目指すは水中
それは、小型の黒い舟だった。
中の様子が見える透明な天井や窓に、少し丸みを帯びたフォルム。
中に五人前後くらいしか入れそうにないが、今の俺たちは四人だし、オレガノの図体の大きさを考慮しても全員分のスペースは何とか確保できるだろう。
しかし、この潜水艦を見て少し疑問が芽生えた。
ここには、当然と言うべきか水場などどこにもない。
目の前の潜水艦ですら、地下空間の隅っこにぽつんと置かれているだけ。
ここから、どうやって精霊石があるというバジル湖まで潜水艦を運ぶというのか。
いくらオレガノが力持ちだったり俺たち全員で力を合わせたところで、小型だろうとそう簡単に持ち運べるほど軽いとは思えない。
そんな俺の怪訝な表情で察したのか、オレガノが意味深な笑みを浮かべながら口を開く。
「んふふ、どうやって行けばいいのか分からないって顔ね。大丈夫よ、そのためにアニスちゃんも一緒に行くようなものなんだから」
「え……?」
自然と、俺やシナモンの視線がアニスに注目する。
今日、突然同行することを聞かされたときは、アニスも俺たちと同じように精霊石を欲しているのかと思ったが。
本当の理由は、潜水艦を運ぶ方法にあったのかもしれない。
「……ちっ、そこのデカパイおばけ! あたしの胸をまじまじと見るな!」
「み、見てないですよっ! 顔を見たんです、顔を!」
「ふん、どうせ『うわぁ……お胸も貧相なら、お顔も貧相ぉ』とか思ってたんでしょ! みんながみんな、あんたみたいに顔が整ってるって思うんじゃないわよ!」
「ひぃ……そんなこと思ってないですってば……っ!」
相変わらず被害妄想が過ぎる。
この二人にも、もっと仲良くしてほしいところなんだけどな……そのためには、まずアニスがそのネガティブ思考を治し、歩み寄ってくれないと難しそうだ。
「あの、それでさっきのはどういうこと?」
さすがに啀み合ってばかりいたら話が進まないため、俺が間に割り込んで問いかける。
すると、アニスはシナモンから目を逸らし、咳払いをしたのち。
いきなり、潜水艦の中に乗り込んだ。
「あたし、アニスの能力は――転移。手を翳したものを、任意の場所に移動させることができる」
その説明の途中で、シナモンとオレガノに片手ずつ手を翳す。
瞬間、さっきまでそこにいたはずの二人が微風を伴って姿を消した。
「手を翳す必要があるから、同時には二つまでしか飛ばせないし、自分自身を転移させることもできないけど。でもね、こういう潜水艦とかだったら話は別。手を翳した部分の中に入っているものも、一緒に飛ばすことができるの」
言いながら、左手は俺に、右手は自身が乗っている潜水艦に向ける。
そして――次の瞬間には、目の前の景色が変わっていた。
眼前に広がる、大きな湖。
どこまでも続く、壮大な草原。
視界の奥にそびえ立つ大きな山に、肌を撫でる心地よい風。
「す、すごいです……っ! アニスさん、こんなにすごい能力を持っていたんですね!」
俺たちが現れたことに気づき、シナモンは潜水艦に向かって称賛の言葉を投げかける。
が、答えは返ってこない。
また無視しているのかとも思ったが、違う。
その直後にアニスの荒い息が聞こえて、すぐさま自分の思考を否定した。
「はぁ……はぁ……んあぁ……あたしの、この能力ね、すんごい、疲れるのよ……」
乱れた息を整えながら、潜水艦の中で突っ伏した。
かなりすごい能力ではあるが、やはりそれなりに欠点も多いようだ。
「大丈夫ですかっ? あ、あの、少し休憩してからにしたほうが……」
「……いい、から。オレガノ、操縦は任せたわよ」
「ええ、任せてちょうだい」
オレガノは頷きを返し、潜水艦の中に乗り込む。
俺とシナモンは顔を見合わせ、暫しの逡巡ののち潜水艦に入る。
窮屈感は特にないが、それでも四人でギリギリだった。
アニスは壁にもたれ掛かり、上を見上げて目を閉じている。
今こうしている間も肩を上下させており、かなり疲れていることは見ただけでも分かった。
「それじゃあ、行くわよ~」
その言葉を発するが早いか、天井を閉じ、操縦を開始した。
一瞬だけ揺れ、ゆっくりと水中に潜っていく。
窓から水中の様子が窺え、泳いでいる魚に思わず目が釘付けになってしまう。
こんな体験、初めてだ。
無意識に口を開け、感動を覚えずにはいられなかった。
「ふふ。今のミツバさん、本当に子供みたいでなんか可愛いです」
ふと。そんな声に振り向くと、シナモンが温かい目で俺を見て微笑んでいた。
途端、何だか恥ずかしくなり、そっと窓から離れる。
「あ、私のことは気にしないで、もっとお魚さんを見ていても大丈夫ですよ」
「うるさい。見てない」
「そ、そうですよね! ごめんなさい、私の勘違いだったみたいです!」
しまった、思わず能力を使ってしまった。
まあ、今に関しては訂正する必要もないだろうし、放っておくか。
それに、やっぱり見てたなんて言ってしまえば、俺がはしゃいでいると言っているようなものだし。それはなんか、恥ずかしいし。
などと考えている間に、変わり映えしない水中の景色に、とあるものが映り込んだ。
一言で言い表すとすれば、神殿だった。
湖の底に神殿がそびえ立ち、その威圧感に圧倒される。
この中、なのか。俺たちが求めている、精霊石があるのは。
潜水艦のまま神殿の中に入っていくと、いきなり壁が立ちはだかった。
しかし、既に来たことのあるオレガノは構造が分かっているらしく、壁に怯むことすらなく潜水艦を上昇させる。
数分ほどかけて昇ると、途中で壁が途切れた。
先ほどまでの壁は床となり、少し高い位置に続いているせいか、この先にはもう水は来ていないようだった。
「着いたわ。二回目だけど、全く変わっていないようねぇ」
道の先を見据えながら、オレガノは潜水艦から出る。
ここからは歩いていくしかないみたいだ。
俺とシナモンも、おずおずと降り――アニスが全く出ようとしていないことに気づく。
「……あぁ、あたしは休んでるから、あんたらは早く行ってきなさい」
「そ、そんなに疲れているんですか? それなら、一緒に休憩を……」
「うっさい、その脂肪が邪魔だっての。あとで追いつくから、早く行け、デカパイおばけ」
「で、でも……」
シナモンはアニスを置いて行くことを躊躇い、アニスから視線を外すことすらできずにいた。
能力の代償で今はかなりの疲労が襲っているため、俺たちと並んで歩くことがあまりできないと悟っているのだろう。
ならば、今どうするのがアニスのためになるのか。
俺はシナモンの肩に手を置き、口を開く。
「アニスもこう言ってるんだし、さっさと行こう。疲れてるんだから、しょうがない」
「……わ、分かりました」
渋々といった様子ではあるものの、頷いてくれた。
そうして、俺たちは神殿の中を歩いていく。
長い長い、とても長い廊下を突き進み。
俺たちは、円状の広い空間に辿り着いた。
大きな水場があるだけで、他には特に何もない。
何なんだろう、ここは。
訝しみながらも、水場に近づいていく。
――刹那。
水しぶきが上がった。
バシャッと音をたて、水の中から勢いよくひとつの影が飛び出してきたのである。
それは、裸の女の子だった。
水色の長髪と、くりっと大きな瞳が特徴的で。
俺たちを視界に捉えるや否や、にやっと不敵に笑みを浮かべた。