94話
それから、地の四天王団は次々と配下の魔物を増やしていった。
火の四天王団に属しながらもラガルと直接の契約を結んでいない魔物が存外に多く、あちらこちらと手を出しているうちに、声をかけた種族の数は10を超えるほどになっていた。
ギルヴァスはそれらの魔物達の1体1体と丁寧に契約を結び、彼らの協力を心から喜んだ。
火の四天王団に居た魔物達は温かく迎え入れられ、丁寧に一体一体と契約を交わされ、そして住みやすい住まいと畑、或いは小さな鉱山などを約束され……『地の四天王はこういう人物なのだな』と理解した。
火の四天王団からやってきた魔物達にしてみれば、四天王が自ら配下のために働くなど、あり得ないことであった。ましてや、弱小種族の魔物達の1体1体とも丁寧に契約を結ぶ、など。
……だが、ギルヴァスは魔物達に話しかけ、気さくに接し、そしてよく笑った。
そんなギルヴァスを見ていると、魔物達は希望を思い出す。
自分達が虐げられることもなく、穏やかに過ごし、それでいて発展を続けていけるような……そんな素晴らしい日々の夢を。
「早速で悪いんだが、頼みを聞いてほしい。実は……」
ギルヴァスの言葉を、彼らはよく聞いた。
そしてそれらを聞いた上で、ラガルではなくギルヴァスの側につくことを、はっきりと決断したのである。
「ラガル様!」
慌てた様子で駆け込んできた配下のサラマンダーを見て、ラガルは何か、嫌な予感を覚える。
そして案の定、サラマンダーはこう、報告したのである。
「一部の魔物が消え失せました」
ラガルは火の四天王領の東側、鉱山地帯の一部へと飛び、そこでもぬけの殻になった魔物達の住居を呆然と眺めた。
……城からやや遠いこの地帯は、後からやってきた種族達の居住区兼仕事場として活用していた。幸い、地の四天王領から奪った鉱山の力をこちらに流せば、それなりの鉱山になった。宝石や金属類をよく産出するため、レッドキャップやドワーフ、或いは小鬼やゴブリンといった種族が住むのに丁度いい場所であったのだが。
「……何が起きた?」
天変地異が起きたようでもない。何か、殺戮が行われたような跡もない。
そう。痕跡が、何も無いのだ。異様なほどに。
「ラガル様。恐らく奴らは、裏切ったのです」
「ドワーフやレッドキャップ達のように、奴らもまた、地の四天王領へ行ってしまったのではありませんか?」
サラマンダーの戦士達は口々にそう言う。そして、『裏切り者を失うことくらい、大したことではない』とも。
……だが、ラガルにはそうは思えない。
鉱山地帯を埋め尽くしていた種族全てが消えたとなれば、それはつまり、数種類の魔物を丸ごと配下から失った、ということになる。
このあたりに住んでいた魔物達は大した戦力ではなかったが、生産力ではあったのだ。
ドワーフ達を失って武器を造ることが難しくなった。レッドキャップ達を失って資源を得ることが面倒になった。そして、ゴブリンを失って細工物などを作るのも難しくなり、小鬼を失って、土地が荒れていく。
……これはまずい、と、ラガルはすぐに判断した。
そして同時に、ギルヴァスの狙いをも理解したのである。
ギルヴァス側の戦力の不足を考えれば、ギルヴァスがあづさを奪い返そうとするならばギルヴァス自身が直接乗り込んでくるより他に無いだろうと、ラガルは踏んでいた。
もしかすると風の四天王団の助力を乞うかもしれないが、どちらにせよ大した戦力にはならない。犠牲を嫌うギルヴァスの性格から考えても、全面戦争にはならないだろうと高を括っていたのだ。
……だが、ギルヴァスは随分と回りくどくも、弱小種族を狙って引き抜く、という手段に出た。
短期的に見ればそれほどの痛手ではないが、長期的に見たら大きな損害だ。生産力が落ちれば、当然ながら団自体が縮小していかざるを得ない。
「この短期間で、これほどまでの種族が、か……」
ラガルは唇を噛む。
多少、弱小種族には無理を強いることもあったと自覚はしている。だが、そうすることで強豪種族とのバランスを保っていた面もある。何より、異世界人を手に入れるためには、その無理が必要だった。
だがまさか、一気に複数の種族が消えていく事態を招くとは、思わなかった。
消えた種族の内訳は、そのほとんどが戦闘能力も碌に持たず、下手をすると生産能力すらも碌に持たない弱小種族であったが、ベノムサーペントといったそれなりの強さと地位を持っていたはずの種族までもがいくつか消えている。
ギルヴァスは一体どんな手を使ったのか、と、ラガルは考えながら、火の四天王城へと戻る。
城へ戻ったラガルを、次の報告が待ち構えていた。
「ラガル様。水の四天王、オデッティア・ランジャオ様より書簡が届いております」
配下から受け取った書簡は青色の美しいもので、確かにオデッティアからのものだろうと思われた。
……そして中の書状を見て、ラガルはまたも、驚愕することになる。
『ベノムサーペント他数種の魔物は本日を以て水の四天王団の者となった』。
ラガルは書状を数度読み直して、混乱する。
魔物達の引き抜きを行っていたのは、ギルヴァスではなくオデッティアだったのか、と。
書状の書き方では、ベノムサーペント以外にも引き抜いた魔物がある、というようになっている。それが具体的に幾つなのかは分からないが、1つではないだろう。
……ラガルは大いに混乱した。敵はギルヴァスだけではなかったのだ。1つの敵だけを見据えていたならば、足元を掬われる。
そして……このオデッティアのちょっかいによってラガルは、対応を大きく誤ることになる。
攫われてから一月と二週間半。
あづさは暇であった。
教養のため、と用意された本は読みつくした。元々文章を読むのは速い方だ。小ぶりな本棚1つ分の本など、あづさが読み終えるのには2週間もあれば十分だった。
……では残りの期間、あづさが何をしていたか、というと……専ら、自分の世話係を誘惑していた。
「カニナ、今日もありがとう。私、あなたが居なかったらもっと退屈だったわ」
自分の着替えを手伝いに来た犬頭の女戦士に微笑みかけると、彼女は尾を振って喜ぶ。
「あづさ様のお役に立てているなら嬉しいです」
どうやら、人の役に立つことを好むらしいこのコボルドという種族は、あづさが褒め、頼りにすればするほどあづさに尽くすようになった。正に犬ね、とあづさは内心で思っている。
ラガルは褒美こそ与えるが、賞賛や感謝を伝えることはあまりなく、ましてや『配下を頼る』ことなど全く無い……ということは、火の四天王城に来てからそれほど経たずして把握できた。
だからこそあづさは精一杯コボルドの女戦士を誉め、頼り、時には甘え、時には甘えさせることで次第に彼女を絆していったのである。
「何かご入用なものはありませんか?ここでの生活は退屈でしょう?」
「ええ。ありがとう。でもあなた達が居てくれるから、そんなに酷くないわよ。確かに、そろそろ外の景色を見たいとは思うけれど……」
あづさはコボルド達を責めることもなくそう言って、ふと、窓の外を眺める。
自力で立つことも難しいあづさにとっては、窓の外の景色を眺めることもまた、難しい。精々、窓から見える空を眺める程度のことしかできず、周囲の地形を把握したり、周囲の様子を見たりすることは到底できなかったのである。
「……失礼しますね」
コボルドはそんなあづさを哀れに思ったらしく、あづさを抱き上げて、そっと窓へと近づいた。
「見えますか?」
「……ええ。見えるわ。すごい、ここ、こういう景色だったのね……」
コボルドの腕の中、あづさは窓の外の景色を存分に眺める。
赤茶けた石と黒く固まった溶岩の入り混じる土地。山が天然の城砦を築いており、その外側には川もあり、緑地もあるらしかった。火の四天王領、とは言っても、それなりに住みやすい環境ではあるらしい。
……あづさは近くの地形などをよく見て把握しつつ、やがてコボルドに「ありがとう。もう大丈夫よ」と声をかけてベッドへ戻してもらう。
それからコボルドと一緒に午前中の喫茶を楽しみ、談笑し……そしてコボルドが居なくなってからは1人、体が鈍る事を防ごうと、トレーニングを始める。
腕立て伏せや背筋運動、ストレッチなどを繰り返して、いざ足枷が外れた時、すぐに動けるように、と心がける。
ギルヴァスは、一月か二月、と言った。ならば、約束の時は近い。怠けてなどいられない。不安な要素はいくらでもあるが、それでも、できることはやっておきたかった。
……そんな折。
あづさは不意に、「きゅっぽん!」というような奇妙な音を聞いた。
まるで、ワインの瓶からコルク栓を抜いたような、しかし、それよりももう少し柔軟で弾力のある音。それは、浴室の方から聞こえた。
「……何かしら」
あづさはベッドから這って降りると、床を這ってなんとか、浴室の方へと向かう。
すると。
「えっ……嘘っ!?」
あづさは浴槽の中を覗いて、驚いた。
そこには小さなスライムが居て、そのスライムはあづさを見るや否や、ぴょこん、と飛び跳ねて飛びついてきたのであった。
「排水溝から出てきた、のよね?じゃあ、水路を辿ってここまできてくれたの?……よく私がここに居るって分かったわね」
スライムに話しかけつつスライムを撫でれば、スライムはぷるぷると体を震わせながら、あづさの手に擦り寄ってきた。
「……寂しかったわ。また会えて嬉しい」
あづさがそう言えば、スライムはぷるん、と元気に震えて、あづさの言葉に応えるようにする。
久しぶりに見たスライムの姿は、あづさの心を大いに癒した。スライムと再会して、あづさは今まで自分が不安で寂しかったことを自覚する。
「もう離さないわ。またよろしくね」
あづさはスライムを手に、そう挨拶し……。
しかし。
「失礼します」
部屋の戸が叩かれ、コボルドが入ってくる。しまった、とあづさが思うも、もう遅い。
コボルドはベッドの上にあづさが居ないことに気付き、そして即座に浴室の方を向き……そこで、床に座り込んだあづさと、あづさの膝の上に居るスライムとを、見つけてしまった。
「……んっ!?し、侵入者ですか!」
コボルドは、スライムの存在に気づいてすぐ、片手を得物の手斧に掛ける。
「ま、待って!やめて、殺さないであげて!」
そこであづさはスライムを抱き上げて、コボルドから守るように抱え込んだ。
コボルドはあづさが抱えているスライムを攻撃する訳にもいかず、どうすることもできずにただ困惑しつつその場に立ち尽くす。
「ねえ、お願い。この子、こんなに小さいのよ?悪さなんてしないわ。戦力にもならない。大人しくさせておくから、見逃して。ねえ、いいでしょう?」
更に、あづさがそうコボルドに懇願すれば……。
「……分かりました。スライム1匹程度なら、見逃しても構わないでしょう。それであなたの心が休まるなら」
コボルドはそう言って、スライムを見逃すことに決めたらしい。あづさは表情を綻ばせると満面の笑みで礼を言って、コボルドへと手を伸ばし、彼女に抱き着く。
「ありがとう。ああ、カニナ。あなたがお世話係で、本当によかった……」
本心からそう言って、あづさはコボルドに存分に甘えた。
コボルドはあづさににっこりと微笑みかけ、そして、あづさをスライムごとベッドへ運ぶと、あづさがここに来てから一度も見せた事の無い明るい笑顔で居るのを見てまた、笑みを深める。
あづさは「良かったわね」とスライムを掌に掬い上げて、そこで揉んだり伸ばしたり、存分にスライムと戯れるのだった。
「ん?」
ギルヴァスは、自分の懐に入れておいたスライムが急に動き出したので驚いた。
ギルヴァスの所に居るスライムは、うにうにと形を変えて、ギルヴァスにあづさからのメッセージを届けていたのだ。
「そうか……スライムを動かせる状況になったんだな」
ギルヴァスはスライムを撫でると、また懐へスライムをしまい込み、立ち上がる。
……ギルヴァスの眼前には、ラガルと戦った時の山が、聳えている。
「もうこれ以上待たせるわけにはいかんからなあ」
山の向こう、火の四天王城を見据えて、ギルヴァスはそちらへと、足を踏み出す。
そんな彼の後ろでは、ぞろぞろと、大勢の魔物達が各々に動いているのだった。




