80話
「ただいまー。はいこれ、お土産」
「ああ。お帰り。襲われなかったか?」
「ええ。折角ルカにもついてきてもらったのに、無駄足踏ませちゃったわね」
「何もないのが一番だ。護衛とはそういうものだろう」
「まあ、そうなんだけれど」
「ところでラギトはどうした」
「ああ、ファラーシアに葉っぱ食べさせるんだ!って言って帰ったわ。なんか子育て頑張ってるみたいでよかったわね」
そんな会話をしつつ、あづさはギルヴァスにもたせた板を注視している。
「ところで、なんだ、これは」
ギルヴァスはやっと板へと意識をやり、その存在に疑問を覚えたらしい。首を傾げていたが。
「あの火の玉と会話するためのものよ。油断してれば頭の中駄々洩れにできるんですって」
あづさがそう言うと同時、ギルヴァスは板を覗き込み、そこに文字が並んでいるのを見つける。
「なっ」
そのことに気づいたギルヴァスは即座に板から手を放したが、あづさは既に『この板がお土産ということか?』『無事でよかった』『今度のファラーシアは葉っぱを食べるのか。今度持って行ってやろう』『ところでやはりこの板は何だ?魔法の道具らしいが』『何てものを持たせるんだ』というような文字列を読み取っていた。
「……あづさ」
「ふふ、ごめんなさい。ちょっとやってみたかったの」
ギルヴァスは何とも言えない顔をしていたが、あづさはくすくす笑いながらギルヴァスの前に放置された板を拾い上げる。
「でもこれで証明できたわね。頭の中駄々洩れにできる、って。ついでにあなたが今、私相手に油断してくれた、ってことも」
「そりゃあ、君相手に警戒する理由が無いからなあ……」
「理由が無いと警戒しないの?」
「うーん、君に関して言えば、更に警戒しなくていい理由があるからなあ。うん。君には咄嗟に、警戒できない」
「あら、そう。嬉しいわね」
あづさは上機嫌に笑って、そして、手に持った板をそっと、火の玉の檻に差し込んだ。
すると火の玉は驚いたようにその身を縮こまらせたが、あづさは構わず板を押し込む。狭い檻の中、格子と板とに居場所を狭められて、火の玉は板に触れていざるを得ない状態になってしまった。
「よし。これでいいわね。……じゃあ、イフリートさん。私からの質問に答えてもらうわよ」
あづさが話しかけると、火の玉……イフリートはその板の陰でますます縮こまる。……そして板の上には『素直に答えると思ったか?馬鹿め』と文字が並ぶ。
「あら、よかった。言葉が分かるだけの知能はあるのね」
馬鹿にするように体をちらつかせて揺らめく火の玉を見てあづさはにっこりと笑いつつ……また、イフリートへと声をかけた。
「あなた、名前は?」
『教えてもらおうって言う割には随分態度がでかいな』
「そりゃあね。あなたが今すぐ死にたいって言うならその通りにしてあげてもいいけど」
あづさがそう言うと、板の上には一瞬、『くそっ』というような文字が並んだが、すぐに消える。イフリートが自らを律することで思考の流出を抑えたらしい。
「で、お名前は?」
『エーリフ・タサローク』
「そう。じゃあ次ね。どこの所属?」
『炎天隊』
「ふーん。じゃあ私を襲った理由は?」
『特にない』
「ああ、そう」
あづさはそう言って頷くと……後方を振り返って、ミラリアに微笑みかけた。
「ミラリア。やっちゃって」
ミラリアが歌いだすと、あづさもまた、意識がぼんやりとするのを感じた。ふわふわと水に揺蕩うような心地で、何やら眠りに落ちそうな、そんな具合に意識が霞がかってくる。
ミラリアの歌は美しかった。ぼんやりとした意識のほとんどは歌へと向けられて、注意も何もあったものではない。ただ、あづさの目には、天井から吊るされたイフリートの檻の明りに照らされて、ミラリアが美しく歌を歌う様子がずっと映っていた。
「……あづさ」
だが、ふとあづさの意識は引き戻される。見れば、ギルヴァスがあづさをつついていた。
依然として眠いような、意識がぼんやりとした感覚はあったが、ひとまずあづさは我に返る。
ミラリアの方を見ると、ミラリアは歌いながらあづさの方を見て、申し訳ない、というように目配せしてきた。どうやらミラリアの歌の制御がうまくいっていなかったらしい。
だが、今、ミラリアの歌は完璧に制御され、イフリートのエーリフただ1人に向けられていた。
エーリフは始めこそ抵抗していたらしいのだが、それも束の間。あづさがはっきりと意識を取り戻す頃にはもう、エーリフの意識は随分とぼんやりしてしまっていた。
「じゃあ、いいかしら。エーリフ。あなたが私を襲ったのは何で?」
そこへあづさが問いを投げかければ……イフリートのエーリフは、板の上に、『我らが四天王、ラガル様に命じられた』と文字を並べたのだった。
うまくいったわね、とあづさがギルヴァスに目配せすると、ギルヴァスも頷いて応えて、それからまたエーリフに問う。
「ラガルがあづさを殺せと命じたのか?」
『可能なら生け捕りにしろと言われたが、無理だと思った。生け捕りが無理そうなら、情報を集めて帰還しろと言われてた』
「情報?……戦闘能力、ってことかしら?」
『それもある』
ぼんやりしているらしいエーリフの回答は途切れ途切れでゆっくりしていたが、あづさもギルヴァスも根気強く質問を重ねる。
「つまり帰還しないと情報をラガルに伝えられないってことね?」
『そうだ』
「昨日、風の四天王領雷光隊研究所の近くに居たのは何故だ?」
『元々は、近くの山の、レッドキャップとドワーフに注文を入れに行った。それから、正しく納品されているか、確かめに。仕事を渋るようなら、適当に嬲って立場を分からせるつもりで……』
どうやら、風の四天王雷光隊研究所に近いところにレッドキャップとドワーフの住処があるらしい。レッドキャップについてはネフワの紹介状である程度見当がついていたものの、ドワーフについては分かっていなかった。
早速いい情報が仕入れられたわね、とあづさはにっこり微笑む。
「へえ。彼らに何か作らせてるの?」
この調子で情報を仕入れていこうと思った矢先。
『武器を』
エーリフはそう文字列を板に表示させて……そして、ミラリアの歌がいよいよ強く響き渡ると。
『異世界人のアヅサ・コウヤに対抗するために、武器を、発注している』
そう、文字が板の上に並んだ。
「私の、ため?」
『危険因子だと、ラガル様は仰っていた』
あづさはぽかん、とした。
自分が危険因子。そしてその自分のために、火の四天王はドワーフ達に武器を作らせている。
更にドワーフ達は恐らく、仕事をしたがっていない。それは労働環境があまりに悪いのか、はたまた武器ばかり作らされて嫌気が差しているのか。
『殺す気でかからなければ、生け捕りにするのも、難しいだろう、と、言われた。情報を集めるにも、そもそも、下手に近づいたら、却って、情報を抜き取られるだろう、とも言われた』
正に今そうなってるわね、とあづさは思いつつ、エーリフへ続けて問う。
「変な話ね。どうして私、そんなに警戒されてるのかしら」
『風の四天王が卵に返ったと聞いた。その原因は地の四天王だろうとも聞いた。地の四天王団が急に動き出したなら警戒しない理由が無い』
「それもそうね」
ひとまず、ファラーシアについてはもう火の四天王へ情報が漏れている、ということが分かった。元々秘匿するつもりもなかったのであづさはどうとも思わなかったが。
そしてもう1つ、ギルヴァスとオデッティアが和平を結んだ、という情報については、どうやらまだ火の四天王団へ漏れていないらしい。流石に時間の問題だろうが、ひとまず、地の四天王領の荒れ地に水を取り戻すまでの時間稼ぎはできそうである。
……つまり、それは、地の四天王領をより魅力的にし、ドワーフ達を引き抜くための下地を整えてから火の四天王と明確に敵対できるだろう、ということである。
それからもう少し、エーリフへ質問を重ねていると、ミラリアが『そろそろ限界だ』というようなそぶりを見せたので、あづさもギルヴァスも黙って質問を止めた。
するとミラリアもやがて歌い終え、歌に魔法を乗せていた分消耗したのか、近くにあった椅子に座り込んで深く息を吐いた。
……そしてエーリフはといえば、檻の中でふるり、と震えると、一瞬強く燃え上がり……それから檻の存在を思い出したようにまた大人しく弱弱しい燃え方になってしまった。
「あなたの処遇については追々決めて伝えるわ。それまではその檻の中で大人しくしていて頂戴ね」
あづさはそう言ってエーリフにウインクして見せると、ギルヴァス達を手招きしてそのまま食堂を出ることにしたのだった。
「……まさか、君がラガルに命を狙われることになるとはな」
ギルヴァスは暗い表情で居たが、あづさにとってはそれも少々楽しい。
「分かってたことだわ。それにちょっぴり嬉しいの。だって私の能力を認めざるを得なくなった、ってことでしょ?それと同時に、私が居たとしても、地の四天王団自体を警戒してるってことだわ。地の四天王団がそれだけ強くなったってことじゃない?」
「いや、そうかもしれんが……」
ギルヴァスは変わらず心配そうな顔をしていたが、あづさはにっこりと笑って言った。
「それに何より、もっと有益な情報が手に入ったじゃない。ドワーフについて、よ!」
「レッドキャップとドワーフは仲がいい。レッドキャップには紹介状があるから挨拶に行けるわね。そしてドワーフは多分今の環境に満足していない。……レッドキャップ共々、引き抜ける可能性が高いわ!」




