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止まない洪水

 喉が渇く。

 汗が伝う。

 手が震える。


 ディルを見ただけで分かる。

 先ほどの俺の嘘は、間違いなく効いていない。

 つまり、俺もオレガノと同じように能力を封じられてしまっている。


 それは、一緒にいるシナモンも同じのはず。

 元々、あまり戦闘向きの能力ではない俺とシナモンだったが、こうして能力が使えなくなってしまえば、本当に正真正銘戦う術を失ったのと同義だ。


 特に、騎士団の団長であるディルが相手なら。

 今の俺たちに、勝てる見込みなんて皆無と言ってもいい。


「では、早急に終わらせてしまおうか。何、案ずることはない。痛みを感じる暇もないほど、一瞬で逝かせてやる」


 ディルは、白銀に煌く剣を抜く。

 一歩、また一歩と、ゆっくり歩み寄ってくる。

 今の俺には、そのゆっくりとした動作を、まるで死刑を待つ囚人のような気分で見つめることしかできなかった。


 どうする。どうすれば、この危機を脱することができる。

 時間はもうない。早くしなければ、あと数分もしないうちに俺たちの死体が転がっていることだろう。

 一体、どうすれば――。



「――自惚れないでほしい、なの」



 ふと。可愛らしくも恐怖を感じさせない勇ましい声を発したのは、水の精霊チコリだった。

 かと思ったらすぐに踵を返し、水場の中に飛び込んだ。


 この場の全員が、チコリを怪訝な面持ちで見る。

 水場から出てきたチコリは、ひとつの青い石のようなものを手にしていた。


「ちこりを認めさせようともせず、力づくで奪おうとしているなら、でぃるを悪人だと判断する、なの。そんな悪人に奪われないように――」


 怒りも悲しみも何も感じさせない声色で、淡々と口にする。

 そして、言葉の途中で。

 チコリは青い石を口に入れ、飲み込んでしまう。


「――ちこりが相手になる、なの」


 声を発するのと同時に、手のひらを前に突き出す。

 瞬間。

 ディルを取り囲むように、水の柱のようなものが突然現れた。


「……何だ、これは」


 訝しみ、水の柱を見回すディル。

 水場はあれど、ここの床に水なんて一滴もない。

 だというのに、その何もない場所から、あんなにも大きな水の柱を出現させてしまうなんて。


「何って、ただ水を操っているだけ、なの」


 そうか。能力を宿しているのは、俺たちだけではなかったらしい。

 この精霊が持っている能力が――水を操るというもの。

 それも、何もない場所に大量の水を呼び出してしまえるほどの。


 ただ、能力だとすれば、釈然としない点もある。

 チコリも俺たちと一緒にいたのだから、ディルの能力で同じように封じられているはず。

 なら、どうして使えることができているのか。


 そこまで考えて、俺はひとつの考えに辿り着く。

 さっき飲み込んだ石。もしかして、あれが……。


「……なるほど。精霊石、か」


 ディルの呟きに、チコリは肯定も否定もしなかった。

 だが、おそらくそれは間違いないだろう。

 でも精霊石を飲み込むことで再び能力を使えるようになるのなら、俺たちにだって希望はまだ潰えていないことになる。


「チコリ! 俺たちにも、精霊石を――」


「下がってて、なの。まだきみたちを認めたわけじゃない、なの」


 好機とばかりに叫ぶ俺だったが、チコリはこちらを向くことすらせず淡々と答えた。

 分かってはいる。チコリが精霊石を管理しているというなら、与える人もちゃんと選ぶべきだというのは。

 だけど、こういう状況に陥って、何もできずにただ守られるだけなんて。

 ただただ、悔しかった。


「少しばかり驚いてしまったが、無駄だ」


 一閃。

 ディルが剣を薙ぎ払うと、周囲の水の柱が全て真っ二つに裂かれた。

 すると水の柱は崩れ、全て液体となって床が水浸しになる。


「まだまだここから、なの!」


 チコリは手のひらを下に向け、勢いよく腕を上に上げる。

 その動作に呼応するように、ディルの前方に水の壁がせり上がった。

 しかし、今度はそれだけで終わりではなかった。


 右腕を自身の体の前で振り払う。

 背後の水場から、大量の水が俺たちの頭上を通ってディルへ迫っていく。


 更に、両腕を頭上に掲げ、叩きつけるように勢いよく下ろす。

 瞬間、天井の一面から凄まじい量の滝のような水がディルへ降り注いだ。


 激しい水の猛攻だ。

 目で追うのが精一杯なほど、チコリの攻撃は素早く無駄のない動きで行われていた。


 ――だが。

 そんな大量の水は、煌く一閃によって全て弾け、雨となって降り注いだ。


「……どうした。全てを断ち切れる私に、そのような分かりやすい攻撃が通用するなどと本気で思っているのか」


 微動だにしない。

 涼しい顔をして、ただ剣を構えて立っているのみ。

 それだけで強大な敵を相手にしているのだと、身を以て実感してしまう。


 でも。

 それは、チコリも同じだった。

 にやりと口角を上げ、煽るように告げる。


「分かりやすい攻撃……? じゃあ何で、それに気づいていない、なの?」


 刹那――。

 ディルの足元、水浸しになっている床に、泡が浮かび上がり始めた。

 訝しむ暇もなく、何十、何百とあるその泡は虚空へ浮上していき――。

 その中のひとつが、ディルの体を取り込んでしまった。


「な……くッ」


 ディルの表情が、泡の中で初めて歪む。

 剣を振ろうとしているようだったが、どうやら体が動かないらしい。

 いくら何でも斬れる能力があろうと、動けなくなってしまえば何もできない。

 この勝負、チコリの勝利と見て間違いは――。


「く、ククク……」


 勝利を確信したとき、不意に不気味にも思える笑い声が響き渡った。


「ああ、気づいていたさ。だから私は、この場を動かず時が来るのを待っていた」


 負け惜しみだと笑い飛ばすことは容易い。

 だけど、そう言って嗤うディルを見れば、そんな楽観的になれるはずもなかった。


 何だ。奴は一体何をしようとしている。

 訝しみ、泡の中にいるディルを睨みつけるように眺め――。



「……え?」



 ふと、そんな素っ頓狂な声が漏れたのは誰からだったか。

 視界の端に、真っ赤な鮮血が迸るのが見えて。

 顔を横に向けたときには、もう遅かった。


「ち、チコリさんッ!」


 シナモンが、鬼気迫る形相で叫ぶ。

 チコリは激痛に顔を歪め、唸り声を上げ、片膝をつく。

 その肩から腹部にかけて、白く綺麗だった肌に長く深い切り傷が刻み込まれていた。


 チコリが重傷を負ったせいか。

 ディルが入っていたものも含めて、全ての泡が弾けて消えた。


「な、何で……いつの間に……」


「だから言っただろう。私に斬れぬものはない。概念でさえも、斬ってしまえるとな。今のは、空間を切り裂いただけに過ぎない」


「空間を……?」


「そうだ。チコリの前方と、私の前方の空間を切り裂いておいた。そうすることで、私の剣戟がチコリへと届くようになっただけだ」


 淡々とした口調で、そう説明するディルだったが。

 おかしい。それは、おかしいのだ。


「いつ、空間を斬ったっていうんだよ。いつ、チコリを斬ったっていうんだよ! そんなことをしている様子はなかったし、チコリが斬られたときには泡で動けなくなってただろ!」


「空間を斬ったのは、最初だ。こうなることを見越して、君たちが私に気づく前に、あらかじめ斬っておいたに過ぎない。チコリを斬ったのは、水の攻撃で私の姿が見えなくなっている頃だろう」


「……そんなの、時間が合わないだろ」


「だから、時間を斬った。おおよその(みぎり)を予測し、私の斬撃が、その時間にチコリに届くようにした」


 有り得ない。馬鹿馬鹿しい。

 そう一蹴したいのに、目の前で起こっている現実がそれを許さない。


 強すぎる。そう思わざるを得ない。

 チコリがここまでの重傷を負ってしまえば、俺たちはもう戦えやしない。


「……それができるなら、もっと早くできたんじゃないのか」


「何、早く終わらせてしまうと申し訳ないだろう。だから私は、頃合いを見計らっただけさ」


 俺の問いにも淡々と答え、剣を振り翳す。

 チコリという頼みの綱も失われた今、本当に脱する方法なんて何も――。


「……が、ァ……ッ!?」


 そう、思っていた。

 次の瞬間、ディルの腹部に白銀の刃が貫通し、吐血するのを見るまでは。

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