93話
あづさの元には一日に数度、召使いらしい魔物が現れては身の回りの世話をしていった。食事を運んだり、着替えさせたり、入浴させたり。
……あづさの脚に着けられた枷は、あづさの脚の自由を見事に奪っていった。あづさは脚に力を入れることができず、自力では立っていることすら難しいのだった。歩くなど当然できるはずもなく、あづさの移動と言えば専ら誰かに運ばれて行うものとなっていた。
あづさがネフワ達に作らせた羽は、この部屋に入れられる際に没収されている。あれがあれば自力で移動し、何ならこの塔から脱出することもできたかもしれないが。
更に痛いことに、あづさはスライムまでもを没収されている。連絡手段が無いこともそうだが、心を許せる相手が身近に居ない、ということがあづさの精神力を削り取っている。
「せめて魔法が使えればねえ」
そして、あづさは魔法までもを封じられていた。足枷によるものなのか、はたまたこの部屋自体がそういった働きをしているのかは分からなかったが、確かなことは、あづさは魔法が使えなくなっている、ということなのである。
……あづさがこの部屋に入れられて、3日が過ぎた。今のところ、生活に変化はない。ラガルはあづさを警戒しているらしく、1日に1度あづさの元を訪れてくるが、特に外の情報を漏らそうとはしなかった。
あづさを活用するよりも、あづさを逃がさないようにすることが優先されているらしい。
そんなの宝の持ち腐れじゃないのよ、とあづさは思うが、ラガルにそれを言ってみたところで仕方のないことである。
さて。こうして1日中部屋の中に押し込められ、自力で動くことも難しく、ベッドの上で本を与えられてそれを読むばかりのあづさは、ものの見事に暇を持て余しつつ……それでも何もしないでいるわけではなかった。
まず、部屋の全貌を明らかにした。
部屋の大きさは12畳程度。家具もあるので、床面積はもう少し少ない。
部屋の中にあるのは大きなベッド。それから机と椅子。ベッドの横にはあづさのために新たに運び込まれた本棚と書き物机があり、あづさはこれで暇をつぶすことになっている。
窓は北に1か所、東に1か所。それぞれ華奢で装飾的ながらも鉄格子が嵌っており、あづさの力ではびくともしない。そもそも、脚が動かない今では、窓枠に手を掛けること自体が難しかった。
壁には重厚感のあるビロードの緞帳が掛けられており、石壁の部屋の中でもそれなりに暖かく快適に過ごせるようにしてあった。
床は絨毯敷きで、脚を動かせないあづさが這ってなんとか移動するのを助けている。絨毯が無かったなら、あづさは部屋の全貌を眺めることでしか確認できていなかっただろうし、手洗いに1人で行くこともできていないだろう。
……そして、部屋の西側には手洗いや風呂場がある。これらは別室になっていて、扉を抜けた先にある。あづさが這って移動する都合上、扉は開けっ放しにしてあった。
浴槽は磨き上げられた黒大理石と金装飾の豪華なものであり、そこに張られる湯もたっぷりとして贅沢なものだった。あづさがここに来てから、湯船には毎日異なる花が浮かべられて、あづさの数少ない楽しみの1つになっている。
風呂場の高い位置にも窓が1つ小さくあるが、やはりそこにも鉄格子がある。あくまでも明り取りのための窓であるらしいので、仕方ないのだが。
……これが部屋の全貌である。南側には城の内部へ続く扉があるが、いつも厳重に鍵が掛けられており、そこから脱出することはまず不可能だろう。そもそも、あづさは自力で歩けないので、やはりそこから脱出するのはあまりにも難しいのだが……。
食事は毎日3度出てくる。そして昼食と夕食の間には、間食が供された。
茶と茶菓子があづさの座る椅子の前、豪奢な細工のテーブルの上に並べられて、そして大抵は、あづさの向かい側にラガルが座る。
ラガルはどうやら、毎日間食の時間をあづさとの面談の時間にしているらしかった。
「どうだ、調子は」
「最悪ね」
あづさは憚ることもなくそう言い切って、ラガルを睨む。
「私を何のためにここに置いてるわけ?飾り物が欲しかったわけじゃないでしょ?」
「まあ、そう焦るな」
あづさが苛立ちをぶつけてみたところで、ラガルの態度は変わらなかった。
「地の四天王領で何か動きが無いか探っているところだ。ギルヴァス・エルゼンがすぐにお前を諦めるとも思えん。警戒するに越したことはないだろう」
「へえ、そう。じゃああなた、永遠に警戒してなきゃいけないわよね?」
「永遠?ありえない。向こうが諦めるように仕向けてやれば、そのうちお前もここで自由に動けるようになるだろう」
「随分自信があるのね」
ギルヴァスがそんなに簡単に諦めるわけないわよ、とあづさは思いつつ、しかし同時に、少々の不安を感じてもいた。
……あづさは、ギルヴァスが目覚めたところを確認したわけでもない。彼の傷は癒えたが、無事に元通り動けるようになったかはあづさには分からないのだ。
そして何より、ギルヴァスの体調も無事に戻っていたとしても、彼があづさを迎えに来れるかは分からない。……迎えに来ることを諦めないとも、言えないのだ。
そんなあづさの表情を読み取ったのか、ラガルは喉の奥で笑う。
「不安か?」
「ええ。そうね。ここに閉じ込められたまま私が先に死ぬんじゃないかって気持ちでいっぱいだわ」
強がりつつも実際に心配なことを口に出してみれば、ラガルは少々、面食らったような顔をした。
「……異世界人の寿命は短いのか?」
「あなた達と比べればね?」
「それは……どれくらいなのだ。言ってみろ」
少々焦ったような顔をするラガルを珍しく思いつつ、あづさは素直に答えてやることにした。
「そうね。私の場合、あと60年か70年、ってとこかしら。でもこの世界、私の世界より医療の発達は遅そうだから、魔法があるにしても……もうちょっと短いかもね」
魔法で傷を治すことができても、疾患を治すことができるようには思えない。それらを加味してあづさが答えると、ラガルは、そんなにか、と声を漏らす。
……そこであづさは、不思議に思った。
どうにも、ラガルの表情が、悲しそうに見えたのだ。
「……何?そんなに悲しかった?」
あづさがそう聞いてみると、ラガルはすぐに表情を引き締めて、いや、などと曖昧な返事でその場を濁す。
「そういえば、この間聞きそびれたけど……あなたってどうして、異世界人なんか、召喚したのよ」
あづさが問えば、ラガルは明らかに動揺した様子を見せた。
やはり、何かある。あづさはそう確信して、ラガルの答えを待つ。
「……異世界人は有用だ。お前が地の四天王団で行ったことを見ていれば分かることだろう。召喚する価値がある」
すると、ラガルはそうとだけ言って、茶のカップを傾ける。
「それだけ?」
何かを隠していることは、すぐに分かった。あづさはもう少し踏み込んでみようとしたが……しかし、ラガルは茶を飲み終えると、席を立ってしまう。
「それだけだ。それ以外に何がある」
「あなたって嘘吐くの、下手ね。確かに私みたいなのが参謀としていた方がいい気がするわ。それこそ、3か月前、唐突に慌てて異世界人を召喚するための供物を用意し始めちゃうのも納得できるくらいにね?」
あづさが揶揄うようにそう言えば、ラガルは苦々しい顔で振り返った。
「……3か月ほど前。異世界からの生物を召喚する魔法を、改良することに成功したのだ」
「改良?」
そういえば、異世界から召喚できる生物は指定できない、というような話を以前、ギルヴァスから聞いたことがある。あづさはそう思い出した。高いコストを払って、召喚できるものが異世界の虫一匹だったならばあまりにも割に合わない。だから、異世界の生物を召喚しようとする者はほとんどいない、というような話だったはずだが……。
「改良、ってことは、召喚対象を人間だけに絞れるようになった、ってこと?」
あづさが尋ねると、ラガルは何か答えようとして、しかし、口を噤むと、そのまま部屋を出ていってしまった。
……やはり、何かある。
あづさは首を傾げつつ、しかし、手に入った情報の重さを、確信してもいた。
ラガルが何か隠している、ということが分かったのはいい。そこを突けば、何か隙を生じさせることができるかもしれない。
……だが、それはそれとして、あづさはやはり、不安の渦中に居た。
ギルヴァス達は今、何をしているのだろうか。地の四天王領で何か動きがあれば多少、あづさの元にも情報がくるかもしれないが、ラガルが統制してしまえば、それすらもあづさの耳には届かないかもしれない。あづさの知らないところで何かが起こっているのかもしれないし、もしかしたら何も起きていないのかもしれない。
考えれば考える程、不安だった。自分がそこに介入できないということが何よりも不安だった。そしてその次くらいに、ギルヴァスが助けに来るという確証がないことが、不安だったのだ。
「……早く迎えに来てね、って、言ったじゃない」
意識のない相手に何を言ったところで無駄だったと知りつつも、あづさはそう呟いて湯船の中に鼻まで浸かる。
今日も夜が来て、入浴の時間になった。あづさを介助する係らしい犬の頭を持つ女戦士は、あづさが湯船で温まる間、湯船から少し離れたところで待機している。
お風呂にくらいゆっくり浸からせてよ、とあづさが強硬に主張して以来、犬頭の女戦士は流石にあづさを哀れに思ったらしく、入浴の時間はしっかり確保してくれるようになった。
そんな彼女の対応をありがたく思いつつ、あづさは湯船の上に浮かぶ花を眺める。
今日の湯船に浮かべられた花は、薔薇だった。よい香りがふわりと漂い、ささくれだった気分が落ち着く。
特に意味もなく、花の1つをちょんとつつく。水面で揺れる花を眺めて、ぼんやりと物思いに耽る。
……と、その時だった。
あづさは、妙なことに気づく。
水面に浮かべられたはずの花が1輪、湯船の底に沈んでいるのだ。
犬頭の戦士に気づかれないように、そっと、あづさは湯船の底の花を掬い取った。それはまだ蕾だった。咲きかけの薔薇の蕾が一番香りが良い、というような話は聞いたことがある。ここに未だ咲ききらない蕾の薔薇があること自体はおかしくない。が……蕾が水に沈む、とは聞いたことが無い。
あづさは掬い取った蕾に、確かな重みを感じた。そして、犬頭の戦士に気づかれないよう、蕾の中を、そっと覗いてみる。
すると。
……蕾の中に、ころり、と。黄金に装飾された琥珀の玉が、入っていたのである。
黄金細工の琥珀の玉に触れてみると、そこに微かに、しっくりとくる力を感じる。それはあづさがずっと隣に感じていた……ギルヴァスのものであった。
そして蕾の内側には、一体どうやって書いたのか、小さな文字でメッセージがある。
『一月か二月待たせる、だってよ!頑張れよ!』。
どうやら水に触れている間だけ浮かび上がるらしいその文字は、やがて花びらから水滴が落ちていくにつれて薄れて消えていく。
「……しょうがないわね」
あづさはくすくすと笑いながら、そう言って薔薇の蕾をそっと、タオルに包んで隠した。
二月でも三月でも待ってあげるわよ、と、心の中で呟きながら。
……一方、その頃。
火の四天王城の下水道に、蠢くものがあった。
透明な体を震わせて、スライムは1匹、下水道を進む。
ラガルの命令通り、律儀に用水路に放り捨てられたスライムだったが、そのまま下流へと流れていくのではなく、用水路の側面に張り付いて進み、再び火の四天王城の内部へと戻ってきたのである。
スライムは誰にも気づかれること無く下水道の中へと入り、城のあちこちから流れてくる水の中、地道に地道に進んでいく。
……丁度その時、下水道を水が一気に通っていく。スライムは流されまいと水路の天井に張り付いて水をやり過ごす。
その水は妙に生温く、そして、華やかな良い香りのする水だった。
スライムは一通りその水をやり過ごすと……良い香りの水が流れてきた方へと、また進んでいく。
良い香りのする水は、一日に一度、およそ決まった時間に流れてきた。スライムは下水道の分岐点に差し掛かる度に良い香りのする水を待って、そして、その水の流れてきた方へと進んでいく。
地道に。只々、地道に。
……そして、『スライム』としてはおよそあり得ないことに……明確な意思を持って。




