穏やかな凶刃
突然この場に姿を現した、騎士団長の男――ディル。
水の精霊チコリを見据えながら発した、『力づくで奪ってしまえばいい』という言葉。
それらが意味するのは、たったひとつ。
この男は、何としてでも精霊石を手に入れるつもりなのだ。
たとえ、俺たちやチコリを殺してでも。
きっと精霊石を入手するのも、世界を支配するなどという目的への過程に過ぎないのだろう。
つまり、裏を返せば。
ここで大人しく精霊石を与えてしまえば、彼らは世界の支配に一歩近づいてしまうということ。
そんなこと、させるわけにはいかない。
「……本当の悪人が来ちゃったみたい、なの。ごめんなさい、なの。さっきの話は、またあとで、なの」
チコリは、ただ真っ直ぐディルを睨みつけるようにしながら言う。
さっきの話――精霊石がほしいなら、俺たちにチコリを認めさせろという件だ。
その話ですらどうすればいいか分からなかったが、突然のハプニングに見舞われてしまったのだから仕方がない。
まずは、目の前の厄介ごとを片づけなければ。
「……やっぱり、本当なんですね。騎士団が、世界を支配しようとしているのは」
最初、俺に騎士団の企みを話してくれたのはシナモンだったが、そんな彼女ですらやはり半信半疑――いや、むしろ間違っていてほしかったのだろう。
何かに縋るように、何かに期待するように。
シナモンは、ディルに問いかける。
しかし、それでもディルの柔らかな微笑みは崩さず。
あくまで穏やかな口調のまま、それに答えた。
「ふふ、姫様。何を仰っているのか、私には分かりかねますが。私たち騎士団は当然、姫様や国民の皆様のことを第一に考え、平和に楽しく暮らせるような幸せな世界を築こうとしているだけです」
胡散臭い。
ディルの言葉を聞いて、真っ先に浮かんだ感想がそれだった。
そして、何より。
ずっと微笑んだままで、まるで悪意はないと言わんばかりの態度なのが、逆に不気味に感じた。
それなら、初対面の最初から悪意が丸出しだったステビアのほうが、幾許かマシだと思ってしまうほどに。
「時に、姫様。隣の少女は――もしや城に侵入を果たし、ステビアが牢に入れた者だと見受けましたが。そのような犯罪者と、どうしてご一緒にいるのでしょうか」
「ち、違いますっ! ミツバさんは――」
「姫様。犯罪者を庇い立てするのであれば、こちらも相応の対応を致しますが……構いませんね?」
「……ッ」
シナモンは思わず言葉を失い、奥歯を強く噛み締める。
そうだ。彼らにとって、俺は城に侵入し投獄され、そして脱獄までした犯罪者。
シナモンが能力で呼んだ者だなんて知らないだろうし、挙句、俺たちが騎士団の悪事を阻止しようとしているとはたぶん知る由もないのだろう。
でも。俺は一応、シナモンに協力している身だ。
そもそもはステビアを捕まえることで元の姿に戻してもらうことが目当てではあったが、そのためにも利害が一致したシナモンに協力することに決めた。
だから、今ここでディルに襲われ、精霊石が奪われそうになっている現状。
俺だって、大人しくされるがままでいるわけにもいかないのだ。
「わざわざ、ここまで来たみたいで悪いんだけど……ここには精霊石はないみたいだぞ。俺たちだって、ついさっき残念がっていたところなんだから」
俺は告げる。
守るための『嘘』を。
いつかは騎士団と戦わなくてはいけなくなるとしても、今はまだ早い。
せめて、何とか精霊石を入手し、俺の能力を強化してからでないと、勝ち目など皆無にも等しいのだから。
「……ほう。なるほど、無駄足だったということか。ならば、私は帰るとしよう」
能力が上手く通用したのか、ディルは頷き、踵を返す。
だけど、俺は気づいてしまった。
今こうしている間も、ずっと腰に提げた剣から手を離そうとすらしていないことに。
「ああ、そういえば言い忘れていたことがある」
ぞくり、とした。
思い出したように発し、肩越しにこちらを振り向いてきたディルの顔が。
いつものように穏やかなものだったのにも関わらず、何だか今の俺には恐怖にしか感じられないくらい威圧感に近いものを覚えてしまったのである。
「君の……いや、君たちの能力だが――君たちが私に気づく前に、全て斬らせてもらった」
「え……?」
思わず、素っ頓狂な声が漏れる。
斬らせてもらった……って、どういうことだ。
言葉の意味を上手く理解できず、不審がる俺たちに。
次に言葉が発せられたのは、予想外なところからだった。
「へ、変だわ」
オレガノが、自身の手のひらを見下ろしながら呻くように呟く。
俺たち全員の視線が、一斉にオレガノに注がれる。
すると、手のひらから目を離さないまま、戦慄きながら叫び声をあげた。
「透明になろうとしても、能力が何故か使えないのよッ!」
鳥肌が立った。
全身から、血の気が引く感覚すら覚えた。
先ほど、ディルは確かに言った。
――『能力を斬らせてもらった』と。
もしそれが、俺の推測通りだとしたら。
この状況、実にまずいことになったかもしれない。
「私の能力は――斬る。ただ、それだけの話。だが、斬れるものに限りはなく、この世に存在するものであれば何でも斬ることが可能。それが、概念であっても」
再びこちらを振り向いたディルの説明で、やはり推測通りだったのだと察した。
察したのと同時に、自身の顔が青ざめていくのが分かった。
「つまり、だ。能力の楔を断ち切られた今の君たちでは、自身の能力を使うことなど不可能になった、というわけだ」
そのディルの言葉が本当だとすれば、先ほどの俺の嘘まで能力が適用されず、嘘だと見抜かれてしまっているということ。
まさに、絶体絶命。
ほんの少しはあったかもしれない勝機が、完全に霧散した瞬間だった。