75話
あづさがネフワとシルビアをじっと見つめると、2人は蛇に睨まれた蛙のように縮みあがった。
「え、ええ。可能です。材料さえ揃えば、すぐにでも」
「へえ。そう。何が足りないの?」
あづさが問えば、シルビアはネフワと相談しながら足りない材料をメモにまとめ始めた。
「確か、魔法銀が足りないですよね。あとそれから、水晶と……」
『それから金と、碧玉もだ。瑠璃石もメモに加えたまえ』
「あら?それらの在庫はまだあったのでは?」
『作成の分の魔力と技術はこちらの負担になるのだ。少々色を付けてもらってもいいだろう。地の四天王団にとっては大した出費でもあるまいよ』
「ああ……成程。他の研究班が使ってしまったのですね。分かりました」
シルビアはそう言いつつ、メモにそれらを書きこんでいく。あづさはそれをじっとりと見つめつつ……言った。
「水増し請求したりしたら、当然、分かってるわよね?」
これにはネフワもシルビアも縮み上がったが、2人がメモの内容を訂正することはなかった。むしろここで動いた方が怪しまれる、と踏んだのだろう。
だが。
「そう。なら、『私、この世界の文字を勉強したの』って言えば分かる?」
『ごめんなさい にゃー』
「別にいいわよ。転んでただで起きない根性は嫌いじゃないもの」
頭を下げているということなのか、いつもより低空に居るネフワを睨みつつ、あづさは仁王立ちしていた。
「ただ当然だけど、それなりのことは覚悟してくれるんでしょうね」
『こわい にゃー』
ネフワが縮こまりつつそのように板の上に文字を書きだすのを見て、あづさは「もう異世界の文字で喋ってくれてもいいんだけど」と思いつつもそれはそっとしておくことにした。
「まず、要求された素材は提供してあげる。金と碧玉と瑠璃石についても、ね」
「えっ、あ、あの?」
「それが対価として必要だって言うんだったら、あげるわよ。『大した出費でもあるまい』ってことはないけれど、あなた達がそれを手にすることで別の研究が進むんだったら投資してあげてもいいわ」
シルビアもネフワも困惑しきった様子だったが、あづさはひとまずそんな2人を満足げに見つつ、たっぷり数秒後にこう言った。
「その代わり、火の四天王領の魔物とのパイプを繋いで頂戴」
『ひ にゃー?』
「火、よ」
あづさの申し出に、ネフワもシルビアも困惑を深めたように見えた。2人は顔を見合わせて、どうしたものか、というようなアイコンタクトをとっている。ネフワの場合、どこに目があるのかまるで分らなかったが。否、そもそも目など無いようにも思えたが。
「私達地の四天王団は、風の四天王団雷光隊に資源を投資していく。その都度、研究成果はある程度貰っていくわ。悪くない話でしょ?」
『にゃー』
「それで、まあ、投資とリターンの話はそれとして……約束を破ってくれた上に資源を水増しで請求しようとした件については、火の四天王領の魔物とのパイプで勘弁してあげるわ。どんな弱小種族でもいいから。それとも、難しい?なら別の条件を持ってきてもいいけれど」
あづさがそう言うと、ネフワとシルビアは何やら相談し始めた。今度はあづさに会話を聞かれる心配をして、ネフワは板を自分の体の後ろに隠してしまいながらの相談となったが。
「どう?決まったかしら?」
そうしてあづさがそう問うと、くるり、とネフワは回転して、あづさに板を見せつけた。
『わかった にゃー やる にゃー』
「本当?ならよかったわ」
『あづさちゃん くもづかいが あらい にゃー こわい にゃー』
「あらありがとう。誉め言葉って受け取っておくわね」
ネフワがしょぼくれたように体のボリュームを減らしているのを見て、あづさはくすくすと笑うのだった。
「しかし、よかったのですか?」
「何が?」
ネフワが紹介状を書いたり手紙を書いたりする間、食堂でお茶でも、ということであづさはシルビアと共に食堂にやってきていた。
茶と茶菓子を味わいつつ、あづさはシルビアに心配そうな顔を向けられている。
「い、いえ……投資の件は、こちらにとってもあまりにも利があります。四天王代理のラギト様は情報の秘匿を求めてくる方ではありませんし、なら私達としては、研究を好きなだけ進められるということには大きな意味があります。むしろ、願ったり叶ったりといったところで」
「それはよかったわ」
「しかも。こちらが約束を破った件について、罰則があまりにも軽すぎるのではないか、と思いまして」
ふうん、と唸りつつ、あづさはカップを傾けて、花の香りのする茶を味わった。シルビアの表情を観察するに、彼女はどうやら『何か裏があるのではないだろうか』というような心配をしているらしい。まあ当然の心配かしら、と、あづさは納得しつつ、カップを戻した。
「私だって、あなた達との関係は良好に保ちたいのよ。だってあなた達の技術って、地の四天王団には無いものだから。逆に資源はそっちには無いけれどこっちにはある。なら、お互いに分け合った方がより一層発展できるじゃない?それって私側にとっても十分な利のある話だと思うけれど」
「それならばよいのですが……」
「それから、火の四天王領の魔物との繋がりについても、そうだわ。ギルヴァスはともかく、私個人は火の四天王領に何の繋がりも持ってないの。それにギルヴァスだって、持っている繋がりって過去のしがらみとか、侮蔑とか、そういうのばっかりでしょう。今から対等な関係を築こうっていう時には、むしろ邪魔になるものばっかりだわ」
シルビアが戸惑った顔を見せるのを見て、あづさはただ安心させるように微笑み返す。
「持っていないものは補い合いましょう。別に私達、争わなくったっていいはずだわ。勿論、競争が必要ないとは言わないけれどね」
「……そう、ですね。ええ。その通りです」
シルビアも表情を綻ばせて、小さく頷いた。そしてあづさにおずおずと、手を差し出す。
「これからも、よろしくお願いします。あづさ様」
「ええ。ありがとう。こちらこそ、よろしくね。シルビアさん」
あづさはシルビアの手を握って、満面の笑みを浮かべた。シルフの手は、風のようにふんわりと柔らかく滑らかな感触であった。
『はい にゃー』
やがてネフワに渡されたものは、1枚の紙だった。
上質な厚い紙に、異世界の文字で文章がつづられている。そして、あづさもそれらを読むことができた。
そこに書かれた内容は、紹介状。ネフワがその種族に向けて書いた紹介状である。……そしてその宛名は。
「レッドキャップ?」
レッドキャップ、と。そう書いてあった。
『ひのところの したっぱ にゃー』
「へえ。どんな種族なの?」
「そうですね。少々悪戯好きな種族ですが、主に鉱山での採掘作業などに従事しているようです。火の四天王領から資源を取り寄せる際にはよく窓口になってもらっているので」
「あら、火の四天王領から取り寄せないといけない資源もあるのね?」
あづさがふと気になって尋ねると、シルビアもネフワも頷いて見せた。
「そうですね。地の四天王領の全盛期には、ほとんどの鉱石が全て地の四天王領で採れた、と聞いていたのですが……やはり今は、そうもいかないのでしょう?」
「そうみたいね。私も詳しくは知らないけれど」
あづさが少々渋い顔で頷くと、シルビアは眉根を寄せて続ける。
「ですから、どうしても火の四天王領から取り寄せなければ現在は手に入りにくい素材、というものがありまして。使う分量はそんなに多くはないのですが……風の四天王団も水の四天王団も、ある程度は火の四天王領にたよって資源を手に入れている状況です」
「成程ね。そういうことなの」
ふむ、と1つ唸って、あづさは紹介状を見つめる。
このレッドキャップ、という種族が風や水の四天王領のために資源を採掘しているのならば……彼らはその内、仕事を大幅に失うことになるだろう。
何故なら、これから地の四天王団は火の四天王団と交渉し、鉱山の力を取り戻すのだから。
「……レッドキャップ、ね。仲良くできそうだわ」
あづさはにこりと笑って、まだ見ぬ魔物達に思いを馳せる。
鉱石の採掘をしているのなら、ドワーフともきっと、相性が良いはずだ。なら、このパイプには大きな意味がある。
それからあづさは、雷光隊の研究所を後にした。
再びルカのケルピーに乗って、研究所から飛び上がる。
「じゃあ、今度は頼まれた資源持ってくるわねー!」
「はい!どうもありがとうございます!お気をつけて!」
『また にゃー』
シルビアが手を振り、ネフワもフワフワした体の一部を左右に振って見送ってくれているのを眼下に眺めながら、あづさはケルピーの首のあたりを軽く撫でつつ、地の四天王城に帰ってくれるように言った。するとケルピーは宙を走り、西の方へと飛んでいく。
「いい子ね」
あづさがそう言ってやると、ケルピーは嬉しそうに、きゅー、と鳴いた。
そうして雷光隊の研究所を出て少し飛んだ頃。
風を切って空を飛ぶ爽快感にあづさが目を細めていると、ふと、前方にちらりと光るものが見えた気がした。
太陽ではない。太陽はもう傾きかけて、あづさの左前方の空にあるのが見えている。では、太陽より低い位置、あづさの真正面にあるそれは、何か。
あづさは不審に思いつつも、ケルピーの速度を落とさず進んでいく。するとみるみるそれは近づき……すると、そこには。
「……火で、できてる……人?」
人間の形をした炎が、宙に仁王立ちしていたのである。まるで、あづさの進路を阻むかのように。




