86話
「驚いた。まさか、あなた様がいらっしゃるとは」
「うん。まあ、色々あってな」
空洞の奥へ通され、そこで茶を出された2人は、席についてドワーフの長と話すことになった。ドワーフの長、マルバー・ハマーは懐かしそうに目を細めつつ、その目を伏せる。
「……100年、ですか」
「そのくらいになるな。まあ、うん。色々あったが……息災だったか」
「ええ。一族揃って息災ですとも。そちらは……」
マルバーはギルヴァスのここ最近100年弱を思い出して、口を噤んだ。
「まあ、元気にしてる。見ての通りだ。……以前より見られる見た目になっただろう?」
だが、ギルヴァスはそれを取りなすように笑って、両腕を広げて見せた。……マルバーが最後に見たギルヴァスは確か、失意と絶望の底にある頃の……つまり、身なりにも何にも気をやれなかった頃の姿だったはずなので。一方今のギルヴァスは、食事をきちんと摂るようになり、また、身なりにもそれなりに気を遣うようになった。当時と比べて見違えるようになっただろう。
「ええ……これはそちらのお嬢さんが?」
「ああ。あづさが手を入れてくれた」
マルバーはそこで初めてあづさへと意識を向けた。あづさはそれに応えるようににっこりと微笑み返す。自信に満ちた微笑みは、マルバーの眼には随分と眩しい。
「お美しいお嬢さんだ。もしや、彼女が噂の……?」
「どういう噂になっているのかは知らんが、彼女がうちの参謀だ」
ギルヴァスがそう答えると、マルバーは、ほう、と感嘆のため息を吐いた。
「このようなお嬢さんが参謀、とは……見た目によらないものですな」
「ああ。小さな体で誰より働く。彼女が来てから、地の四天王領は大きく変わった」
そう言って、ギルヴァスは少々、身を乗り出す。マルバーを真正面に見据えて、あの日、引き留められなかった彼を今こそ、と。
「だから、もし、お前達が望んでくれるなら……ドワーフの一族を地の四天王領に迎え入れる用意はできている。もう一度、俺のところに来てくれないか」
「火の四天王団に来てすぐ、我らの生活は楽になりました」
マルバーはそう、話し始める。それはあづさは勿論、ギルヴァスも知らない、ドワーフの一族の歴史だ。
「火の四天王領は豊かだった。食料は豊富で、鉱山にも活気があった。何より、ラガル様は我らの働きに大層ご満足で……この鉱山を褒美としてお与えくださった。我らは心ゆくまで物を作り続けることができた」
マルバーは懐かしむような嘆くような表情で、ただ茶のカップの中に視線を落として、続ける。
「……ですが、それも最近は、変わってしまったのです」
「変わった、というと……」
「数年前から、ラガル様の様子が少し変わられたのです。何かに苛立っておいでらしかったが、儂らにはその原因は分からず、ただ、儂らは変わらずに品物を納め続けた。しかし……3か月ほど前、大量の宝石をお持ちになると、仰ったのです。『これで極上の宝飾品を作れ』と」
マルバーの話を聞いて、あづさとギルヴァスはレッドキャップの長が話していた内容を思い出す。『3か月ほど前、突然、大量の宝石を納めるように命じられた』と、レッドキャップの長は言っていた。その宝石はどうやら、ドワーフ達の元へと運ばれ、そこで宝飾品にされたらしい。
「その宝飾品はどうなったの?」
「さあ……作った全てを納めましたが、ラガル様が身に着けておいでになるのを見たことはありません。かといって、出来栄えにご不満があったようでもなかった。ただ……供物にはこれで十分だろう、と、仰っておられたが」
供物。
その単語を聞いて、あづさは何か、思い出しそうになった。だが、どこで聞いたものなのか、いつの記憶なのかをはっきりと思い出せない。
「それで、その後は?」
「……現状通りです」
マルバーは険しい表情でそう言った。
「食料の供給は細り、要求されるものは武器ばかりとなり、そこに魂を込める暇すらない。そして納める武器が足りないとなれば、ラガル様の使いの者がやってきて、我らを嬲っていくのです」
「それは……」
マルバーを見ると、確かにやつれ、そして所々に傷が見える。どうやらドワーフ達も、レッドキャップ達同様の目に遭っているらしかった。
「……自業自得、なのでしょうな」
ぽつり、とマルバーはそう零した。
「我らは裏切ったのだから」
その言葉はギルヴァスに向けられているのに、その目がギルヴァスに向けられることはなかった。
ただ、俯いて、マルバーはそう言う。
「そんなことはない。何が悪かったかといったら、俺が、お前達を守ってやる力を持たなかったことが……」
「それでも、我らはあなた様を信じて共に在るべきだった!」
声を荒げて、悲痛な叫びを上げた老ドワーフは、そこでようやく顔を上げて、ギルヴァスを見る。
「あなた様が魔王軍の裏切り者と謗られ、領地を、部下を失い、その尊厳までもを奪われて、苦しんでいるのを知りながら逃げ出した。こんな不忠義者は、やはりこうなる定めなのでしょう」
ギルヴァスはマルバーの表情、その中の、諦めきったような目に……つい2か月前、あづさが来るまでの自分の姿を、垣間見た気がした。
その日、あづさとギルヴァスはドワーフ達の集落で、一晩泊まることになった。マルバーが、考える時間が欲しい、と申し出てきたためである。
「私、当たり前のようにあなたと同室になっても特に何も思わなくなってきたわ」
「そ、そうか……」
用意された客間は当たり前のように1部屋だったのだが、まあそういうものか、とあづさは納得してしまっている。ドワーフの集落は狭いようだし、この程度は仕方ないだろう。
あづさはベッドの上に腰を下ろして、ため息を吐く。
「あーあ。もっとすんなりいくと思ったんだけど。どうしてここまで来て、渋るのかしら」
「まあ、俺達は二度目の裏切りを唆しているわけだからなあ……今のドワーフ達はラガルの部下だ。一度目の裏切りに悔いがあったなら、二度目を躊躇うのも無理はないだろう」
ギルヴァスも腰を下ろしつつ、そう言って苦笑する。その表情はどこか、嬉しげにも見えた。
「……嬉しそうね」
「そうか?……まあ、うん。そりゃあ……あの日のことを悔いている、と言われたら……少し、救われたような気になってしまって」
そう言ってまた、ギルヴァスは笑う。先ほどより幾分明るい顔で。
「……ふーん。そう。まあ、あなたが嬉しいなら、いいけど」
「うん。嬉しい」
ギルヴァスにつられるようにあづさも苦笑を漏らすと、ベッドの上に寝転んで天井を見上げる。天井は何もない、ただの岩である。この部屋は元々岩壁だったものをくりぬいて造ったものらしい。むき出しの岩肌の壁や天井が、どこか地の四天王城を思わせる。
「けど、ここでドワーフ達を連れ帰れなかったら計画が台無しよ?分かってる?」
「ああ。分かってるさ。ただ……彼らに魅力的な情報を与えても、今は罪悪感を煽ることにしかならないだろうから」
あづさは、そうよねえ、と返事をしつつ、自分の鞄に入れてきた紙数枚を思い出す。ドワーフが好みそうなあづさの世界の知識についてまとめた紙は、ドワーフとの交渉の材料になる予定だった。だが、先程までのドワーフ達の様子を見る限り、少々効果が薄そうである。
「……まあ、彼らに結論を出してもらうしかないだろうなあ」
「そうね。既に私達につきたいって思ってくれてるドワーフもいるみたいだし、期待して待ちましょ」
ここでドワーフを引き抜けないとなると、あづさの計画が数段階遅れることになる。なので、もしドワーフ達が移籍を拒否したとしても何らかの方法でやり取りを続けるか、或いは無理やり拉致してくるなどの対処が必要になるのだが……今は、ドワーフ達の判断に任せることにした。
できることなら、彼らの意思でこちら側に来てほしい。自らが判断した選択と、他者から押し付けられた選択とでは、その後のモチベーションが大きく異なるだろう。できることなら、ドワーフ達には自分達の意思で地の四天王領に来て、自分達の意思で働いてほしいのだ。
……また、あづさの個人的な思いとしては。
一度、どん底のギルヴァスから離れてラガルの元へと行ってしまったドワーフ達が、今度こそギルヴァスを選んでくれたなら、嬉しい。
そうも、思うのだ。
あづさとギルヴァスはそのままドワーフの集落で食事を出された。ごろごろとした根菜と肉のシチューや、やや硬めの食感のパン、軽く燻して仕上げた鶏肉の焼き物など、少々粗野で豪快、かつ旨味に溢れた食事を摂ることになった。ギルヴァスにはどこか懐かしい味らしく、食事中、終始嬉しそうにしているのがあづさには面白かった。
……そうして食事も終えると、後は客間で眠って明朝を待つことになる。ドワーフ達は夜通し話し合って結論を出すらしい。
「もしかして、半分だけここに残って半分だけこっちに来るとかもあるのかしら」
「いや、それは無いだろうなあ。ここに残るなら、全員だろう。さもないと、残った者達がラガルに嬲り殺される」
「ああ、確かにそうよね……そっか、だから意見を統一しなきゃいけないのね」
あづさは納得しつつ、食事中もどこか上の空だったドワーフ達を思い出しつつ……しかし、そろそろ眠くなってきてもいた。
「私、そろそろ寝るわ。あなたは?」
「ん?俺か?いや、俺も寝るが……」
あづさはベッドにころりと横になりつつ、ギルヴァスの顔を見て笑う。
「眠れなさそう、って顔してるわよ」
笑われたギルヴァスはきょとん、としてから、自分の顔を触り……それから苦笑した。
「……どんな顔だ、それは」
「心配そうな顔よ」
あづさはそう言って……それから、ギルヴァスを見上げて、言った。
「寝付けないなら子守唄でも歌ってあげましょうか?」
「いや、流石に……そこまでじゃあない」
ギルヴァスも苦笑しつつ、ベッドに横になって大人しくかけ布をかぶった。
「……いや、やはりお願いしてもいいか?ちょっと気になるな。異世界の子守唄はどんなものなのか」
「あ、そっち?そういう理由で?」
そして大人しく横になった割に大人しくない台詞を言う齢300を超えた竜を前に、あづさは呆れを通り越して笑いだすしかない。
「いいわよ。そういうことなら聞かせてあげようじゃないの。ミラリアみたいに上手じゃないけど」
あづさは息を吸って、それから頭の中の記憶を手繰り……子守唄を歌いだす。
ギルヴァスはやたらと真剣に聞き入っているようであったし、あづさは少々緊張して、却って目が冴える。全く以て子守唄の意味が無い。
だが、ひとまず歌い終えると、ギルヴァスは興味深げに頷いて、小さく拍手した。
「成程なあ。落ち着く旋律だ。それが君の世界の子守唄か」
「そうね。大体どの子守唄もこんなかんじだと思うわ。……とはいっても、歌えるの、今の1曲ぐらいしかないけど」
「ほう」
「小学校の時の音楽の教科書に載ってたのよ、これ。私、子守唄をベッドで聞いたこと、無いのよね」
苦笑しつつ、あづさは口元まで掛け布を被る。幼少期のあづさは眠れない時、傍らに子守唄など無く、寝付くまで共に居てくれる存在もほぼ無く……ただ、羊を数えて過ごしていた。
それをどうこう思うわけでもないが、なんとなく、今になって寂しいような感覚がちらりと走る。
……そこであづさはふと、思い立ってにやりと笑う。
「そうだわ。じゃあ折角だからあなたが第一号になってくれない?」
「ん?」
「私に子守唄を歌う人第一号よ!」
少々子供じみた我儘だと思いつつも、しかし好奇心と悪戯心に任せてあづさはそう言う。案の定ギルヴァスは困惑した様子だったが、しかし、少し考えた後、照れたように笑う。
「それは光栄だが……俺は歌は下手だぞ」
「それはそれで聞いてみたいわね」
「容赦がないなあ」
ギルヴァスはそう言いつつベッドの上で寝返りを打ってあづさの方を向く。それから「却って寝つきが悪くなっても知らんぞ」と前置きしておいてから、歌いだした。
遠慮がちで小さな声だったが、低く揺蕩うような音があづさの耳に確かに届く。
その旋律は聞いたことが無いもので、ああ、たしかに異世界の、或いは異国の歌なのだな、とあづさはなんとなく思う。
ギルヴァスの声は低く微かに掠れて、聞いていて落ち着く。……そしてそれと同時に、あづさは眠気を感じ始めた。
「……あら?」
それほど眠かったつもりもないのに、眠気はどんどん強くなっていく。おかしい、とあづさは思ったが……そこで思い当たる。
この歌自体が、魔法なのではないか、と。
「ね、ちょっと……これ、眠くする、魔法、なんじゃ……」
あづさはそう訴えたが、ギルヴァスは悪戯に成功した子供のように笑みを滲ませながら、子守唄を止めない。
……あづさはなんとなく悔しく思いつつも、心地よい声を聞き、そしてそのまま、寝かしつけられてしまったのだった。
あづさが目を覚ましたのは、夜中だった。
ギルヴァスに寝かしつけられた記憶が最後にあったあづさは、慌ててギルヴァスのベッドの方を覗くが、そこに無防備に寝ているギルヴァスを見つけて安心する。
それからなんとなく喉が渇いたような気がして、ベッドのそばに置いてあった水差しを取って水を飲む。
……部屋の外に耳を澄ますと、ドワーフ達が話し合う声が遠く聞こえていた。彼らの話し合いはまだ続いているらしい。
時計を見る限り、今は真夜中。日付が変わって1時間半したくらいである。よく続くわね、と思いつつ、あづさはまた、ベッドに戻って眠ることにした。
……だが、その時。
ぐらり、と嫌な揺れを、あづさは感じた。
始めにゆらりと来たそれは、やがて小刻みに強く激しくなり……そして。
一際大きな揺れと共に、轟、と、凄まじい音が響く。
その時あづさは、ここが火山だった、ということを思い出すのだ。




