救うための虚偽
あれから、俺たちはとりあえず拠点となっている地下空間へと戻ってきた。
到着して潜水艦から降りるや否や、チコリは重い足取りで歩み――途中で堪えきれなくなったのか、その場にしゃがみ込んで涙を流す。
「チコリさん……」
シナモンは歩み寄り、何をするでもなく、ただ心配そうに眺めていた。
自分の家が、あんな風にバラバラに崩壊して、今チコリがどれだけ悲しんでいるのかなんて想像に難くない。
だけど。そんな彼女に、どんな言葉をかけてあげればいいのか。
それはシナモンだけでなく俺たちにも分からず、ただ眺めることしかできずにいるのだ。
ああ、だめだ。
あんなに悲痛に顔を歪め、大粒の涙を流している少女を、これ以上見ていられない。
「……シナモン」
だから、俺は声をかけた。
チコリにではなく、その近くでチコリを心配そうに眺めている少女に。
訝しそうにこちらを振り向いてくるのを確認したのち、俺は更に続ける。
「悪いけど、チコリのことはよろしく」
「えっ? あ、はい……ミツバさんは、どこか行くんですか?」
「まあ、ちょっとな。頼んだぞ」
多くは語らず、未だに怪訝そうにしているシナモンに背を向ける。
そして、今度は潜水艦に乗ったままのアニスとオレガノに声をかけた。
「二人に頼みがあるんだけど、いいか?」
二人は、当然訳が分からないと言わんばかりに首を傾げていたが。
俺の頼みを聞いて、最初は喫驚していたものの、反論することなく二つ返事で頷いてくれた。
§
俺、アニス、オレガノの三人は、再びバジル湖の湖上へとやって来た。
この二人に頼んだのは、無論もう一度湖の底に潜るため。
つまり――チコリを救うために他ならない。
本当は、神殿が崩壊しているのを見てから、すぐにその方法には思い至っていた。
だけど、強化された能力の詳細が判明したとき、同時に脳内には欠点に関する記憶までもが最初から知っていたことのように芽生え始めた。
その欠点のことを考え、俺は実行に移すことができなかったのである。
でも、もういい。
そんな躊躇なんて、もう吹き飛んでしまった。
チコリの、あんなに悲しそうな顔を見てしまえば。
潜水艦は下降を続け、湖底へと辿り着く。
目の前には、さっき見たときと変わらない、たくさんの大きな瓦礫が辺りに散らばった無慈悲な光景。
ひとつ、深呼吸。
たくさんの瓦礫を眺めながら。
俺は、小さく呟いた。
「神殿は――崩壊なんてしていない」
そんな俺の言葉に呼応するように。
瓦礫は独りでに動き始め、やがてあっという間に元通りの神殿の姿を形作った。
「ほ、本当に直った……?」
アニスが、驚愕に目を見開いて声を震わせる。
カモミールに能力を使ったときは本人が全く気づかなかったのに対し、今はアニスもオレガノも神殿が元通りになったことには気づけているようだ。
それも、そのはず。
あのとき俺が嘘をついたのは、カモミールに対して。
そして今は、神殿に向かって嘘をついた。
俺自身が誰を対象にしているのかで、その効果は変わるらしい。
その対象とは、人物でも魔物でも、意思のない建物などの物体ですらも範囲内に含まれるというわけだ。
ややこしくて、かなり面倒臭くて。
強いのに、なかなか欠点が多い能力だ。
「……痛っ」
ふと、舌に疼痛を覚え、思わず口に手を当てる。
鉄の味がする。
確認しなくても、今きっと舌から血が出ているのだろうことは分かった。
「どうしたの?」
アニスとオレガノが、心配そうに俺を見てくる。
二人にもシナモンにも能力については話したが、欠点のことはまだ話していない。
話してしまったら、きっと無駄に心配させるだけだ。
それに、シナモンたちのことだから、騎士団を相手に能力を使うことをよしとはしないかもしれない。
だから、俺は嘘をつく。
多少の罪悪感はもちろんあるが、それでも。
「何でもない。チコリとシナモンのところに戻ろう」
「そう? 分かったわ! ありがとう、ミツバ」
俺の言葉をあっさりと信じ、笑顔で感謝を述べるアニス。
そうだ、それでいい。
わざわざ話して心配させるほどのことでもないのだから。
口に当てていた手を、ゆっくりと離す。
手のひらに付着していた血を見ながら、上昇していく潜水艦の中で思う。
この欠点だけは隠し通そう、と。
湖上に上がると、アニスは転移能力を使用する。
そして、地下空間へと戻り――。
――瞬間、大きな爆音が響き渡った。
何だ……?
不審に思い、すぐさま潜水艦から出て三人で走る。
辿り着いた先で、とある光景を視界に捉え、思わず絶句した。
負傷しているのか、肩を押さえたまま蹲るチコリ。
そんなチコリを抱き寄せたまま、前方にいる男性を強く睨みつけるシナモン。
そんな二人を、三白眼の瞳で見下ろしている一人の男。
「あァ……? 精霊っつーのも、そんなもんかよ。もっと強えのかって期待してたっつーのによ」
荒っぽい口調で、まるで吐き捨てるように漏らす男。
色素の薄い灰色のような髪に、白目が多い三白眼。
中肉中背だが、目つきの悪さや声などから、とても粗暴な印象を抱く。
誰だ、あの男は。
この状況を見るに、突然ここにあの男が襲撃をして。
チコリが、奴の攻撃を食らってしまったのか。
「んあ……? はっ、また変なガキが現れやがったか」
俺たちが来たことに気づき、男は鼻で笑う。
そこでシナモンも気づいたようで、こちらを振り向くや否や、瞳を潤わせた。
てっきり、敵は騎士団だけなのかと思っていた。
だから、ディルやステビアに注意していればいいのかと、そう思っていたのに。
あいつは、騎士の鎧を着ていない。
だからといって騎士団じゃないとは限らないが、ディルやステビア以外にも俺たちを襲う敵がいただなんて。
「あんた、何してんのよ」
アニスが、怒りを滲ませた問いを発する。
しかし、それでも男は不敵な笑みを崩すことすらしない。
「はっ、決まってんだろ。ディルが標的にしてるやつがここにいるっつーから、オレが遊びに来てやったんだよ」
「ディル……ってことは、お前も騎士団ってことなのか?」
「あ? 違えよ、オレは騎士になんかなりゃしねえ。ただ、強えやつと戦えるっつーから、協力してるだけの話だ」
そんな理由で、あいつらに協力するなんて。
しかもディルの標的ってのは、もしかしなくても俺たちのことだろう。
ということは、もう俺たちがここを拠点にしているのは、とっくにバレてしまっていたのか。
「オレの名は、ゲットウ。強えやつ、つまりお前らと戦うためによ、わざわざ精霊石まで奪ってきてやったんだぜ?」
男は名を名乗り、そのあとに発せられた言葉に絶句する。
精霊石を、奪った?
訝しむ俺たちに構わず、男は不快な笑い声を響かせた。
「あのでっけえ神殿を破裂させんのは大変だったんだからよォ……感謝してもらわなくちゃなァッ!」