大きな欠点と利点
無意識に拳を握り締める。
ディルやステビアも、当然不快なやつではあった。
でも、目の前の男――ゲットウは、特に深い理由なんか何もなく、ただ戦いたいという理由でチコリの神殿を破壊したのだ。
腸が煮えくり返る思いでいっぱいだった。
チコリが、どれだけ神殿を大切に思っていたか。
チコリが、どれだけ精霊石の管理を一生懸命に全うしていたか。
ゲットウは何も知らない。
「ほら、どっからでもかかってこいよ。オレに勝てる自信があるっていうなら、だけどなァ」
不敵な笑みを堪えることすらせず、俺たちを順に見やるゲットウ。
こいつは、このまま放っておくわけにはいかない。
たとえこの場を逃げ出すことはできたとしても、ゲットウを放置していれば、今後もっと被害は増えていくだろう。
今この場で、打倒しなくてはいけない。
「こんの……さすがに許さな――」
「――アニス」
今にも飛びかかってしまいそうなアニスを、言葉と目線だけで制する。
何で止めんのよと言わんばかりの非難が込められた瞳でこちらを見てきたが、足を止めてくれただけで充分だ。
「アニスは、シナモンとチコリをお願い。オレガノは……他のみんなと一緒に、できるだけ離れてて」
「え? ちょっ、あんたはどうすんのよ?」
「俺は……まあ、誰かがやんないといけないわけだし」
余裕な笑みを返し、一歩を踏み出す。
そっと口元に手を当て、舌に触れてみると、もう血は出ていなかった。
大丈夫だ。まだあまり使っていないし、きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、ゲットウを睨みつける。
「へえ? まずはてめえか、せいぜい早くくたばんじゃねえぞ?」
どこまでも、人を見下した態度だ。
もう既に、自分の勝ちを信じてやまないらしい。
でも、俺だって負けるつもりはない。
この能力を使って、できるだけ早急に――こいつを打ち倒す。
アニスは最初言いたいことが色々とありそうな素振りだったものの、それでもすぐにチコリやシナモンのもとへ駆け寄ってくれた。
そして、転移の能力で三人とも少し離れた位置に移動したことを確認する。
オレガノも同様、遠くにいたクローブの近くに駆け寄っていくのが見えた。
これで、もう俺とゲットウが対峙しているだけで、周囲には誰もいなくなった。
ゲットウの能力がまだ分からないとはいえ、あまり巻き込んでしまう恐れもなくなっただろう。
暫く、睨み合う。
やがて、どちらからともなく動き出した。
ゲットウは血を蹴り、右腕を前に突き出しながら俺へ向かって真っ直ぐ駆け出す。
何をする気なのかは分からないが、あの手に触れられてはいけない。
そんな直感を信じ、咄嗟に横に回避。
それから間髪入れず、口角を上げて嘘をつく。
「ゲットウ、上から岩が降ってきてるから気をつけたほうがいいぞ」
「は……?」
訝しそうに、眉根を寄せるゲットウだったが。
俺の言葉の通りゲットウの頭上に突如として大きな岩石が現れ、ゲットウへ目がけて真っ直ぐ落下を始め、驚愕に目を見開く。
「チッ」
しかし、荒々しく舌打ちを鳴らし、右腕を頭上に掲げる。
ゲットウの右手は、頭上からの落石が触れ――。
――瞬間。大きな轟音を伴い、岩石は粉々に弾け飛んだ。
岩の破片が四方に吹き飛び、俺は腕で顔を覆う。
何だ、今のは。
落石に触れた途端、一瞬で岩が粉々になってしまうなんて。
「……チッ、こんな岩まで降ってくるたぁ、危ねえ場所だなァ」
再度、忌々しそうに舌打ちを鳴らし、上を見上げるゲットウ。
この能力の対象になった人物は、俺が嘘をつき、そして嘘の通りに事実が改変されたということに気づけない。
だから、今ゲットウは落石も俺の能力によるものではなく、この場に起きた自然現象でしかないと判断していることだろう。
カモミールに能力を使った際、縮んだ胸に疑問を持たず、まるで始めからそうだったと認識してしまっていたのと同じように。
岩が降ってきたという事実に、まあそんなこともあるか、と。
「……いつ」
ふと舌に痛みを覚え、そっと触れてみる。
少しだけではあるが、また血が滲んでいた。
これは、あまり長引かせるわけにもいかないな。
俺の強化された能力――『嘘を事実に変える』という能力には、全部で三つもの欠点が存在する。
まず一つめは、人の心と生死、概念に関することには無効。
つまり、『お前は今こう思っている』などと相手の感情や思考まで変えてしまうことはできないし、単純に『お前は死んでいる』と嘘をつけば相手は死んでしまう……なんてことも絶対に起こらない。
二つめが、俺が現在視界に捉えている光景にしか作用されないということ。
概念には無効というのと少し似てはいるが、やはり自分が見ていない遠い場所に何かを発生させることもできない。
ただ、こういった無効になる場合でも。
事実に変えるということができないだけで、対象の人物に嘘を信じさせることくらいはできる。
問題なのは、もうひとつのほうだ。
最後、三つめは物理的なもの。
能力を使えば使うほど、舌が痛み、血が出る。
そして、そんな痛みを堪えながらも能力を使い続けていると――。
――いずれ、俺の舌は完全に失われてしまう。
機能が失われるとかではない。
物理的に、舌がなくなってしまう、ということだ。
この欠点は嘘を事実に変えるときのみで、嘘を信じさせるだけの際は特に問題ないのだが。
今のような戦闘中であれば、特に気をつけなくてはいけない問題だ。
でも、その分、大きな利点も当然ある。
能力でどれだけ空間を変えても、解除すれば元通りになる、ということだ。
「ゲットウの周囲、半径十メートルの地面に穴が開き――その遥か下は超高温のマグマ」
呟く。
誰にも聞こえないくらい、小さな声で。
刹那、言葉は現実のものとなった。
ゲットウの足元に、音すら立てず一瞬で大きな穴が開く。俺の位置からでも、穴の下では真っ赤なマグマが煮立っているのが見えた。
「くッ……マグマになってやがったのか……ッ」
ゲットウは、驚きはしても、マグマであることに疑問は抱かない。
奥歯を強く噛み締めながら、荒々しい舌打ちを鳴らしながら。
ゲットウは、マグマへ向かって落下していった。
だが、まだ終わりではない。
俺の能力で作用させたのは、あくまで地面の穴とマグマだけ。
つまり――。
「――解除ッ!」
叫ぶ。
舌の痛みに、そして口から血が出ることにも厭わずに。
そう。ゲットウが穴の下に落下している途中で、能力を解除してしまえば。
マグマも地面の穴も元通りとなり、ゲットウ一人だけが地面の中に閉じ込められた状態になるのだった。