9話
「な、なんで?なんでだ?なんでこんな……この間はあんなに、石を寄越すの渋ってたじゃねえか!」
「そりゃそうよ。私達だって敵に色々くれてやる訳にはいかないんだから」
混乱のあまり翼をバタバタとばたつかせるラギトを見て、あづさはくすくす笑う。
なんというか、目の前のハーピィ、ラギトは随分と子供っぽく見える。毒気が抜けてしまえば、それなりにやりやすい。
「でも、友達だったら話は別でしょ?奪い合うんじゃなくって、分け合うの。互いに利がある関係になれたら、良いと思わない?」
「……どういうこった?」
「友好関係を結ぶのよ。不要な争いはなし。それから、一方的な関係もお終い。私達は今後、あなたに一方的に宝石を差し出すような真似はしないわ。でも、あなたがちゃんと対価を支払ってくれるなら、ちゃんと宝石は譲ってあげる。そういうことよ」
「だ、だったら奪い取った方がいいだろ!お前らなんてよ、所詮ザコの……」
ラギトはそこで口を噤んだ。
『無かったことにした』戦いの顛末を思い出したので。
「悪くない話だと思うけど。……だってあなた、宝石が必要な事情があるんでしょ?」
更にあづさがそう言えば、ラギトは益々、文句など言えないのだ。
「事情があるなら、話してみるといい。力になれるかもしれないからな」
ギルヴァスがどっかりと腰を下ろしてそう言えば、ラギトは困惑した顔で落ち着かなげに羽を動かす。
「……な、何だってそんなこと……」
「俺は元々、奪いに来るんじゃなく、買いに来るなり、相談に来るなりすれば宝石を譲ることに異論は無かったんだがなあ……」
「だからって急に態度変えるかァ!?」
「だーかーらー、これからは友好関係を結ぶからよ!友好関係ってこういうことでしょ!馬鹿なの!?」
ラギトとあづさは腰を浮かせて暫し睨み合い……そして互いに自力で落ち着きを取り戻し、腰を下ろし直した。
「……だから、ほら。話してみなさいよ。なんでそんなに宝石が必要なのか。お金に困ってるの?」
少々唇を尖らせたあづさがそう尋ねれば……ラギトは、ようやく話し始める。
「俺達に金は必要ねえ。それなりに俺達の縄張りで稼げてるしよ。テメーらみたいな貧乏四天王とは訳が違うんだよ。ただ、宝石が必要なのは……風の四天王、ファラーシア・トゥーラリーフ様が宝石をご所望だからだ」
「ファラーシアが?またか?」
ギルヴァスは呆れたようにそう言って、それから、はたと気づいたように言う。
「ということはまさか、またパーティーか」
「ああそうだよ。その内テメーのところに招待状を持ってく予定だからな。待っとけ」
ギルヴァスとラギトが揃ってため息を吐くのを見て、あづさは首を傾げる。
「その人、何かあるの?」
「ああ、まあ……ファラーシア・トゥーラリーフは風の四天王だ。まあ……その、着飾るのが好きな奴でなあ。派手好きで、事あるごとにパーティーを開いているんだが……うーん、悪い奴じゃあないんだが……」
「ああ、そういう……」
ギルヴァスが歯切れ悪くそう言うのを聞いて、あづさはおおよそ、ファラーシアの人柄を把握した。
着飾るのが好きで、パーティーが好き。要は、自己顕示したいタイプ、と。
「成程なあ、それで、光り物を集めるのが得意なハーピィ達、風鳥隊には、宝石集めの任務が回ってきた、ということか……」
「あークソ、その通りだ」
ギルヴァスが、大変だなあ、などと言いながらラギトを労わると、ラギトはそれに居心地悪そうな顔をしつつ、しかし、彼も言いたいことは山のようにあったらしい。一度口を開いてしまえば、ぼろぼろと愚痴か情報か分からないものが零れてくる。
「アラクネ達の織姫隊は新しいドレスづくりでてんてこまいだ。何着作っても突っ返されてるらしい。それから花蜜隊はいつも通りの蜜の供給の他にパーティーで出す酒の仕込みに忙しいし、雷光隊も雷光隊で何か動かされてるらしいし……それに俺達風鳥隊は宝石集めだ!」
成程ね、とあづさは頷く。
どうやらラギト達風鳥隊は、好き好んで宝石集めを行っている訳ではなさそうだ。
「それでよォ!俺達風鳥隊はアラクネ達に頼まれてドレスに縫い付けるための宝石を集めなきゃあならねえし、雷光隊にも何でか宝石を頼まれちまってるし、それに、ファラーシア様が直々に!でかくて目立つ宝石をご所望だ!この間テメーらから貰った石を持ってったが、『これじゃあ小さい』だとよ!ったく、どういう目ン玉してやがる!更に俺達はあっちこっち使いっ走りだよ!確かに俺達は速えよ!けどよォ!使い道間違ってるんじゃあねえのか!?納得いかねー!」
ラギトは遂に、怒りに任せて翼をバタバタさせて、自分の下の干し草やコットンボールの抜け毛を巻き上げ始めた。
「ま、まあ、落ち着け。そう怒るな」
それをギルヴァスは宥めたが。
「いいえ!怒るべきよ!だってそんなのおかしいじゃない!」
あづさは、煽り始めた。
「能力がある者はそれ相応の使われ方をするべきよ!そうよね!」
「お、おう!そうだ!」
「それに、宝石が気に食わないなら自分で取りに行けばいいのよ!それができないで人に任せておいて、何度も何度も探させるなんてどうかしてるわ!ねえ、一体何度、宝石を取りに行かされてるの?」
「ああ?テメーんとこから貰った奴だから……そうだな、もう7回だ!」
「7回も!?酷いわね!」
ラギトは同意を得て益々興奮して、羽をばたばたとはためかせる。
その度に干し草と綿毛と、近づいてきていたコットンボール達が舞い上げられていくが、ラギトは一向に気にしない。
『そうか、俺は最近だけで7回もこいつに宝石を巻き上げられていたか』とギルヴァスが複雑そうな顔をしていても一向に気にしない。
「大体よォ!そんなにでっけえ宝石なんざ、風の四天王領にあるわけねえだろうが!自分がぜーんぶガメてんだからよ!」
「ええ!?じゃあ風の四天王自ら、他所に略奪に行けって言ってるようなものじゃない!」
あづさは勢いづいて立ち上がった。
内心では『これは良い事を聞いたわ!』と踊り出しそうな程だったが、それは抑えて、今はラギトを煽ることだけを優先する。
「風の四天王にどうこう言えるような立場じゃないけどね!部下が他所の領地に手を出すような薄汚い真似をしなきゃいけないような状況を作るのは、上に立つ者としてどうかと思うわ!」
「おう!その通りだ!あのババア、本当に碌でもねえ……!」
ラギトもあづさにつられて立ち上がったところで、あづさは……ラギトの前に、手を差し出した。
「しょうがないわね!だったらラギト!協力してあげる!おっきい宝石、見つけましょう!大丈夫よ!きっと地の四天王領になら、素敵な宝石、沢山あるわ!ねえ、ギルヴァス!」
「あ、ああ」
「だから、ラギト!あなたも私達に協力して!それで、一緒に成り上がってやりましょう!」
ラギトは差し出されたあづさの手を見て……そして、あづさの手に翼を添えた。
「おう!やってやろうぜ!」
それから、小一時間。
あづさはラギトと、具体的な協力の内容について話し合った。
1つには、攻撃してこないように、ということ。
これは当然のように、ラギトも頷いた。一度負けているというのに『命令』ではなく『お願い』という形で提示されたので、頷きやすかったらしい。
また、『私達は今のところあなたとしか友好を結べてないから、他の風の幹部が攻撃してきそうになったら守ってね』と頼ってみたところ、『友好関係ってことは俺の縄張りみたいなもんだろ!なら縄張りを守るのは当然だろ!』と頼もしい答えが返ってきてあづさはご機嫌である。
2つ目に、物品の融通。
地の四天王領には、びっくりするほど何も無い。何といっても、荒れ地と鉱山、そして侵食地帯……と、土地に恵まれない領地であるので。
なので、地の四天王領に比べて相当に豊かな風の四天王領から、様々な物品を融通してもらうことになった。
これで地の四天王領の立て直しも捗るようになるだろう。
そして3つ目に……情報の提供。
ただしこれは、『遊びに来てね』という名目になっている。
……ラギトというハーピィが、感情に流されやすく、そして情報を漏らしやすく……何より、風の四天王に対して不満を抱いている、ということは、雑談でもしていれば有益な情報をボロボロと零す可能性が高い、ということである。
なので、あづさとしては、ラギトを情報収集の為に捕まえておきたかったのだ。
これにラギトは、大層喜んだ。
……風の四天王領で、風の四天王の愚痴など、零せようはずもない。これからの彼にとって、唯一の不満の捌け口が、地の四天王領での愚痴、ということになるのだろう。
ラギトが風鳥隊の他のハーピィ達にも友好提携を説明すると、他のハーピィ達は初めこそ不満げな者も居たものの、あづさが説明を重ねれば、利がある事は理解できたらしい。
中には、『これから力を伸ばしそうな団体と最初に提携できる』という利に気付いた者も居り……風鳥隊全体に、この友好提携は受け入れられたのであった。
「……な、何でこうなったんだ……」
そうして夕暮れ時。
ギルヴァスは只々、唖然としていた。
「喧嘩していた相手が、友好提携を結んで、帰っていった……」
「そうね。まあ、昨日の敵は明日の友、って奴よ。焼き鳥にし損ねたのはつまらないけれど、まあ、これはこれでアリよね。あいつ、叩きのめしたら再起不能になっちゃうタイプだろうし」
あづさが満足そうに言うのを聞いて、ギルヴァスは複雑そうな顔をした。
「しかしあいつ、あんなに話せる奴だったとはなあ。うーん、今までの俺に対する態度は一体何だったんだ?」
「ああ、それね。多分、あなたが強いからよ」
「……逆ではないのか?」
「立場が危うい奴ほど、偉ぶりたがるのよ。特に、あなたなんて、絶対に勝てないって分かってる相手なんだから。だから、最初に舐められたら挽回できないでしょ?」
そういうものか、と、ギルヴァスは頷く。
思い返してみると、初めてギルヴァスの元にやって来たラギトは、必要以上に攻撃的だったような覚えがある。それを許してしまったギルヴァスもギルヴァスだったが。
「しかし、うまく協力関係を結べたものだなあ。まだ現実味が無いくらいだ」
ギルヴァスが頭を掻くと、あづさは少々皮肉気な顔をして答えた。
「うーん、まあ、ラギトがちょっと鳥頭……単純だから、っていうのもあるでしょうけれど、何よりもまず、共通の敵がいるから、でしょうね。今回は風の四天王だけど……誰か1人を標的にするっていうのは、他の結束を強めることに繋がるわ。そうでしょ?」
あづさがそう言うと、ギルヴァスは……苦い顔で頷いた。
「……そうだな」
「身に覚えがある、って顔してるわね」
「そう、見えるか?」
「ええ。とっても」
あづさは、少しばかり揶揄うような笑みを浮かべてそう返す。
『ラギトを初めとして、いろんな奴から搾り取られてきたんだものね』と思いながら。
……だが。
「そうか……いや、大したことじゃ、ないんだ」
ギルヴァスの顔を見て、あづさは何か、あづさの知らない暗い何かを嗅ぎ取った。
ただ、蔑ろにされて軽んじられてきただけではない、何かを。
四天王という地位にありながら、こうも草臥れて疲れたような顔をする者の、歴史を。
「話したくないことがあるなら、無理に話せなんて言わないけど」
あづさは1つ、ひっそりとため息を吐いて、言う。
「でも、話したくなったらいつでも話して頂戴。私はきっと『大したことじゃない』なんて思わないから」
本心だった。掛け値なしに、案じてしまった。
ついさっきまでラギト相手にペラペラと弁の立つところを見せた直後に言っても説得力なんてないでしょうね、と思いつつ、それでも、言わずにはいられなかった。
「……約束ね」
「……君は、強いな」
ギルヴァスはその琥珀色の瞳を足元に向けていたが、やがて顔を上げると、あづさに笑いかける。
「君を見ていると、驚くことばかりだ。ありがとう。君のお陰で、配下にももう少し、豊かな生活をさせてやれそうだ」
「……そう。そうね。次は鉱山の方も、ちゃんとしましょう。どうかしら?」
「鉱山も?そうだな、あそこは私がよく出入りする方だから、まだ、多少は整っていると思うが……いや、折角だ、この機会にもう少し、住民の把握くらいはしておくか」
「そうね。そうしましょう」
あづさは笑って応えて、それから……そっと、ため息を吐いた。
結局、ギルヴァスが『約束』を了承することはなかった。
踏み込む、ということは、かくも難しい。
いつまでも森に居るべきではない。そろそろ陽が落ちる。
目的も達したのだ、そろそろ城に戻らなければならない。何せ、『城から離れたままで居たら、荒れ地が侵攻してくるかもしれない』とのことなので。
ギルヴァスがドラゴンの姿に変身している間に、あづさは食料などを詰め込んだ袋を背負い……それからふと思い立って、森に呼びかける。
「皆!ご苦労様!今日は本当に、ありがとう!」
すると、森の木の葉がのんびりと揺れ、木の影からそっと虫達が覗いてその脚や羽を振り、また、地上ではヘルルート達がその短い手を振って、見送ってくれた。
……そして。
「それでちょっと相談なんだけれど!……しばらくお城に住みたいコットンボールは居るかしら!?」
その日の夜。
食糧が手に入って、食卓は随分と豊かになった。
麦粥には癖の無い野草が一緒に煮込まれるようになった他、木の実や果物が添えられて、彩りも華やかになった。
そして何より。
「……食べ物を口にするのは、久しぶりだなあ」
「美味しい?」
「ああ。美味い、んだろうな、これは。久しぶり過ぎて、妙なかんじだ」
あづさの向かいの席では、ギルヴァスが食事を摂っていた。
魔力を吸い、或いは自ら生み出した魔力を循環させるだけで生命を繋いでいたギルヴァスは、実に久しぶりに食べ物を口にしたのである。
「次にラギトが来たら、もっと食料が色々来るわよ、きっと」
「うん。楽しみだ」
にこにこと笑うギルヴァスを見て、あづさも何やら、楽しいような気持ちになるのだった。
そして、夜。
「さーて!久しぶりのベッドね!」
あづさは寝台に潜り込んで、大きく伸びをする。
ここ3日間、ずっと森林地帯に泊まりこんでいたのだ。干し草とコットンボールの綿毛の寝床はそれなりに寝心地が良かったが、やはり、天井のある所で寝るのはまた別である。
……そして、この城に来た初日とは、大きく違うところがある。
「さて。じゃあ皆、よろしくね」
あづさが声を掛けると、部屋に待機していたコットンボール達が一斉にやってきて、あづさと一緒に毛布の中に潜り込んだ。
「あああ、あったかいっ!これならここでもゆっくり眠れそう!」
コットンボール達はふわふわもぞもぞ動いていたが、やがて彼らも眠りに就いて、すっかり大人しくなり……あづさもふわふわの温もりに包まれながら、目を閉じる。
明日からは鉱山地帯行きである。
今日、手に入れた風の四天王団風鳥隊とのパイプを保つためにも、鉱山のことをよく知り、有効に活用していかなければならない。
特に、あづさにとっては……元の世界に帰るため、魔王に掛け合う為の貢ぎ物が、産出される場所なのだから。
「絶対に、帰るんだから」
あづさはそう呟いて、布団の中で眠りに就いた。