☆温かな奮起
シナモンのもとに戻ると、待ってましたとばかりに、まるで犬みたいに駆け寄ってきた。
本当にずっと待ってくれているとは……てっきり、もう諦めて一人で風呂に行っているものかと思っていたのに。
ちなみに、今はオレガノはいない。何か用事があって、どこかに行っているのだろう。
「何の話だったんですか?」
「いや……ちょっとな。クローブのすごさと、あの人って実はいい人だったんだなっていうのを思い知らされた」
「……?」
俺の言っている意味がよく理解できなかったのか、シナモンは怪訝そうに首を傾げる。
しかし、それも一瞬のこと。
それ以上の追及はせず、すぐにワクワクを隠しきれないかのような無邪気な表情へと一転させた。
「それでは、お風呂に行きましょう! オレガノさんから、お風呂の場所は聞いているので、ばっちりです!」
「あ、いや、そのことなんだけど……」
「さあ、早く行きましょう! こっちらしいです!」
「えっ? あ、ちょっ――」
言葉を途中で遮られ、俺の手を取って駆け出す。
振り払おうかとしたが、思いのほか強く俺の手を掴んでいて全く離れてくれない。
あれ。もしかして今の俺って、シナモンより力弱いのか。
それは、元男の俺としては軽くないレベルでショックなんだが。
嘆息を漏らし、仕方なく楽しげなシナモンに引っ張られるがままついて行く。
やがて、徐々にそれが見えてきた。
岩場に囲まれた風呂。
辺りに湯気が覆い、温かそうなのは見ているだけでも伝わってくる。
他に誰もおらず、今だと貸し切りのような状態で入浴を楽しめそうだ。
「すごいな……こんなところでも風呂を沸かせられるのか」
「オレガノさんの説明によると、水やお湯を出せる能力を持っている人が、ここにいるらしいですよ」
なるほど、得心がいった。
つくづく、能力ってのは便利だな。
もちろん俺もそうだったし、みんなも自分の能力というのは選べないのだろうけど、運がよければこうやって日常生活でも活かせたりするのか。
「それでは、早速」
と、急にシナモンは自分の服の裾を掴み、ゆっくりとたくし上げ始めた。
俺は咄嗟に目を逸らし、慌てて呼び止める。
「ま、待って! それじゃあ俺は向こうで待ってるから」
「どうしてですか? ミツバさんも一緒に入るんですよ」
「だって、俺は――」
そこまで言ったところで、シナモンに両手で顔を挟まれ、無理やり前を向けさせられる。
そして少し上目遣いになり、瞳を潤わせた。
「……どうしても、だめですか? 私、誰かと一緒にお風呂に入るということをしたことがなくて、いつも一人で寂しかったものですから……でも、そんなに嫌だっていうなら、私もあんまり無理強いはしたくありません」
いつも一人、か。
俺としては、入浴くらい一人でやりたいものだが、シナモンの場合は違うらしい。
とことん寂しがり屋で、孤独を嫌っているのだろう。
ほぼ無意識に、口から深い溜め息が漏れた。
「……俺と一緒で、シナモンはいいのか? 恥ずかしいとか、そういうのはないのかよ」
「そ、そりゃあ、恥ずかしいですけど。でも、ミツバさんなら大丈夫っていうか、何も変なことはしないって、信じてますから」
何でもうこんなに信頼されているのかは分からないが、信頼されて悪い気はしない。
それに、何より。
自分でもよく説明はできないし理由もよく分かっていないけど、何故だかシナモンにあまり悲しい顔をしてほしくなかった。
それが、たとえ下らない原因だったとしても。
「はぁ……分かったよ。今日だけだぞ」
「はいっ! そんなこと言って、どうせ明日も明後日も一緒に入ってくれるんですよねっ? ミツバさんは素直じゃないですからね!」
「……やっぱやめた」
「わーっ、冗談です! 冗談ですから!」
慌てるシナモンを見て、自然と口角が上がっていく。
正直こっちも恥ずかしいが、たまになら別にいいか。
できるだけシナモンのほうを見ないよう気をつけながら、服を脱ぐ。
俺の長い髪は、シナモンがポニーテールに結んでくれた。
そして、俺たちは静かに湯船に浸かる。
途端、体がポカポカと温まっていく。
あまり自覚はできていなかったが、かなり疲れていたのだろう。
口から深い吐息が漏れ、疲れも癒されるのが分かる。
今日は、本当に色々あった。
この世界で生きていく以上、それは今後も続いていくのだろう。
もしかしたら、もっと危険なことや波乱万丈な生活になってしまうかもしれないけど……シナモンと一緒だったら、それも悪くないような気がしてくる。
なんて、やっぱり疲れてるのかもしれない。
「ミツバさん」
ふと声をかけられ、俺は遠慮がちに目線だけをシナモンに向ける。
「明日、ようやく精霊石を手に入れることができるんですよね」
「そう、だな。むしろ、思ったより早く手がかりが見つかってびっくりだけど」
「あははっ、確かにそうですね」
シナモンは無邪気な笑い声を響かせる。
俺もシナモンも、存外あっさりと精霊石を入手できそうで安堵する気持ちもありはするものの、やはり緊張や不安がないわけではなかった。
「頑張りましょうね。ミツバさんの能力を強化できたら、次はもう騎士団の人たちを相手にしなくてはいけなくなるかもしれませんから」
「……分かってるよ。俺も、ステビアの野郎を捕まえて元の姿に戻させないと、な」
少しずつ、一歩ずつでも。
俺たちは、確実に前に進んでいる。確実に、目的に近づけている。
精霊石を使うことによって、俺の『ついた嘘を必ず信じさせる』という能力がどう強化されるのかは分からない。
不安は大きいが、少し楽しみに思えるのもまた事実だった。
明日、いよいよ出発。
風呂に浸かりながら、明日のことを考えて、シナモンと明日のことを話し合って。
騒がしく高鳴る鼓動を、そっと押さえた。