8話
ギルヴァスとあづさが森林地帯に近づいた時、森の上空でコットンボールがふわふわと飛んでいた。
これは『戦闘終了』のサインだ。あづさはギルヴァスの背の上で安堵のため息を吐いた。
森の中央に降り立った時、ハーピィの悲鳴がそこかしこから聞こえていた。
丁度、あづさの近くにもハーピィ達が居た。
……網に捕らえられ、その網の網目の間からスピアビーに刺されて毒に侵されていくハーピィ達が。
「みんな、ご苦労様!」
あづさが声を掛けると、スピアビーと、近くに居たアーマーワーム達がうぞうぞと動いてやってきた。あづさは皆を労いつつ、ギルヴァスの後ろの方へと避難させてやる。
ギルヴァスもドラゴンの姿から人間に近しい姿へと変化して、寄ってきた虫の魔物達を移動させてやっていた。
「トレント達もご苦労様。もう戻っても……あ、さては、戻るのも面倒なのね……」
あづさが声を掛けるも、トレント達はハーピィ達から網を退けようとはしない。動くのが面倒なあまり、網を退けるのも面倒らしい。
「……さーてと。じゃ、やられちゃった鳥達をどうにかしてやりましょうか」
あづさはにっこりと笑って、網の中で呻くハーピィ達を見下ろした。
今回の作戦は、至極簡単なものだった。
まず、森の上部に糸を張る事で、ある程度、風鳥隊の動き方を制限した。
上が駄目なら、横から。そして横であるならば、風の四天王領がある方……東から侵入するのが自然である。何せ、相手は森の魔物達を舐めて掛かっていたのだから。
なので、今回戦わない魔物……アイアンスパイダーやコットンボールといった魔物に関しては、森の西側に纏めて避難させておいた。一応、身は隠させていたが、それも必要無かったかもしれない。
一度、ハーピィ達を森の中央まで侵入させたら、そこでアーマーワーム達が木から落ちることで発見される。
一応、丸まったアーマーワームの直撃によって攻撃にもなるか、とあづさは考えていた。無論、その程度、攻撃にもなりはしなかったが。
……そうしてハーピィ達が見つけた『獲物』へ襲い掛かったなら、あとは簡単だ。
トレント達が一斉に網を振り下ろして、ハーピィを捕まえる。
今回、網を作っている糸は、アイアンスパイダーの糸だ。アイアンスパイダーもまた、あづさ達の魔力を分け与えられて、鋼の糸を吐き出せるように回復したのである。
アイアンスパイダーが編んだ網は、ざっくりとした網目であった。それによって、ハーピィは脱出できず、かつ、アーマーワーム達は後から外に出られるようになっていた。
アーマーワームは網の外に出たら、そのまま丸まって待機。アーマーワームの装甲は、丸まってさえいれば、そうそう攻撃を通さない。囮にぴったりだった。
……最初の網で捕まえられなかったハーピィについても、他の網である程度は捕まえられる。
そうして『木が網を振り下ろしてくる』と思わせたなら、あとは簡単。トレントではない木にも網をかけておいたりすることで、ハーピィに必要以上の警戒を抱かせ、一度、撤退を決め込ませる。
ハーピィ達は散り散りに森の外に向かって出ようとするが、上は網がある。上には逃げられない。
そうなれば、ハーピィは地面の傍を通って逃げるしかなく……『地面に埋まったマンドラゴラ』の傍を通っていくことになるのだ。
あづさとギルヴァスは網の中のハーピィ達を拘束した後、森を一周して、今度はマンドラゴラにやられたハーピィ達を回収して回った。
……マンドラゴラは3日間、あづさ達の魔力を存分に吸って、遂には『たった1体でも高位の魔物を気絶させることはできる』程度の悲鳴を取り戻したのである。
今回はヘルルートと組にして、据え置きの爆弾のような使い方をしてしまったが、マンドラゴラ本人としては特に気にしていないらしい。むしろ、魔力をたっぷりと吸ってそれなりに機嫌が良いらしい。あづさが近づくと、地上に出ている葉の部分がそっと揺れて、あづさの脚を撫でた。
「さて、と。これで全部かしらね」
「だろうなあ。いや、しかし、本当に風鳥隊をやってしまうとは……」
ギルヴァスは現実味が無いなあ、などと言いつつ、気絶したハーピィを縛り上げていく。いつ目覚めてもおかしくない以上、こうして縛り上げておくのが賢明だろう。幸いにも、ハーピィは翼が動かせなければその機動力も全く得られない生き物だ。動きを封じやすい。
「……しかし、こいつらをどうするんだ?まさか本当に捌いて焼き鳥にするつもりじゃないだろうなあ」
「そうね。それも悪くないけど、こいつらの肉、固くて美味しくなさそうだから却下よ。観賞用に焼くのも品が無いしね」
あづさは苦笑いしつつ、ヘルルート達が気絶したハーピィを運んでいくのを眺めて、ふむ、と考えた。
「要は、もうこれ以上、こいつらが二度と攻撃してこなきゃいいのよね。それからついでに、風の四天王側の情報なんか、くれたらとってもいいんだけど……かといって、変に恨まれたり変に手を回されて厄介なことになっても嫌よね」
考え、考えて……あづさは結論を出した。
「要は、あいつも手下にできればいいのよね」
「つ、つまり、風の四天王のところから風鳥隊を引き抜け、ということか!?」
「いや、無理よ。だって地の四天王領、一番の資源があなたと私っていう貧乏状態よ?こんな状態で他所の幹部なんて引き抜けるんだったら誰も苦労しないでしょ」
「そ、そうか……」
「ちょ、ちょっと、落ち込まないでよ……事実でしょ……」
慌てて一転、落ち込み始めたギルヴァスに呆れつつ、あづさはもう少し考えをまとめつつ話し始める。
「要は、こっちに協力的な方が、面倒が少ないでしょ、っていうこと。一方的に搾取してくる関係を、普通にやりとりできる関係に変えられれば、それが良いわよね」
「ま、まあ、そうだな……?」
「平和主義なんて言って日和見決め込む必要もないけど、不要な争いは避けるべきだわ。だってうち、貧乏四天王領なんだもの。敵を作りまくってたら四方八方から一気に攻められて滅亡確定よ、こんなの」
「そう、だな……?」
ギルヴァスは、『ならもし貧乏でなかったなら争っていくつもりだったのか?』と思ったがその先を考えるのはやめた。
「ということで!」
あづさは元気に声を上げると、転がされたハーピィ達の中から、目的の1体を見つけ出す。
マンドラゴラに気絶させられたそいつが、この風鳥隊の隊長……ギルヴァスを強請っていた、例のハーピィである。
「とりあえずこいつとお話しましょうか」
風鳥隊隊長のハーピィが目覚めると、そこは森の中だった。
「あら、起きた?」
「っ!?」
そして声を掛けられ、声の主の姿を見て、飛び起きた。
「ってめ……な、なんのつもりだ!?」
「そんなに驚かないでよ。ただ声かけただけでしょ」
ハーピィは目の前に立つ異世界人の少女とその横に立つ地の四天王ギルヴァスとを見上げて、それから、周囲の状況を確認した。
……ハーピィは何故か、柔らかな干し草の上に寝かされていた。干し草の他にもコットンボールの抜け毛らしい綿毛が混ぜ込んであって、それなりに寝心地のいい寝床になっている。
それから、遠くの方に風鳥隊の部下達が見える。彼らは特に何かされた風でもなく、そこに待機しているらしかった。
「……何がしたいんだよ、てめえ」
「そうね。とりあえず、殺したり傷つけたりするつもりはないわね。あなたが馬鹿な真似しなければ、の話だけど」
寝心地の良い寝床。傷つけられることもなく寝かされていた自分。そして、武器も持たずに話しかけてきている異世界人と地の四天王。
……成程、相手は本当に、自分を傷つける意図は無いのだな、と、ハーピィは理解した。
ただし、地の四天王は武器などなくとも、ハーピィ一体程度、簡単に殺せるだろう。こうも至近距離であったなら、逃げる時間も満足に得られない。ハーピィが『馬鹿な真似』をしたならば、本当に、殺されかねない。
そう理解したハーピィは、ひとまず、大人しく様子を見ることを優先した。
思うところはあったが、それでも今は、自分と部下達の命が先決だ。
「そういえば私、まだ名乗ってなかったわね。降矢あづさ。あなたは?」
「……ラギト・レラ」
「そう。じゃあ、よろしくね、ラギト」
にっこりと笑う異世界人の少女……あづさを見ながら、風鳥隊隊長ラギト・レラは警戒心を強めつつも、じっとしているのだった。
「とりあえず現状報告ね。あなた、地の四天王領の森林地帯を襲ったでしょ」
ラギトは答えなかったが、あづさは無理に答えさせようとはせず、ひとまず報告だけ、と続ける。
「風鳥隊は全員、気絶。もしくは、毒で体調不良。そういう状態になってたんだけれど、今は全員あのとおり、元気になってるわ。毒に侵されたハーピィも解毒剤で楽になってるはずよ。あと、この森にあるものだけど、木の実で軽食は済ませてる。あなたももしお腹が空いてたら後で食べるといいわ。結構美味しいから」
あづさの報告を聞いて、ラギトはぽかん、とした。
「な……なんでだ?なんでそんなことをした?」
「なんで?そんなの決まってるでしょ。敵対する意思はもう無いからよ」
更に返ってきたあづさの答えに、ラギトはまた、ぽかん、とした。
あれだけ煽っておいて、まさかこうまで掌を返されるとは。
「あのねえ。私だって、あんた達が好き勝手こっちから物をとっていこうとするんじゃなきゃ、真っ当に話をしたいのよ。……真っ当に話をしないリスクっていうものは、今回よく分かったでしょ?」
「そ、それは……」
ラギトは自分達の敗北を思い出して、苦い顔をする。
目の前の少女の澄まし顔を崩してやりたい。泣きわめいて許しを請うようにしてやりたい。……だがそう思いつつも、ラギト達が負けたのは事実なのだ。
今、命があるという状況は……およそあり得ない幸運なのだということも、分かっている。
「けど、よかったわ。あなたの隊も私達も、犠牲者は無し。怪我は多少あったけど、それで済んでるわ。取り返しのつかないことは何も起きてない」
あづさはそう言って笑うと、ラギトの前にしゃがみ込む。
「ということはまだ、無かったことにできるわよね。……ねえ、この戦いなんて、無かった。そうでしょ?」
ラギトは、迷った。
一体あづさは何を言っているのか、と、混乱しもした。
だが、一生懸命に考えて……これだけは、分かったのだ。
「つまり、俺達は敗北してない!」
「その通りよ。ついでに地の四天王領を独断で侵略しようとしたことも無かったことにできるわね。……っていうことで、ここが落としどころだと思うんだけど、どう?」
あづさが微笑めば、ラギトは渋々……だが、そうするしかない現実もあり……頷いたのだった。
「ああ、よかった!じゃあ私達、まだ友達になれるわね?」
「え?」
しかし、ラギトもこれは予想していなかった。
「友好の証よ」
まさか、宝石を差し出されるとは、思っても居なかったのである。