託されし石塊
シナモンが、チコリを買ってきたワンピースに着替えさせたあと。
およそ数分程度で目を覚まし、のそっと上体を起こした。
「……この服、なん、なの?」
「あ、私が買ってきました。裸のままだと、色々と問題あると思うので……」
「別に気にしない、なの」
「だ、だめですよっ! とにかく、これからはその服を着ててくださいね」
「……んん」
どこか釈然としないながらも、チコリは渋々といった様子で頷いた。
まるで珍しいものを見るかのように、まじまじと自身が身に纏っている服を見下ろしている。
もしかして、服を着たのは初めてだったりするのだろうか。
俺たちからしてみれば有り得ないことだが、初めて会ったときからずっと全裸だったし、精霊にとっては普通のことなのかもしれない。
服を見下ろすのをやめたかと思えば、今度はこの地下空間を見渡す。
そうしていると、何だか幼い女の子のようで少し可愛らしかった。
「……あにす」
ふと、チコリがアニスをじっと見つめ、名を呼ぶ。
しかし、アニスはまだ少し気まずそうに目を逸らしていた。
「ありがとう、なの。ちこりは精霊なのに、精霊石を守るのが使命なのに、助けに来てくれなかったら……たぶん、精霊石は奪われてたと思う、なの」
俯き気味に、浮かない顔で言われ、アニスは愕然とする。
チコリもかなり応戦していたが、ディルは一枚上手だった。
俺たち全員が能力を封じられていたあの状況では、アニスが救世主だったと言っても過言ではないだろう。
同じ場にいながら、何もできなかった自分が悔しくてしょうがないが。
それと同時に、チコリにもアニスにも感謝しているのも事実だ。
「や、やめなさいよ。そんな殊勝なこと言われても……なんか気色悪いわ」
「……あにす」
「わ、分かったから。あいつに精霊石を取られるのも、あいつにチコリやミツバたちがやられるのも見過ごせなかっただけだから、もういいの」
「……ん」
アニスが少し頬を朱に染めながら言い、頷いたチコリは僅かではあったものの口角を上げ、確かに微笑んでいた。
なんだ、この二人も仲良くできそうじゃないか。
と、チコリが突然立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。
そして――。
「――あげる、なの」
そう言って差し出してきたのは、二つの青い石だった。
間違いなく、ディルとの戦闘でチコリが飲み込んだものと同じだ。
ということは、つまりこれは。
「精霊、石……?」
無意識に発した俺の呟きに、チコリは無言の頷きを返す。
驚きのあまり、どう反応すればいいのかすら分からず、チコリの顔と精霊石を交互に見やる。
どう認めさせようかと頭の中で考えていただけに、こうもあっさりと差し出されて、嬉しいのはもちろんだが理由が分からない。
しかも、能力を強化するために必要となる精霊石はひとつ。
その上、一人につき一度しか強化できないとシナモンから聞いていた。
それなのに今二つも渡すだなんて、二人も強化していいと、それほどまでに認めてもらえる何かがあったのだろうか。
「昔のあにすは、怒りと悲しみと痛みに支配されて、復讐ばかりに気を取られてた、なの。でも、今のあにすは違う、なの。信頼して、信頼されている仲間がいて、ちこりのことも守ってくれて、今なら渡しても大丈夫だって、そう思えた、なの」
真っ直ぐな目で言われ、アニスは再び照れ臭そうに目を逸らす。
そうか。昔を知っているからこそ、今の変わったアニスを見て、認める気になってくれたということか。
俺は昔のアニスを知らないが、きっと今とは比べられないくらい荒んでいたのだろう。
「それに。みつばもしなもんも、お互いのことを信頼し合っているのが伝わってくる、なの。その絆は、きっと簡単に切れたりしないくらい強いと思うし、その真っ直ぐな目で、その……たぶん精霊石を悪いことに使ったりはしないと思う、なの。あと、でぃるとも敵対してて、あにすと一緒にちこりを守ろうとしてくれたし……なの」
あまり慣れていないのか、ぎこちない口ぶりではあったが、言わんとしていることは何となく分かった。
認めてくれた、ということなのか。
俺も、シナモンも、アニスも。上手く言葉にできず、俯いたり、涙ぐんだり、目を逸らしたりしていた。
「……は、早く受け取ってほしい、なの」
「あ、ああ、ありがとう、チコリ」
促され、俺は二つの精霊石を受け取る。
見た目以上に軽い。
ようやく入手することができて、ちょっと感動を覚えてしまう。
「でも、精霊石は神殿に置いてあって、この二つしか持ってなかった、なの」
「いや、くれるだけで嬉しいよ」
チコリが精霊石を飲み込んだとき、水場から取り出していたことを思い出す。
他の精霊石も全てあの水場に保管しているのだとしたら、今この二つを持っていただけでも運がよかったと言えるだろう。
「それじゃあ、誰が使う……?」
俺が問い、三人で顔を見合わせた。
とはいえ。そもそも騎士団を相手にするために俺の能力を強化するというのが目的だったわけだし、アニスも復讐のために強くなりたいと言っていたから、この二人で決まりだろう。
そう、思っていたのだが。
「あたしはいいわ。あんたらで使いなさい」
アニスが目を逸らし、諦めたように吐息を漏らす。
だが、さすがに大人しくその通りにするわけにもいかない。
だって、あれだけ憎しみを抱き、かなり欲していたはずなのだから。
「アニス、必要なんじゃ……」
「いいの。あたしは今のままでも充分使える能力だし、そんなものを利用してまで復讐したいとは、もう思えないから。まあ、どう強化されるのかは気になるけど……あんたらに譲ってあげるって言ってんの」
「あの、私こそあんまり必要ないのですが……」
「いいから! あんたが使えば、もしかしたら、そのぼいんぼいんももっと大きくなるかもしんないわよ?」
「だったら、なおさらアニスさんが使ったほうがいいのでは……」
「……喧嘩売ってんのか、脂肪女」
何だか、アニス相手ならシナモンも少し言うようになったな。まあ、ただの天然かもしれないけど。
ともあれ、アニスがここまで頑なに譲ってくれると言っているのだから、遠慮なく使わせてもらうか。
だけど……チコリは精霊石を飲み込んでいた。
そうやって飲み込むことが使用方法なのだとしたら、やっぱり躊躇ってしまう。
「これ、飲み込めばいいん、だよ、な?」
「そう、なの。体に害はないから、気にしなくて大丈夫、なの」
そういう問題ではない。
いくら害がなかろうと、石を口に入れるのは少し怖い。
再び、シナモンと顔を見合わせる。
そして――。
どちらからともなく。
意を決して、思い切り精霊石を口に入れた。