー、今からえっちするとこなんだー」
「捏造すんな!? 絶対やらないって言ったよな!?」
この女、本当に油断ならない。
クローブにあらぬ誤解をされてしまったらどうするつもりだ。
しかし、クローブは呆れたように頭を掻き、ただ一言「分かってる」とだけ返した。
よかった。カモミールとの付き合いは俺よりは長いはずだから、俺の危惧も杞憂に終わってくれたようだ。
そう考えると、俺の『ついた嘘を信じさせる』能力がカモミールのものじゃなくて本当によかったと思わざるを得ない。
なんてことを考えていたら、途端にクローブの表情に翳りが生じる。
そして、平静を装っているかのような淡々とした口調で、問いかけてきた。
「……オレガノを、見てないか?」
思わず、俺とカモミールは顔を見合わせる。
もしかして、オレガノに会っていないのだろうか。
ゲットウに襲われた際、オレガノとクローブは一緒にいたような気がするが……あれから、別れてしまったのかもしれない。
「見てないけど、どっかにいるでしょ?」
「いや、隅々まで探した。ここにいるなら、今頃見つかっているはずだ。それでも見つからないということは、外に出ている可能性があるが……」
他は、オレガノの能力で透明になっていて目視できなくなっている可能性も一応あるにはあるか。
でも、今そうやって透明になる理由もないし、それは除外してもよさそうだ。
ただ、オレガノだって、ずっとここにいるわけではないだろう。
店で買い物をしたり、外に用事があることだって当然あるはずだ。
なのに、クローブは浮かない顔のまま更に続ける。
「俺は『どんな情報でも知ることができる能力』を持っていると、話したことがあるな。その能力で、オレガノの居場所を探ろうとした……が、できなかった」
「できなかった?」
「ああ。まるで情報を遮断されているかのように、オレガノに関する情報だけが闇に覆われていて見えなくなっていた」
情報が見えない。
どんな情報でも知ることができるというクローブの能力ですら知ることができないというのは、一体どういうことなのか。
もしかして、それは……。
妙に嫌な予感がする。
「他の能力は見ることができるのか?」
「ああ、オレガノ以外なら問題はない」
試しに訊ねてみたが、能力自体は問題なく使えているということは、気づかない間にディルに斬られたというわけでもなさそうだ。
だったら、オレガノだけ見られない理由は何だ。
「……とりあえず、探しに行こう」
「ああ、助かる」
俺たちは頷き合い、立ち上がる。
そうして駆け出そうとした、瞬間。
「ちょっと待ちなさい。あたしたちも行くわよ」
そんな声に振り向けば、シナモン、アニス、チコリの三人がいつの間にか起きていた。
寝起きだとは思えない勇ましい顔つきで、三人ともが一様に立ち上がる。
「お、起きてたのか」
「あんなに大きな声で話してれば、そりゃあね。そんなことより、急ぐんでしょ?」
「おれがのを見つけるの手伝う、なの」
「はい。やっぱり心配ですし、少し嫌な予感がして……」
断る理由なんてない。
嫌な予感がするのは俺も同じ。
急いで、オレガノを見つけるために。
六人で走り出し、街中へ向かった。