それは接吻
「何とかなるかもしれない……って、それ本当ですか?」
チコリの言葉に、俺ではなくシナモンが先に食いついた。
能力の欠点で受けた痛みは今は何とか引いてはくれたものの、今後も使い続けるのであればさっき以上の激痛、そして舌が失われる覚悟までしなくてはいけない。
それはずっとつきまとい続ける制限なのかと思っていたのに、改善できる方法があるのだとしたら、俺としてもその話に乗らないわけにはいかない。
「……ん。でも、みつば――覚悟はある、なの?」
「か、覚悟……?」
「そう、なの。能力を使い続ける限り、舌への痛みは完全に防ぐことはできない、なの。だから、使う度に今から言う方法を何度もやらないといけなくなると思う、なの。本当に、何度もできる、なの?」
覚悟って一体何なのだろうか。
そこまで念を押すということは、それだけ危険なことをする必要があるのか。
そう考えると、無性に怖くはなってきたが……だからといって、断る理由もない。
この能力には、今後もお世話になる必要があるのだ。
舌を失う恐れがなくなる方法がそれしかないのなら、やる以外の選択肢なんて最初から存在しない。
「やるよ。何でも、何度でも。もっと能力を使えるようになるんだったら」
「……分かった、なの。だったら、ついてきてほしい、なの」
瞑目して頷き、チコリは踵を返す。
何をさせられるのかは未だに教えてもらっていないため、何だか妙に緊張しながら、その背中について行く。
不安と畏怖とで、頬を冷や汗が伝う。
心臓が早鐘を打ち、ごくりと唾を飲み込んだ――瞬間。
不意に、チコリが足を止めた。
目の前には、訝しそうにこちらを見つめているカモミールの姿。
「かもみーる、お願いがある、なの」
カモミールを見上げ、淡々と呟く。
……あれ。ちょっと待って。
カモミールにお願いって……そして、何度もする必要があって、それの覚悟って、もしかして――。
「んー? どうしたの、チコリちゃん。お願いなんて珍しいねー」
「ん。みつばの傷を、治してほしい、なの」
予想が的中してしまった。
今回に関しては、的中しないでほしかった。
俺は慌てて、声を荒らげる。
「ちょっ、待ってチコリ! か、カモミールが治すってことは、つまり――」
「ん。接吻してほしい、なの。何度もする覚悟があるって、さっき言ったはず、なの」
接吻。要するに、キス。
確かに何度もするとは言ったし、覚悟も決めたつもりではあったが。
それは明らかに覚悟の方向性が違う。
全く予想の範疇になかった手段に、俺は戸惑うしかない。
「大丈夫、なの。ちこりの傷も完璧に治してくれたし、かもみーるの能力なら舌の傷ですら治せるはず、なの」
「その心配はしてないけど……いや、でも、さすがに、それは……」
途中で、無意識にカモミールの唇へと視線が動いてしまう。
そこでカモミールも俺の視線に気づき、怪訝そうに首を傾げた。
「んー、どうかした? あ、そういえばさっきのミツバちゃん、すっごいかっこよかったよ! さっきので、どこか怪我しちゃったのかな? どこどこ? わたしがぺろぺろして治してあげる!」
「う……えっと、舌、なんだけど」
「舌? へえ……え、舌? 舌っ!?」
最初はあまり理解できなかったのだろうか。
徐々に言葉の意味を把握していき、カモミールは途端に瞳を輝かせ、身を乗り出してくる。
どことなく嬉しそうというか、ちょっと気持ち悪い顔になっている。
「おっけー、わたしに任せて! みつばちゃんの唇、たっぷり奪ってあげる!」
「いや、俺はまだやるとは……」
「……さっき自分で言った、なの」
「く、くそお……」
完全にチコリに論破され、俺は悔しさに歯噛みする。
他に方法がないとはいえ、あまり後先考えずに口にするものじゃないな、と思い知りました。
でも確かに、それ以外に治す方法がない以上、どうしてもやらなくてはいけないわけで。
ふと後ろを振り向くと、シナモンは両手で真っ赤な顔を覆い隠し、アニスはジト目で呆れたようにこちらを見ていた。
キスなんか初めてな上、二人に見られるというのも恥ずかしすぎて顔から火が出そうな勢いだが……。
「じゃ、さっそくシちゃお」
どこか色っぽい口調で言いながら、カモミールが俺に顔を近づけてくる。
徐々に徐々に鼻が触れ合いそうな距離にまで近づき、俺の心臓が更に激しい動悸を訴える。
顔が熱くなるのを感じ、俺は咄嗟に叫ぶ。
「あ、あのっ、ちょっと待っ――ん、んんっ!?」
しかし、それは何の意味も成さなかった。
カモミールの柔らかい唇が触れる。
舌が俺の口内に侵入を果たし、絡み合う感触に脳が蕩けそうになる。
他に何も考えられなくなるくらい、ただただ気持ちがいい。
何秒、何分こうしているのだろうか。
俺とカモミールは、ただただ貪るように舌を絡ませ――。
「なっがいわッ! そんなに濃厚なやつ必要ないでしょうがッ!」
アニスの呆れたような怒鳴り声で我に返り、咄嗟に顔を離した。
やばいやばい……思わず本当に何も考えられなくなるところだった。
それにしても、まさか初めてで舌まで絡ませてしまうとは……今になって再び恥ずかしくなってきた。
「ぶー、もっとミツバちゃんの唇を楽しんでおきたかったのにぃ」
「やかましい! あんたは壁とでもキスしてればいいでしょ!」
「壁と? それなら、アニスちゃんの胸に……」
「誰の胸が壁だゴラァッ!」
相変わらず、アニスとカモミールの二人は言い合っている。本当に仲がいいことで。
そっと、自分の舌に触れてみる。
もう、全く痛みは感じなくなっていた。
本当に、効果があったということなのだろうか。
まさか、能力の欠点によって受けた傷ですら治すことができるとは。
確かにすごい……が、今後も何度か能力を使う際、その都度また治してもらうためにキスをしなくてはいけないと思うと少しだけ憂鬱に……まあ、気持ちよくはあったけど、それとこれとは話が別である。
「は、はわ……ミツバさんが、あんなにえっちな……っ」
シナモンに至っては、何やら真っ赤な顔で狼狽えている。
そんな反応をされると、こっちまで余計に恥ずかしくなってくる。
「……みつば、舌の痛みはどう、なの?」
「え? ああ、もう痛みはなくなったかな」
チコリの問いに、再び舌に触れながら答える。
もしかして舌へのダメージは、まだ一度も能力を使っていないときにまで戻ったということでいいのだろうか。
五回くらいでさっきの激痛になると考えれば、大体三回か四回くらい使ったら、またカモミールのところに来たほうがよさそうだ。
こうして。
予想外の方法で、何とか最大の欠点を少しだけ改善できた。
あとは――騎士団のステビアとディルを相手にするだけだ。