87話
あづさが慌てるより先に、ギルヴァスが起きた。
「あづさ!無事か!?」
「え、ええ!だけど、多分これ、火山が」
「だろうな。……くそ、ラガルめ、ドワーフもレッドキャップも皆殺しにするつもりか!」
この火山が噴火するとしたら、それは火の四天王、ラガル・イルエルヒュールがそうした、ということに他ならない。
つまり、ラガルはこの山に住むレッドキャップやドワーフを見捨てた、ということになる。
何もしないとは思っていなかったが、まさか配下も敵も鉱山という貴重な資源も何もかも全て溶岩で飲みこんでしまおうとするとは、流石に予想していなかった。
「寝返られるのを察知して、だったら全員殺しちゃえ、ってわけ!?しかも鉱山ごと!?」
「いや、或いは、単に俺達を殺す為だけに、かもしれんが……だがまだ俺達が居る時で良かったな。あづさ、すまないが君はレッドキャップ達の方へ行ってくれないか?彼らは素早い。避難するのもそう難しくないだろうが……もし、ラガルの手下が居たとしたら、危険だ」
「分かったわ。こっちは任せて。それであなたはドワーフと一緒にこの山から出てくる、ってことでいいわね?」
「ああ。外で落ち合おう」
「ええ。気をつけて」
手短にそう決めて、あづさとギルヴァスは部屋から飛び出す。
すると部屋の外では困惑したドワーフ達がおろおろと惑っていたが、そこはギルヴァスに任せてあづさはレッドキャップ達の元へと飛ぶ。
そう。飛ぶのだ。
背中に装備した金銀と水晶の細工の羽をはためかせて、あづさは洞窟の中を高速で飛んでいく。
道はもう覚えている。記憶と小さな明かりを頼りに、あづさはひたすら速く速く、レッドキャップ達の元へと飛んだ。
そうしてあづさがレッドキャップ達の元へと到着すると、そこでは案の定、イフリートが2体、暴れていた。
レッドキャップ達はつるはしを片手に応戦しており、既に1体のイフリートを倒した後であったらしいが、火のものと火のものの戦いは、なかなか決着がつかない。
……あづさがこの場に居られたことは、不幸中の幸いだった。あづさなら、この戦いの天秤を一気に傾けられる。
「任せて!」
なのであづさは、そこへ容赦なく水の魔法を放った。
水の壁を作って、イフリートを追い返す。その水の壁を次第にぐいぐいと部屋の端の方へと押しやっていき、そこにイフリート達を巻き込んで、あづさはレッドキャップ達を守った。
「皆!荷造りはできてる!?」
「あ、ああ。できてるが」
「なら逃げるわよ!火のラガルはあなた達ごと、この山を吹っ飛ばすつもりだわ!」
レッドキャップ達へそう呼びかけて、あづさはイフリート達へと更なる攻撃を放つ。
……流石に、あづさ1人で2体のイフリートを一気に倒すことは難しい。ただ、イフリート達を足止めすることはできていた。あづさはそのまま攻撃と防御を維持し続け、レッドキャップ達が逃げていく時間を稼ぐ。
「……さーて。イフリートさん達。あなたのお仲間が今、こっちのお城の食卓の上に吊るされて哀れな格好になってるけど。……あなた達にはもっと哀れなことになってもらうわ。それが嫌なら、退きなさい」
あづさがそう言えば、イフリート2体は少々たじろいだような様子を見せた。だが、結局は2体とも、退かない。恐らく、退いたら退かなかったよりも恐ろしいことが待っているのだろう。
だが、彼らの事情を考慮してやる余裕はあづさにも無い。
「そう。なら悪く思わないでよね!」
あづさはそう言うや否や、水でできた鞭を振るい、イフリート達を打ち据える。思う存分、力の限り。
この攻撃方法は案外あづさの性に合っているらしく、大きな効果を齎した。イフリートは水の鞭に胴を薙がれて動きを止め、更に頭部を打ち据えられてその火を掻き消される。
なんとか燃えて元の形に戻ったイフリートだったが、攻撃に打って出るより先に、今度は水の壁が襲い掛かる。オデッティアが使っていたものにも似た、高くぶ厚い壁である。あづさはこれを生み出すために多くの精神力を要したが、そんなことは気取られぬように、あくまでも余裕に満ちた笑みを浮かべ続ける。
……水の四天王が片手間ながら相手を殺そうとつかう魔法。それとほぼ同等の規模を持つ波が、イフリートを襲う。これは避けるに徹しでもしない限り、逃れられない。結局、イフリートは2体とも、這う這うの体で逃げ出すことになる。
あづさはこれを追うことはしなかった。ただ、レッドキャップ達の中でも特に酷い傷を負っている者が居れば治療して、即座に次の行動に移る。
「さあ、急いで脱出するわよ!」
あづさはレッドキャップ達を追い立てるようにして、鉱山からの脱出を開始するのだった。
ギルヴァスはドワーフ達の見守る中、大きな魔法を使っていた。
大地から城を生み出すのと、そう大きくは変わらない。ただし、相手は自分の領地でもない、他所の大地。更には火の力を多く受けた活火山である。操るには少々、骨が折れた。
……今、ギルヴァスは、この山に大穴を開けて、空へと続く道を造ろうとしていた。
この人数のドワーフ達を避難させるのに、ただ歩いていたのでは間に合わない。ドワーフ達がどちらかと言えば素早くない種族であることも原因の1つだが、何より、この洞窟が長すぎる。複雑な洞窟を抜けるころには、この山が目覚めているだろう。
ならば残された脱出経路は、空しかない。ギルヴァスが竜の姿に変じれば、その背にドワーフ達を乗せて一気に飛ぶことができなくもない。或いは、一度に運べずとも、ドラゴンの速度ならば数往復する猶予は生まれるはずだ。
「……ギルヴァス様、我々は」
「悪いが、お前達の意見を聞く気はない。今は全員、命が助かることを最優先に動いてくれ。ラガルに従うと決めたなら、俺に『無理矢理攫われた』後で戻ればいい」
ギルヴァスに話しかけかけたマルバーの言葉を遮ってギルヴァスはそう言うと、いよいよ強く、集中する。
自分のものではない土地の、自分のものではない山を、自分の力だけで動かす。
自然にはあり得ない動き方で山が大口を空へと開けて、そこへ脱出経路を生み出すように。
……そうしてギルヴァスが強く強く集中するにしたがって、山が、動く。
重く低く音を立てて、山の岩石が動き出し、ギルヴァスの命令に従い始める。天井が波打ち、砂礫がばらばらと落ちてきたもののそれ以上の崩落はせず……そして遂に、ギルヴァス達の頭上には、夜空がぽっかりと見えるようになった。
「全員俺に乗れ!乗り切れない者はまた迎えに来る!」
ギルヴァスは大魔法による消耗を経て尚休む間もなく、竜へと変ずる。黒竜が琥珀の眼でドワーフ達を睥睨すると、ドワーフ達は畏怖したように竦んだ。それはギルヴァスの力の大きさを認識したためでもあり、また……同時に、ここでギルヴァスに従うことへの迷いでもあった。
だが、竜が吠える。怒りにも似て、しかし、それよりずっと必死な声。それは、ドワーフ達を案ずる故の声である。
更に、ギルヴァスは牙の生え揃った咢を開いて、少々大柄なドワーフを咥えた。あくまでも牙で傷つけないように、柔らかく。
……それを見たドワーフ達は、動き出した。ギルヴァスの声に促され、或いは『無理矢理さらわれそうになった仲間を救うため』という建前をギルヴァスに用意されて。
そうしてドワーフ達がある程度背に乗ると、ギルヴァスは翼を広げて一気に上昇した。
山の頂に近いところから外へと飛び出すと、風の四天王領側の麓へ急降下し、そこでドワーフ達を下ろす。
そうしてまた、次のドワーフ達を運ぶために山の中へと戻っていくのだ。
山はおどろおどろしくも鳴動し、その奥に確かな力の高まりを感じさせていた。
あづさはレッドキャップ達の素早さに驚かされていた。
あまりにも、速い。レッドキャップ達の体躯はあづさよりもむしろ小さな程なのに、その素早さと言ったら、あづさが走っていたのでは到底追いつけない程だった。
そういえばレッドキャップは割と悪戯好きで好戦的な種族なんだったわね、とあづさは思い出す。恐らくレッドキャップ達のこの素早さは、そのあたりの性質からきているのだろう。
結局あづさは、レッドキャップ達に追いつくために、高速で飛ぶことになった。流石に先ほどまでよりは速度を緩めて飛んでいたが、それでも十分に速い。あづさが短距離走をするほどの速度で、一団は進んでいく。
……そうして洞窟の外に出た時、そこには既に、ドワーフ達が何体か居た。
「あなた達も間に合ったのね!」
あづさはドワーフ達に遠慮なく笑いかけた。レッドキャップ達はドワーフも助かったということを知って喜んでいたが、ドワーフ達はレッドキャップ達が逃げ出してきたことに驚きつつ、戸惑っている。そこであづさは、ドワーフには『レッドキャップも勧誘した』という旨を伝えていなかったことを思い出した。
「ねえ、ギルヴァスは?」
「ギルヴァス様は、また我らの仲間を連れに行かれて……」
あづさがドワーフの1人に尋ねると、ドワーフは心配そうに山の方を見た。……どうやら、ドワーフの避難は完了していないらしい。
「そう……まあ、大丈夫だとは思うけれど」
あづさはそう言うと、山に背を向けた。
ギルヴァスならきっと、間に合う。ラガルが何をしても、きっと大丈夫だ。……そう信じるしかない。
「もう少し避難するわよ!ちょっと行けばもう、風の四天王領だわ。そこまで行けば、ラガルだって手を出せないでしょう」
そう言って、あづさはレッドキャップ達とドワーフ達を見回した。
レッドキャップ達は当然のように従う旨を返し、ドワーフ達は困惑し、迷うようにしていたものの、あづさが進みだしてレッドキャップ達がそれに従い始めれば、おずおずと列の後ろに付いてきた。
……その時だった。
「一族郎党、裏切ったか」
そんな声と共に、炎が吹き荒れる。
咄嗟にあづさは水の魔法で壁を作ってそれを防ぎ……水の壁と炎の嵐の向こうに居るその相手を、見た。
「……ラガル・イルエルヒュール」
そこに立っていたのは、赤い髪を逆立ててあづさを見下ろすように立つ男。
火の四天王、ラガル・イルエルヒュールであった。
「……降矢あづさ、か。やはりお前が一枚かんでいたようだな」
「ええ。一枚どころか二枚ぐらい噛んでたかも」
軽口を叩いて返しつつ、あづさは必死さを気取られないように微笑んだ。
……流石に、四天王相手に1人で戦って勝てる自信は無い。だが、特にドワーフには戦わせたくない。そしてレッドキャップについても、できれば。
ならば、時間を稼ぐしかない。無駄口をたたいて、何なら相手の意見に乗るふりをしてでも、何としても。
「そうか。我が配下を奪いに来るとはな。大した度胸だが……そうだな。今一度、問おう」
ラガルはあづさの内心に気づいているのかいないのか、堂々とした笑みを浮かべて言った。
「火の四天王団に来る意思は……いや、『戻ってくる』意思は、無いか?」




