90話
ギルヴァスが目を覚ました時、空は明るくなっていた。
体を起こすと、不思議なほど体が軽い。いっそ死んだのかとも思えるほどの体調の良さだったが、周囲を見渡してすぐ、そこにドワーフ達とレッドキャップ達の姿を見つけ、これが現実だと感じ始める。
「俺は……どうなったんだ?」
思い出そうとしても、記憶が途中で途切れている。確か、ラガルと殴り合った後にイフリート達を止めるべくドワーフ達の方へ飛んで……そのあたりから、記憶が無い。
……だが、どうにも、無事に済んだわけではないらしい、ということだけは、嫌でも感じ取れた。
自分を見守るドワーフとレッドキャップ達の表情は暗く、そして何より……ここに居るべき者が、居ない。
「あづさは……どこだ?」
ギルヴァスの問いにドワーフ達が答えるより先に、ギルヴァスは自力で、自分の傍らに落ちている腕輪を見つけた。
それは、ギルヴァスがあづさに贈ったものである。
「へえ。案外普通のお城なのね」
「一体どういう城を想像していたのだ」
「常に燃えてるのかと思ってたわ」
あづさはラガルに抱きかかえられたまま、火の四天王城へ到着していた。
火の四天王城は華やかながら重厚感のある造りをしていたが、あくまでそれだけだ。火の四天王の城なのだから常に燃えていたり、堀に溶岩が溜まっていたりするのかと思っていたあづさとしては拍子抜けである。
「……ところで、いつ降ろしてくれるのかしら?まさか私が自力で歩けないとでも思ってる?」
あづさはラガルに抱えられたまま、ラガルを睨んでそう言った。
するとラガルは、上機嫌そうに笑って答える。
「足枷を調達できるまではこのままだ」
「何よそれ。足枷?鎖で繋いでおくの?賢明だけど、趣味は悪いわね」
「お前を捕えておくのにはそれでも不足だろうがな」
ラガルはあづさの抗議にも構わず、あづさを抱えて城の扉を開き、中へ入る。
大広間に入ると、ファンファーレが鳴らされて王の帰還を祝福した。それと同時、通路の両脇に控えていた火の配下達が一斉に一礼し、ラガルを迎え入れる。
ラガルは満足げに堂々と、配下達の並ぶ間を歩いていく。
……あづさは居心地悪く思いながらも城の中を見渡す。金と玄武岩、そして黒曜石に柘榴石。そういったもので作られた城の中には真っ赤な絨毯が敷かれ、そして、壁にも天井にも、燭台が多く飾ってある。そこに燃える火は明々としていて、ここが火の四天王城なのだと知らしめるようだった。
そして両脇に控える魔物達は、赤い石でできた人形のようなものだったり、犬の頭を持つ戦士であったり、燃える羽をもつ大きな蛾であったり。見たことのない魔物が皆、ラガルに敬意を表して頭を下げていた。
ラガルは絨毯の上を歩き、その先にあった階段を上り、更にその先の扉を開く。
そこは玉座の間であるらしかった。城に入った直後同様、配下と思しき魔物達が両脇に控えている。ラガルは絨毯の上を悠々と歩き、その先の玉座へと座った。
あづさはラガルの膝の上に置かれた。あづさもここで抵抗するほど馬鹿ではない。大人しくラガルの膝の上で、魔物達を観察することにした。
玉座の間に居る魔物達は、恐らくそれなりの地位にある魔物達なのだろう。サラマンダーの他、火の粉を蒔く妖精のようなものであったり、赤い甲羅を持つ巨大な亀であったり。
……彼らの視線は、玉座の上のラガルの膝の上、あづさへと向けられている。
「……さて。今回の成果は見ての通りだが、一応報告しておこう」
ラガルはそう前置きすると、配下達に向けて話し出す。
「俺は地の四天王、ギルヴァス・エルゼンを倒し、例の異世界人を奪還することに成功した!」
途端、配下達は惜しみない拍手を送り、或いは歓声を上げてラガルを褒め称える。
ラガルは少しの間を置いてから彼らの称賛を押し留め、続ける。
「あづさとの契約によって、地のギルヴァス・エルゼンと裏切り者のドワーフ、レッドキャップについては見逃すこととした。だが、万一、また卑小な地の四天王領から出てきてこちらに歯向かってくるようなことがあれば、その時は殺せ」
ラガルはそう言ってからチラリとあづさを見たが、あづさは何も言わない。
別に構わない。一度地の四天王領に彼らが帰るなら、それでいい。
「……あづさにはいずれ、火の四天王団の内政に携わらせるつもりだが、しばらくの間は大人しくしていてもらう。北の塔の部屋を使う。周知しておけ」
ひとまず、自分が連れていかれるのは北の塔であるらしい。それが分かっただけでも収穫だ。
「しばらくの間、城に警戒態勢を敷け。恐らくそう遠くなく、ギルヴァス・エルゼン達が攻めてくる。警備の任務を中心に業務を切り替えるように。以上だ」
ラガルはそう言うと、またあづさを抱えたまま玉座から立ち上がり、玉座の間を出た。
その間も配下達は、ラガルへの礼を忘れず、恭しく振舞うのだった。
「ここが北の塔、ってわけじゃなさそうね」
あづさは連れていかれた部屋で、開口一番にそう言った。
「ああ。ここは俺の部屋だ。今、北の塔の部屋は整備をさせている。他にもお前を閉じ込めておくための準備があるのでな」
そしてラガルの返事に納得する。まあそうよね、とあづさは頷いた。さて、一体どういう状態でこれから軟禁されることになるのやら、と少々遠い目をしつつ。
ラガルは部屋の中を進み、ソファに腰を下ろした。逃げられることを警戒してか、相変わらずあづさを抱えたままである。
「……あのねえ。いい加減、降ろしてくれない?今更逃げたりしないわよ」
「警戒するに越したことはないだろう」
「暑苦しいのよ、あなた」
あづさはラガルの膝の上で身じろぎするが、ラガルは取り合おうとしない。どうやら、あづさに対して相当の警戒意識を持っているらしかった。
これは、逃げ出すのも相当難しそうだ。あづさはため息を吐いた。
それから少しすると、ラガルの部屋には茶と茶菓子の盆、そして酒が運ばれてきた。
ラガルは迷うことなく酒のグラスを取って飲み、上機嫌であづさに茶と茶菓子を勧める。あづさも、ここで毒を盛られることもないだろうと割り切って、茶を飲み、茶菓子を齧る。茶は気候とラガルの体温を考えてか、アイスティーが供された。喉が渇いていたのでありがたかった。
茶菓子は香ばしいクッキーのようなものだった。ざっくりとした歯ごたえとコクのある甘み、刻んだナッツ類の香ばしさが美味しい。悪くないわね、とあづさは思う。
一通り、茶を飲み、茶菓子をつまんでいると、そんなあづさを見下ろして、ラガルは笑う。酒を飲んでいるからか、また多少、機嫌が良くなっているらしい。
「さて。一応、お前の能力について聞いておこうか」
そしてラガルは、そうあづさに尋ねてくる。
「能力?……そうね、まあ、多少は魔法が使えるわ。使えないものも多少あるけど。それから、肉弾戦はほとんどできないわね」
「戦闘訓練は受けたことが無いのか?」
「ギルヴァスに魔法を少し教えてもらったくらいね。肉弾戦の方は当然、何も。……当然でしょ」
あづさの返答に、ラガルは首を傾げる。恐らくこの世界では戦闘訓練をある程度受けることが『当然』なのだろう。
「それから、まあ、あなたも知ってるとは思うけど、私、異世界人だから。だからあなた達が知らないことを知ってるし、あなた達が知ってることを知らないわよ。それくらいね」
「ほう。そうか。……他には?」
「生憎、過小評価はしない主義だけど、同時に過大評価できない性質なの」
あづさとのやりとりで、ラガルは、成程な、と呟いた。そして、ふと、また首を傾げた。
「地の四天王団では参謀だったと聞くが、兵法を学んだのか」
「そんなわけないでしょ。大体、地の四天王団に『兵』が居るとでも思ってるの?戦力はほとんど全部ギルヴァスだもの、兵法も何もあったもんじゃないわ」
諸葛孔明の本くらいは読んだことあるけど、とあづさは呟いたが、ラガルはそれには気を留めず、そうか、と言ってにやりと笑みを漏らした。
「確かに、地の四天王団ではお前の能力を如何なく発揮することは難しかっただろうな。だが案ずるな。我が火の四天王団はお前の能力を余すことなく発揮するための下地がある」
「ああ、そう」
「ギルヴァス・エルゼンが持っていないものを、俺は多く持っているぞ。兵も、財力も、そして四天王としての力も、だ」
ラガルはそう言うと、満足げに笑った。あづさはその笑みに、嘲笑を返す。だがラガルは気にした様子もなく続けた。
「……ファラーシアのパーティーでの混乱も、お前の手によるものだったのだろう?」
「どうかしら」
「分かっている。その後の風の四天王領の動乱についても、地の四天王団の手が入ったことによるものだったということは既に調査済みだ」
調査してそれしか分かってないならあなたあんまり頭よくないわよ、と言ってやろうかとも思ったが、あづさは黙って続きを待つ。
「お前の能力はまだ、少人数を動かすことにしか生かされていない。だが、精鋭数名を動かすだけで、四天王団1つをひっくり返すことができるなら、兵団1つを任せてみたいと思うのは当然のことだろう?」
ラガルはそう言って、またグラスを傾け、酒を飲む。あづさも茶を飲みつつ、考えた。
……どうやらあづさは、中々に過大評価されているらしい。
少なくとも今のあづさには、兵団1つを動かせるような能力は無い。少数精鋭で四天王団をひっくり返した例についても、条件が相当に限られていた。そして何より、あづさの能力は指揮能力ではなく、あくまでも異世界の知識を用いて未知の攻撃を行う、という点にある。
……だが同時に、兵法とやらを学んでみれば、それなりの成果は出せるだろうな、ともあづさは思った。やってできないことはないだろう、と。
「ま、勝手に期待してくれる分には構わないけれど。使ってみてがっかり、ってこともあり得るわよ」
「それは俺が決めることだ。お前が今ここで決めることではないな」
ラガルの返事を聞いて、あづさは、ふと、思った。
「1つ、聞いてもいいかしら」
ラガルは黙ってあづさを見下ろし、続きを促す。あづさはそれに従って、純粋な疑問を発する。
「あなた、どうして私が欲しかったのよ」
「兵力も財力も力もあるんでしょ?なら、それ以上を望む必要なんてない。向上心があったから、なんていうわけでもなさそうだし」
「……そうだな」
「あなたに指揮能力が無い、っていうわけじゃなさそうよね」
「そうだとも。俺は俺の力で、火の四天王団をここまでのものに引き上げてきた。それは俺の能力だったと自負している。……だが、他の四天王団はそうではない」
ラガルはラガル自身も迷うように、言葉を探しては話していく。
「例えば……お前が地の四天王団に居たならば、地の四天王団は大きく力を増す。お前のような力ある者が居ないからな。お前の影響力は大きいだろう」
「そうね」
「だからこそ、他の四天王団にお前を置いておくわけにはいかない。火の四天王団をよりよくしていくためにお前が必要だがそれ以上に、他の四天王団が力を得ないことが重要なのだ」
ラガルの返答を聞いて、あづさは益々、疑問を抱く。
「なら、どうしてわざわざあなたが、異世界人を召喚したの?」
「召喚するためにあなたは、相当な供物を用意してる。レッドキャップ達に宝石を集めさせたし、ドワーフ達には宝飾品を作らせた。無理をしてそんなことをさせて、そんなことまでして異世界人を召喚した理由って、何?他の四天王団に取られたら困るのに、必要無いものをわざわざ召喚する必要、無いわよね?」
あづさの疑問をぶつけられたラガルは、目を瞠って口を噤んだ。
……そしてラガルがもう一度、口を開こうとした時、部屋の扉がノックされる。
「入れ」
「失礼します。ラガル様。北の塔の部屋の準備が整いました。それから、道具についても」
入ってきたサラマンダーはそう言うと、後ろに控えていた犬頭の戦士が捧げ持っていた盆を受け取り、それをラガルへと差し出す。盆の上に載っていたのは、黄金細工の装飾品にも見えたが……あづさはそれが何かを、すぐに察することができた。
ラガルは笑ってそれを受け取ると……黄金とルビーでできた足枷を、あづさの細い足首に嵌めた。
「きゃ」
途端、あづさの脚から力が抜ける。脚を自力で動かすことが難しく、もどかしい。
「な、によ、これ」
「案ずるな。お前が逃げ出さないようにしただけだ。お前が逃げ出さなくなったなら外してやる」
奇妙な感覚にあづさが戸惑っているとラガルは笑って、それから、あづさの服に手を掛けた。
「な、何すんのよ!」
「身体検査だ。……お前からお前以外にもう1つ、生命の火を感じる。かなり異質な火ではあるが、俺の目は誤魔化されん」
スライムのことか、とあづさは察するも、どうすることもできない。スライムがうまく隠れてくれないかと祈りながら、ラガルの手があづさのワンピースドレスのウエストのリボンを解いていくのをじっと耐え……。
その時だった。
あづさのスカートの裾から、スライムがぴょこり、と飛び出してきた。
「あっ、な、なんで出てきちゃうのよ!ばか!」
「……こいつか」
ラガルは飛び出してきたスライムを掴み上げると、しげしげと眺めた。そして矯めつ眇めつスライムを眺めると、『異質な火』の正体がスライムであったことを確信したらしい。
「中々の忠義者だな。主人が辱められるよりも自らの命を捨てることを選ぶとは」
ラガルはそう言うと、スライムを握る手の力を強める。スライムはふるり、と震えたものの、ラガルの手から逃げられない。次第にスライムは、ぐったりとし始め……。
「やめなさい!」
そこへ、あづさの一喝と共に、魔法が飛んだ。
あづさが放った風の刃はラガルの頬を薄く切り裂く。
「……私、風の四天王のパーティーであなたに言ったわよね。私を連れていこうとするなら、体じゃなくて心を連れていけるようにしなさいよ、って」
あづさはラガルを睨みながら、呪いのように言葉を続けた。
「その子を殺したら、私の心、永遠にあなたのものにならないからね」
「……確かにそのようだな」
ラガルはスライムを握る力を緩めると、ふるふると震えるスライムを放って、犬頭の戦士が持つ盆の上に乗せた。
「用水路にでも捨てておけ。それで野に帰るだろう。命は取ってやるな」
犬頭の戦士は盆ごとスライムを運んで、部屋から出て行ってしまう。あづさはそれを追いかけたかったが、脚が動かず叶わない。
「あのスライムの忠義心とお前の度胸に免じて、スライムの命は取らんことに決めたぞ」
「……そう」
あづさは味方を失った不安に苛まれながらも、ひとまず、自分と行動を共にしてきたスライムが殺されずに済んだことに安堵した。あとは上手く流れていって、水の四天王領にでも出てくれればきっと、オデッティアが回収してギルヴァスに返してくれるだろう。スライムが上手く生き延びてくれることを祈りながら、あづさはそっと、ため息を吐いた。
ラガルはあづさが元気を失った様子を見てちらり、と後悔のような表情を浮かべたが、振り払うようにあづさを抱え上げた。
「話は終わりだ。……さて。北の塔へ向かうぞ」
……こうしてあづさは1人、火の四天王城の北の塔の一室へと閉じ込められることになるのであった。




