97話
あづさは久しぶりに動くようになった足をなんとか動かして、窓辺に立った。
鉄格子は相変わらずそこにあったが、やはり久しぶりに使えるようになった魔法を使えば、なんとか鉄格子を破壊することに成功する。
そうしてできた隙間に細い体を滑り込ませるようにして、あづさは部屋の外に出る。
部屋の外は、当然ながら、城壁だ。そこに足掛かりになるものは何もなく、落下すればそのまま、数メートル下の地面に叩きつけられることになるのだろう。
無論、あづさならば着地用の魔法を使える。それでも問題ない。
……だが。
あづさは意を決して、魔法を使う。それは、空を飛ぶ魔法。
ネフワ達に作ってもらった羽を使って空を飛んでいた時の感覚を思い出しながら、空を飛べるよう、風を掴む。
……果たして、あづさは宙に浮いていた。そして自分の意思のまま、空を飛ぶことができるようになっていた。
「やっぱりね」
あづさは苦笑しながら空を飛んで、北の塔の一室を脱出する。
ポケットの中に入れた琥珀の玉が少々重く感じるが、それだけだ。それ以上のことは何もなく、ただ、あづさは空を飛んで、火の四天王城の屋根の上に辿り着いていた。
「私のこと守るために私の自由まで奪っちゃってた、ってことなら、まあ、許せるわ」
あづさは自分の左の二の腕をさする。そこにいつも嵌めていた腕輪は、今は無い。
ギルヴァスがあづさに贈った腕輪が無い今、どうやらあづさは、空を飛ぶ魔法を使えるようになったようだった。
……あづさを地に繋ぎ留めていたものの正体は、腕輪だったのだ。あづさを守るためにと与えられた地の力が、あづさを大地へ縛り付けていたらしい。
だが、悪い気分ではない。くすくす笑いながら、あづさは眼下に広がる戦いの様子を見守る。
「さーて。加勢するにしても、もう少し様子見、かしら」
あづさは城の屋根の上、喧噪を聞きながらじっと、その時を待つことにした。
「……一体、何を、した」
ラガルが問うと、ギルヴァスは何でもないことのように答える。
「まず1つ目だが、ゾンビやスケルトンに命は無いぞ」
そう言われて、ラガルは気づく。……ゾンビやスケルトンは、命を失った生き物だ。そこにあるのは、魂だけ。ならば、生命の火を消すことなど、できはしないのだ、と。
「それから2つ目だが、まあ、水の結界を張らせてもらった。これで火は案外防げるもんなんだなあ」
続く説明に、ラガルは舌打ちした。
何故か地の四天王団の軍勢に水のものが混ざっているとは思っていたが、それがこのように働くとは。
「それから3つ目だが……すまんな。『俺の団の』ドワーフ達が他の種族と協力して、『命の石』を作ってくれた」
「何だと!?」
ギルヴァスは悠々と笑って見せつつ、手の中で砕けた宝石を、ラガルに見えるように掲げた。
『命の石』とは、火の四天王団に伝わる古い魔法の1つである。
様々な金属や宝石を特定の魔法で溶かしてからまた特定の魔法で組み立てて1つの結晶にしたものであり……その性質は、所持者の生命を守る、というものである。
あづさの世界では錬金術、と呼ばれるかもしれないその魔法は、ラガルでもおいそれとは試せないものであった。
何せ、材料が貴重なのだ。純粋な金の結晶や貴重な宝石。そういったものを集めるのは、ラガルでも中々に難しい。特に、自然界において純粋な物質など、ほとんど存在していない。それを生み出すためには、ドワーフ達が長年にわたって築き上げてきた技術が必要になるのだ。
「あづさの世界の知識を使うと、まあ、それなりに簡単に作れるんだ」
ギルヴァスはそう言って、にやりと笑う。
……それを聞いて、ラガルはぞっとした。
『簡単に作れる』と言ってはいるが、それにしても、命の石を作ろうと思ったら金や宝石を消費するのだ。それを、わざわざ配下全員に配ったのか、と思うと、ラガルは気が遠くなるような思いすら感じる。
だが、言われてよく見てみれば確かに、元々火の四天王団の一員であったはずのナイトメアやカーバンクルから、果ては丸々と太った人参大根に至るまで、皆、命の石を一欠片ずつ持っているのだ。
「たかが、弱小種族のために、命の石を与えた、だと……?」
火の四天王団の秘術であり、貴重な素材の結晶である命の石を、植えておけば勝手に増えるような魔物にまで与えるというギルヴァスの行為は、ラガルには到底理解できないものだった。
「そうだな。俺にとって彼らは『たかが』などとは言えない存在なんだ。皆を守るためならばこの程度、惜しくもない」
ギルヴァスはラガルとは対照的に、動じることもなく、ただ堂々とそこに立っている。
……たくさんの、仲間に囲まれて。
「そろそろ、いいかしら」
ふと、そんな声が聞こえて、ラガルはぎょっとする。
見れば、テラスの上の屋根から、あづさがひょこりと顔を覗かせていた。
「なっ……何故こんなところに!?」
「この騒ぎの中、部屋に居ろって言う方が無理よ」
「枷はどうした!確かに、あの枷は……」
「外しちゃった。だっていい加減、自分で歩きたかったんだもの」
あづさはくすくすと笑いながらそう言って……ラガルの予想した方とは真逆の方向へと、進んだ。
……即ち、ラガルの隣へと。
「一応、けじめは付けていくわ。私、地の四天王団に帰るけど、いいわよね?」
「な、何を」
何も言わずに逃げるだろうと思っていたのに、あづさはラガルの前でそんなことを言う。
「私、あなたに『連れていっていい』とは言ったけど、『帰らない』とは言ってないもの」
詭弁だ、と言い募ることはいくらでもできるだろう。だが、ラガルはそうしない。そうしないだけの矜持は、まだラガルの中に残っている。
だから代わりに、ラガルはこう言うことにした。
「お前が魔王様と約束を交わしたということは知っている。地の四天王団で活躍するということが魔王様との約束だ、と。……だが、魔王様も、お前の活躍場所がここになってもお気になさらないだろう。そこは俺が魔王様に口添えしよう。結果としてより魔王軍に利が生じれば、魔王様もお許しになるはずだ。お前に何の損がある」
「そうよねえ……元の世界に帰るってだけなら、まあ、ここに居ても問題ないのよねえ……」
あづさはそうぼやきつつ考えて、ラガルの期待を裏切るように、そしてラガルの予想通り、少々申し訳なさそうに笑いながら答えるのだ。
「つまり私、それじゃ満足できないのよ」
「ファラーシアのパーティーの時も言ったでしょ?私を連れて帰ろうとするなら、体じゃなくて心を連れ帰るようにしなさいよ、って。だから悪いけど、あなたと行くつもりは無いわ。あなた全然、私の心を攫えないんだもの」
笑って、あづさはそう言う。
ラガルはそれに反論できない。
現に自分は配下達に見限られ、裏切られ、かつてのギルヴァスのような有様になっているのだ。
どうしてこうなったのか、と自問自答しても答えは出ないが、しかし、事実は確かにここにある。
……要は、自分よりもギルヴァスの方が、多くの種族から見て魅力的に見えた、と。そういうことなのだろう。
振り返ってみれば、ここ数か月間、ラガルはずっと焦り続けていた。
100年越しの悲願を達成できるのでは、という思いに支配されて、目的以外のものを顧みることをしなかった。
これはその、報いなのだろう。ラガルは自らにそう、結論付ける。
或いは……。
「これすらも、勇者の呪い、か」
そう呟いて、ラガルは自嘲気味に笑う。
「……勇者?」
それを聞いて、あづさは首を傾げた。
勇者、という単語は以前にも聞いたことがある。それは、ギルヴァスが語った、100年前の出来事の中で。
ギルヴァスは勇者が和平を望んできたことを受けて、秘密裏に、先代魔王と勇者とを引き合わせた。しかしその結果、先代魔王は殺され……そして勇者は行方知れずとなった、と。
ラガルが言っているのは、その勇者なる人物のことなのだろうか。だとしたら、何故、今、そのようなことを言うのか。
あづさは不思議に思い……そして、今この瞬間を逃したら、二度と、ラガルにこれを尋ねる機会を得られないような気がして、3度目となる問いを投げかける。
「……ねえ。最後だと思って、聞くけど。あなた、どうして異世界人にそんなにこだわるの?」
ラガルは、あづさを黙って見下ろした。ラガルの瞳の中、燃え盛っていた火は消え、そこには熾火が僅かに残るばかりである。諦めの色の強い表情をあづさに向けたラガルは……ため息を1つ吐くと、遂に答えた。
「俺は、消えた勇者を探している」




