77話
火の巨人はラギトに脳天を射抜かれ、その炎を吹き散らされて、苦しむように悶えた。
暴れるようにその腕を振り回して、周囲の木々をなぎ倒し、燃やし尽くしていく。その炎はあづさ達にも向かってきた。
「だァああああから!こっちくんじゃねェ!ついでに死んどけ!」
ラギトは大きく翼を振るって空を打つと、風の魔法が火の巨人の腕とぶつかって大きくはじけた。飛び散る火の粉が風に巻き上げられて宙を舞う。
「こいつヒラッヒラして全然堪えねえ!なんだこいつ!」
「ラギト!退いて!火には水って相場が決まってるでしょ!」
苛立つラギトにあづさはそう叫びつつ、今度こそ、水の魔法を攻撃に転じさせて火の巨人へと放った。
水の槍はまっすぐに火の巨人に向かい、その胸に当たって、ジュ、と音を立てながら火の巨人の胸に穴を開けたのであった。
「やっぱり水が効くわね。流石、炎よ」
あづさは更にもう一本、水の槍を生み出しつつ火の巨人の様子を窺う。
火の巨人は胸に大きな穴を開けたものの、その穴は既に火で塞がれている。……だが、火の巨人は酷く消耗しているように、ふらついた様子であった。
どうやら火の巨人が傷を癒せるのも無限にではなさそうだ。胸に空いた穴を埋めるために、その分体力を使うのかもしれない。
火の巨人はそれでも、あづさに向かって手を伸ばす。あづさはそれを落ち着いて読み切ると、手を避けつつ、火の巨人の掌に水の槍を突き刺した。
掌に風穴を開けられつつも、火の巨人はそのままあづさを追いかける。水の魔法は間に合わなかったが、今度はラギトが手を蹴り散らした。
……かくして、火の巨人はみるみる消耗していき、あづさはラギトの助けを借りながら火の巨人につかまることなくやり過ごし続け……そして。
ぱっ、と辺りに影が差した。
あづさが空を見上げれば、空には待ち望んだ姿がある。
黒い竜は琥珀の瞳でぎろりと火の巨人を睨みつけると、一声、吠えた。
ギルヴァスの姿を見た火の巨人は、さっと逃げ出そうとした。だが行く手を阻むように雨が降る。
「あづさ様!ご無事ですか!」
あづさの頭上、ギルヴァスの背の上から、ミラリアが顔を出した。どうやらミラリアが雨を呼んで火の巨人の邪魔をしたらしい。
更に、ギルヴァスの背からルカが飛び出す。その手に三又の槍を携えて火の巨人に向かって跳躍し……呼び寄せた水と共に、火の巨人を貫く。
火の巨人は脳天から水で貫かれ……ふっ、と掻き消えるように、その姿を消したのだった。
「あづさ!無事か!」
「ええ。何とかね」
早速人間の姿に変じたギルヴァスは慌ててあづさに駆け寄ってくると、あづさの無事を確かめて安堵の息を長く吐き出した。
「スライムが動いたと思ったら、ルカのケルピーも戻ってきてな。ただ事じゃあないと思って来たが……本当に無事でよかった」
「もっと早く連絡できればよかったんだけれど、それどころじゃなくって。ごめんなさい。心配かけたわ」
あづさはスカートの中からスライムを引っ張り出して、ありがとうね、と伝えた。するとスライムはぷるんと震えつつ、あづさを労わるようにその手に擦りついてくる。
「おうおうおう!ちょっと待て!俺を忘れてねえか!?」
そこへ口をはさんできたのは、ラギトであった。ラギトは翼を大きく広げて、自慢げにギルヴァスの前に立つ。
「あづさが無事なのは俺のおかげだぜ!俺を褒め称えろ!」
「うん。偉い」
「だろ!偉いだろ!もっと褒めろ!」
「偉い。偉い。ありがとうなあ、ラギト。お前と友好関係を結んだのは正解だった」
「だろ!だろ!」
すっかり安堵しきって、へらりと笑みを浮かべたギルヴァスが褒めるのを聞いて、ラギトはますます自慢げに翼をばたつかせた。その様子はなんとなく、乳児になったファラーシア、もとい元気な子供を思わせた。ファラーシアももう少し成長して、もうじきこんなかんじになるのだろうとあづさはぼんやり思う。
「本当に来てくれて助かったわ。あなたが居なかったらちょっと、まあ……死んでたかもね。私」
子供じみた様子で大きな功績を自慢していたラギトだったが、あづさも礼を言えば、ますます胸を張って、言った。
「まあ当然のことだろ!何てったって俺は強くて美しくてかっこいい!しかも賢い!そんな俺が俺の領地で俺の未来の参謀を殺させるわけがねェ!」
「ちょっと待ちなさいよあんた、何?さっきも言ってたけど、未来の参謀って何?」
「あづさは俺のだ!」
「違うわよ」
「うるせえ!俺が貰う!貰うって決めた!決めたんだから俺のだ!」
ラギトはこんな調子であったが、ひとまず今回の功労者であることに変わりはない。あづさは苦笑しつつ、気持ちだけ受け取っておくわ、とラギトの頭を撫でるのだった。
「ギルヴァス様。これはどうしましょうか?」
やがて、ミラリアとルカがやってきて、ギルヴァスにあるものを見せた。
それはルカの手の中、水でできた檻の中に浮かぶ、人間の拳ほどの大きさの火である。
「……イフリートの火種か」
「恐らくは。先ほどの奴だと思われる」
ギルヴァスはふむ、と唸ると、檻の中の火の玉を見つめる。
この火の玉は、先ほどまであづさを襲っていた火の巨人の成れの果てであるものと思われた。ギルヴァスの知識の上には、『イフリート』という種族の魔物がある。
火の悪魔である彼らは、火でできた体を持ち……その体を自在に操ることができる。
自らの魔力を使って自らの体を燃え上がらせて巨人のようになることもできる一方で、火を消され続ければ魔力を失っていき、やがては今のように小さな火の玉となって魔力の回復を待つしかない状態になってしまうのだ。
「ここで火を消して、完全に消滅させてやることもできる、というわけか」
ギルヴァスがそう言って見下ろすも、火の玉は特に感情を感じさせることもなく、ただ弱弱しく揺らめいているばかりであった。
「あら。その火、さっきの奴?」
「ああ。恐らくこれはイフリートだ。まあ、姿かたちを見れば分かることだが、火の四天王団に所属する魔物だな。先ほどの様子を見ている限り、それなりに魔力を持っているらしかった。もしかしたらそれなりの役職に就いている者なのかもしれないなあ」
「へえ。そう……」
あづさもギルヴァスと並んで火の玉を眺め、そしてその横ではラギトも並んで火の玉を眺め始めた。
ラギトが悪戯に少々翼で風を起こして火の玉を煽ると、火の玉は今にもその火を消してしまいそうに揺らめく。火の玉はその時初めて、意思を感じさせる行動をとった。つまり、ラギトの風からできるだけ逃れようとするかのように、水の檻の中を動き回ったのである。
「こら。ラギト。うっかり消えちゃったらどうするのよ」
「駄目なのかァ?だってこいつ、お前のこと殺そうとしてたやつだろ?なら危ねェから消しちまっていいだろ!」
「まあ、そうなんだけど……」
あづさは困って、ギルヴァスと顔を見合わせた。するとギルヴァスもあづさと同じような顔をして、あづさと顔を見合わせ……頷く。
「分かった。こいつはうちで捕虜として扱おう」
「えええっ!?消しとかねえの!?」
「何かの交渉材料くらいにはなるかもしれんからなあ」
「下手に置いといたらお前の城、燃やされるぞ!?」
「石造りだから燃える場所が無いんだが……まあ気を付けよう」
ギルヴァスは苦笑しつつ、ルカの手の火の玉をもうしばらくルカに預けておくことにする。何せ水の魔法で作り上げた檻だ。ギルヴァスには維持が難しい。
「じゃあ一旦、帰るか。そこであづさ。君の身に何が起きたのか、教えてほしい。それから……」
「俺のケルピーに、無事を伝えてやってほしい。気が動転していたようだったから」
ルカが一層水の檻の強度を高めつつそう言い、それを聞いたあづさは申し訳なく思った。
「ごめんなさい。ケルピーには悪いことしちゃったわね。こんなことに巻き込んで……」
だがルカはそんなあづさに、気にしないでくれ、と笑いかける。
「それが彼の望んだことだったんだろう。あなたを乗せたがったのだから、むしろあなたの窮地に居合わせたことを喜んでいると思う。……もし彼があなたを守る役に立ったなら、褒めてやってほしい」
「……そう?なら、帰ったらいっぱい褒めてあげなきゃ。あの子が居なかったら私、多分死んでたわ」
あづさも気を取り直して笑みを浮かべつつ、ルカの手の中の檻、更にその中の火の玉を見つめた。
火の玉は、あづさに対して特に何も反応しない。反応する力も残っていないのかもしれない。だが油断することはしない。この火の玉はつい先ほどまであづさを狙っていたのだから。
「あなたにも聞きたいこと、いっぱいあるわよ」
火の玉はあづさの言葉が分かっているのかいないのか、ゆらりと揺らめくばかりである。あづさはそれを見てため息を吐くと……思った。
これは、ネフワに注文する品がまた増えたかしら、と。




