82話
翌日。あづさとギルヴァスは、風の四天王団雷光隊の研究所を訪れていた。
『くるの はやい にゃー』
「でもあなた達のことだからもうできてるんでしょ?」
『にゃー』
早速出てきたネフワは、いつもよりもフワフワ加減が少ない。どうやら疲れているらしい。そして疲れの原因は間違いなく、あづさが注文した羽である。
『板も羽も つくるのたいへん にゃー!』
「そう。ありがとうね、作ってくれて」
『にゃー』
あづさはネフワの文句をさらりと流して、隣に居たシルビアから例の羽を受け取る。
「これですね。どのような種族が装備するか分からなかったので、装着のベルトはそちらで調整していただくことになります」
「そうね。ありがとう。そうさせてもらうわね」
あづさは受け取った羽を眺める。それは金銀の細工に水晶が嵌め込まれた1つの芸術品であった。だが、魔法を少々使うようになってきたあづさの眼には、その羽の中に流れる無数の風の魔法……空を飛ぶための魔法や、風の中で姿勢を制御する魔法など、様々な魔法が見える。
「ところでこの羽って、使用上の注意とかある?」
『じょうぶ だけど なぐらないで ほしい にゃー』
「殴らないわよ、流石に」
あづさはそう答えつつ、要は『あまり羽に攻撃を受けるな』ってことよね、と理解した。あづさが殴ってもびくともしなさそうではあるが、ギルヴァスが壊す気で殴ったら流石に壊れるだろう。それはあづさがこれから立ち向かうかもしれない相手達にしてみても同じことである。あづさを殺そうとしているものが、羽だけは壊さないようにする、などと気を遣うわけはないのだから。
「他にも、たとえば他の魔法が渦巻く中ではうまく動作しないことがあります。お気を付けください」
「干渉しあっちゃう、ってことかしら」
「そうですね。そうなると相手の魔法も変わってしまい、術者の意図しないように魔法が作動する場合もありますし、何より、飛行中にこの羽の魔法が働かなくなったら、墜落してしまいますから」
「気を付けるわ」
あづさは受け取った羽を見て少々ぞっとしつつ、羽をそっと、自分の背に背負った。
ベルトは少々緩かったが、緩いものをきつくすることはそう難しくないだろう。あづさがそう確認していると、ネフワとシルビアはきょとん、としてあづさを見つめていた。
『それ あづさちゃんが つかう にゃー?』
「ええそうよ。……あら?言ってなかったかしら?」
「あ、あの、あづさ様は、空を飛ぶ魔法は……てっきり、使えるもの、だと……」
「ああ、なんだか使えないみたいなの。練習はしてみたんだけれどね。どうにも上手くいかなくって」
あづさがそう言って苦笑すると……ネフワとシルビアは、それぞれにギルヴァスの方を見て、言った。
『ひどいやつ にゃー』
「あづさ様を地面に繋ぎとめておきたかったんですか?」
「……誤解だ」
2人から侮蔑の眼を向けられたギルヴァスは、降参、というように両手を掲げて視線を彷徨わせるが、ネフワとシルビアは納得のいかない表情でじっとりとギルヴァスを見つめている。
あづさはこれを少々不思議に思ったが、まあいいか、と、流すことにした。ギルヴァスから聞いた限りでは、ギルヴァスの持つ性質のせいであづさは空を飛べない、ということらしいが……それが真実でなく、ギルヴァスが意図してあづさに空を飛ぶ魔法を使わせないようにしていたとしても、あづさはそれに従うだろう。
「じゃあね。また近い内に来るわ」
『またおいで にゃー!』
羽を背に装着したあづさとギルヴァスはそうして、雷光隊の研究所を出ることになる。
……だが、2人は早速空へと戻るのではなく……そっと、近くの地面へと着地するのだった。
「うん。大丈夫そう。着地のための魔法を使わなくてもゆっくり着地できたわ」
「君は物覚えが速いなあ」
ひとまず、あづさは羽の使い心地を確かめた。
着地に関してはあづさは元々自分の魔法を持っている。なので空を飛ぶ第一段階としては、自分の魔法で補えるところから、ということにした。
着地のための風の魔法とは勝手が大分異なったが、羽を使って速度を落として着地する、という一連の動作はそれなりにうまく行えたので、早速次の段階へ進む。
まずは低空飛行。歩いている高さとさほど変わらないほどの高さを飛んで進んでみる。
「……あなたの頭が近くにあるのって、変な感じだわ」
「俺も変な感じだなあ」
飛ぶあづさの横を歩いていたギルヴァスを見て、あづさはくすくす笑う。身長が高いギルヴァスの顔は、いつもはあづさの頭上にあるのだ。それが、今は少々飛んでいるために、ギルヴァスの眼の位置が近い。
「ちょっと楽しいわね、これ」
「ふむ。飛ぶのに問題はなさそうか」
「ええ。歩くのとそんなに変わらないわ。姿勢の制御だけ、少し気を付けてるけど」
あづさは宙でふわりとターンすると、そのまま跳ねるように高度を上げていく。
ギルヴァスの頭上に爪先がくる高さにまで飛んで、そこでまた、くるりと旋回してみたり、急発進して急停止してみたり、と、様々な動き方をする。
「うーん、あんまり早く動こうとすると、魔法っていうか、自分の感覚が追い付かないわね。慣れの問題でしょうけど」
あづさは一通り、様々な動きをしてみたのだが、それらを試してみると案外、自分の目や平衡感覚などがついていかないことが分かった。あづさが知るどんな乗り物とも異なる動き方をするからだろう。逆に、まっすぐ一直線に高速で飛んだりする分には特に問題は無い。
「ちょっと慣れてみないと駄目かも」
「まあ、俺の背中まで逃げられればいいんだが」
「でも不安だわ。もうちょっと練習しながら行ってもいいかしら?」
「構わないが、魔力切れにはならないでくれよ?」
「ええ。弁えてるわよ」
あづさは笑顔で答えて手をひらりと振ると、一気に高度を上げて飛んだ。
上へ、上へ、と意識して空の一点を見つめていれば、そのうち感覚は慣れてくる。上昇していく時に感じる風も加速度も、意識して感じ取るようにすれば、やがて全てあづさの手の中に収まっていく。
空のある一点で、あづさは緩やかに停止した。
ふわり、と浮き上がった体には違和感ばかりがあったが、その違和感の正体1つ1つを意識して、知識の裏付けによって解明し、自分の中に収めていく。
地上を見下ろせば、雷光隊の研究所が見えた。その周囲の森も、少し離れたところにある花畑も、更にその向こうの風の四天王城も見える。更にその向こうにあるのは、風鳥隊のハーピィ達が住んでいる山だろうか。
天空を駆ける風は鋭く冷たく、しかし照り付ける陽光と相まって、それほど寒くは感じられなかった。むしろ、心地よさすら感じられた。
上を見上げれば薄く雲を散らした、一面の青。浮かぶ太陽の眩しさに目を細めつつ、あづさは存分に空を堪能し……。
落ちた。
一気に、高度を落とす。
凄まじい速度で迫る地上を意識しながら、その途中、あづさは回転し、旋回して、無理な動きをいくつも挟む。
ジェットコースターよりもスリリングな飛行。自分の体1つで放り出されて地上へと加速していくその感覚を味わいながら、あづさはそれを完璧に制御する術を探す。
加速は、抑えられる。着地する魔法を応用すれば、減速は容易だ。
旋回することも、できる。左右どちらかへ体を傾けつつ風の魔法で補助すれば、簡単に体の向きを変えてそちらへと進んでいける。
……それらを簡単にこなしながら、それでもあづさが落ち続けたのは、ただ『慣れる』ため。
頭で理解したことを、心で理解するため。
いざ、同じ状況になった時、冷静に動けるように。
……かくしてあづさはすさまじい速度で地上へと落ち。
そして、見守るギルヴァスの前でふわり、と急停止し、何事もなかったかのようにすとんと着地した。
「……おかえり」
「ただいま。ちょっと慣れてきたわ」
ギルヴァスはあづさの返答に苦笑した。
「随分……その、暴れていたなあ」
「暴れざるを得ない状況になった時に困るよりは、今、暴れて慣れておいた方がいいでしょ?」
「それはそうなんだが……見ていて中々、肝が冷えたぞ」
「私もちょっとドキドキしたわ。でも、練習するなら限界ギリギリのところで練習した方がいいと思って」
「……流石だなあ」
ギルヴァスは只々苦笑しつつ、ふと、唐突にあづさの手を掴んだ。
「どうしたの?」
「いや、何。こうしておけば君がとんでもない飛び方をしに空へ行ってしまうことは無いな、と思ったんだが……」
あづさがきょとん、としていると、やがてギルヴァスは渋面でため息を吐きつつ、あづさの手を離した。
「だが、そうしない方がいいだろうな。君には」
「よく分かってるじゃない」
諦めたようにため息を吐くギルヴァスを前に、あづさはくすくすと楽しげに笑った。
「さて。じゃあ目的地まで、もう少し練習しながら行くわ。見ててね」
「あんまり無茶はしないでほしいんだが……」
あづさはギルヴァスの言葉に聞こえないふりをしつつ、また、空へと向かって飛び出していくのだった。
そうしてあづさが飛行にすっかり慣れ、ギルヴァスが心配のあまり、少々疲れてきた頃。
2人は火の四天王領に、入っていた。
「あの山、よね」
そして2人の目の前にあるのは、山。赤茶けた岩石と脆い土くれでできた山は、ネフワからの紹介状にある……レッドキャップ達の住処である。
「だろうなあ。……よし。早速登ってみるか」
「そうしましょう。急がないと見つかるかもしれないしね」
2人はごく簡単にやり取りすると、躊躇うこともなく山へと踏み入っていく。
山の中に居るであろうレッドキャップ達と、ドワーフ達を、目指して。




