74話
ルカの馬、と聞いて、あづさは思い出す。翼をもった、水の馬の姿を。
「ああ、あの羽が取り付けてある、水の馬!」
「そうだな。あの馬はケルピーという種族だ。本来は飛べる種族じゃないはずだが、恐らくはあの羽で飛べるようになっているんだろうなあ」
ギルヴァスがそう言うのを聞いて、あづさは早速、期待を露わに頷く。
「ルカに聞いてみるわ。彼の馬って彼の相棒でしょうから、借りるのはちょっと失礼に当たるかもしれないけれど……羽の仕組みを聞くくらいなら、いいわよね」
あづさにも、馬というものが高級品だというくらいの認識はある。ましてや、騎士にとっての馬は戦場を駆けるための脚。自分の脚をおいそれと貸せるものではないだろう。
あづさはどう頼むか考えつつ昼食休憩を終え、すぐにルカの元へと走ったのだった。
「馬?ああ、ケルピーのことか」
「そう。確か、羽が生えてたでしょう?あれを見せてほしくて」
あづさが申し出ると、ルカはあっさりと許可を出してくれた。ぴゅい、と口笛を吹くと、ケルピーが湖の中から走って出てきて、ルカの傍に停まる。
「わあ……本当に水でできてるのね」
「そうだな。こいつは水の精が馬の形をとっている、というだけのものだ。本質は水そのものだと言える」
触ってもいい?と断りを入れてから、あづさはそっと、ケルピーの背に手を触れた。
ひんやりとした感触は間違いなく水のそれなのだが、水に触れた割に手が濡れるでもなく、どうにも奇妙な感覚である。スライムのような弾力があるわけではなく、むしろ手を触れればその手をあっさりと体の中に沈めてしまう程にただの水なのに……馬の形を保っている。なんとも奇妙な生き物だった。
「大人しいのね」
「誰にでも、というわけではないが」
ルカがケルピーの首のあたりを撫でてやると、ケルピーは気持ちよさそうに、きゅい、と鳴いた。どう聞いても馬の鳴き声ではない。やはりこれは馬ではなく水、ということなのだろう。
「……それで、これが羽、よね」
そしてあづさはついに、ケルピーの背に取り付けられた羽を見る。
羽は美しい細工物だった。水晶か何か、透明な結晶で作られた羽と、銀細工の骨組み。それらが折り重なって、水の馬を彩る美しい羽となっていた。
「これ、どういう仕組みなのかしら」
「仕組み、か。すまない、それは俺にも分からない。オデッティア様から賜ったものだから、俺が作ったわけじゃない」
しかしあづさの眼にもその羽の構造はよく分からず、ルカ自身もよく分かっていない、ということだった。
あづさの眼では精々、魔法の力が働いて羽として機能するようにできているのだな、ということが分かる程度である。それ以上のことを知ろうと思ったら、最低限、ギルヴァスに頼まなければならないだろう。或いは、あづさでも時間をかけていけば、掛けられた魔法の構造が分かるかもしれない。
「ねえ、ルカ。もしよかったら、なんだけれど……この羽の仕組み、調べてみたいの。いいかしら」
ケルピーはともかく、羽を少し借りておくことはできないだろうか。そう、あづさは申し出たのだが……。
「ああ。構わない。……この羽はどうやら、元々は風の四天王領の雷光隊で開発されたものらしい。あなたはそちらに伝手があると聞いた。持っていけば詳しいことが分かると思うが」
なんとこの羽は、ネフワ達雷光隊の手によって作られたものだったらしい。驚きの事実を伝えられて、あづさは……頭を抱えた。
「……その雷光隊研究所へ行くための手段が欲しくて、羽を調べられないかと思ったのよね……」
雷光隊を訪ねるための手段が欲しいのに、その手段は雷光隊に行くと手に入る、などと言われてしまえば、何ともやるせない。
無限ループじゃないのよ、と、あづさはため息を吐く。
だが。
「ああ、そういうことか。なら羽だけと言わず、ケルピーごと使ってくれ」
ルカはそう言って、ケルピーを指し示すのだった。
あっさりとルカから許諾を得てしまい、却って驚くことになる。
「え、い、いいの?だってこの子、あなたのパートナーでしょ?」
「まあ、共に戦場を駆ける仲間ではあるが……ケルピー自身が認めた相手に貸すのなら、問題は無いだろう。彼があなたを乗せることを望んでいるようだから、もしよかったら使ってやってほしい」
ルカはそう言うと、笑ってケルピーの尻を叩いた。するとケルピーはおずおずとあづさの前に進み出てきて、そして、すりすりとその首をあづさに擦り付けて懐いてくるのである。
「……かわいい」
あづさは思わずそう零した。自分に懐っこくすり寄ってくる生き物、というものは、どうにも可愛らしい。ケルピー、という生き物があづさの世界では『人間を水の中に引きずり込んで溺死させる魔物』として語られていたとしても。
「馬に乗ったことはあるか?」
「いいえ。無いわ。……なのに上手く乗れるかしら」
「心配ないだろう。彼はあなたを乗せたがっている。振り落としたりすることは無いだろうし、あなたが望むところまで真っ直ぐ駆けていくだろう。……手を」
ルカが求めるままにあづさは手を差し出すと、ルカはあづさの手を取って引き寄せ、そのまま抱き上げてあづさをケルピーの背へ乗せた。さっとケルピーの上に乗せられてしまえば、あづさもそこでなんとかバランスを取って、程よい姿勢を探して収まる。
「大丈夫そうだな。あとは手綱を握っていればいい。どこへ行きたいのか伝えれば、彼は走り出す。あとは彼に任せておけばいい」
「そう、なの……なら、少しこの子、お借りするわ」
あづさがケルピーの上からそう言えば、ルカは少しばかり満足げに頷いた。
「ああ。よい旅を」
「ありがとう。夕方には戻るわ!」
あづさは手綱を強く握ると、ケルピーに囁いた。
「ねえ。風の四天王領、雷光隊の研究所まで、お願いできるかしら?」
するとケルピーは、きゅい、と鳴く。……そして、あっという間に駆けだした。
ぱっと景色が後方に飛び去っていく。加速するのもその速度を維持するのも、ケルピーはとても上手かった。ケルピーはそうしてあづさを乗せたまま走り……ある程度助走をつけたところで、ついに、地を蹴ったのだった。
ケルピーの離陸はふわりとしていて、まるで現実味がなかった。
ジャンプしてそのまま地面に戻ってこないような感覚に近いそれは、あづさを思わず身震いさせる。
……だが、不慣れな感覚に驚いたのも少しの間だけだった。あづさはすぐ、ケルピーの飛行を楽しむようになった。
「ふわふわして、でも走ってるみたいで、不思議な感覚ね。あなたの飛び方、素敵だわ」
あづさがケルピーにそう話しかけると、ケルピーはまた、きゅい、と鳴いて嬉しそうにし、更に速度を上げていった。……どうやらこのケルピーは、褒められると俄然やる気が出るらしかった。
「後でルカにもお礼、ちゃんと言わなきゃね」
また、ケルピーは主人にして仲間でもあるルカが褒められることも好きらしい。あづさがルカの話をすれば、きゅいきゅいと鳴いて嬉しそうにするのだ。
そうしてあづさはしばらくの間、ケルピーとの空の旅を楽しみながら、やがて近づいてきた雷光隊の研究所を目指して、まっすぐ進んでいくのだった。
「ごめんください。ネフワさんかシルビアさん、居るかしら」
研究所に入ったあづさはそのあたりに居たシルフにそう尋ねる。シルフは一瞬、怪訝そうな顔をしたものの、あづさの正体に思い至ったのだろう。すぐにはっとして、表情を明るくした。
「地の四天王団の参謀、あづさ様ですね。呼んで参ります。少しお待ちください」
そうしてシルフが飛んで行ってしまって数分。あづさの前に、以前と変わりなくフワフワとしたネフワと、前回同様真面目そうな印象を与える格好をしたシルビアとが現れたのだった。
『あづさちゃん 久しぶり にゃー』
「ええ。まあ、ちょっとだけ久しぶり、ね」
「あづさ様。我々の作った電池はいかがでしたか?」
「ええ。無事に使えたわ。私が持ち込んでた電化製品……ええと、私の世界の道具も無事、使えたの」
「本当ですか!?それはよかった……!」
会ってすぐ、電池については話し終えてしまい……そこでふと、あづさはネフワに向き直った。
「あ、そういえば、ネフワさん」
『なんですか にゃー』
ネフワが相変わらずのフワフワとした調子で居るのを見つつ、あづさはネフワへ笑顔を向け、言った。
「よくも約束、破ってくれたわね」
あづさがそう言った途端、シルビアは表情を強張らせ、ネフワは……驚きの表現なのか、フワフワの体をぎゅっと竦めて、宙で縮こまった。
『なん 〇△× Дωて @るぃP^』
そして板の上に流れていく文字は、あづさが知るどの言語のものとも違った。どうやら混乱のあまり、ネフワはうまく言葉を表示できないらしい。
「文字崩れてるわよ」
『にゃー!』
「にゃー付け忘れてるわよって意味じゃなくて」
あづさがそう言ってやるも、ネフワは体を縮めたり伸ばしたり、宙でもよもよと蠢きつつ、板の上には『にゃー!』と残したまま、おろおろするばかりである。
「……ごめんなさい、シルビアさん。訳してくれる?」
「い、いえ、申し訳ありません、私にもこれは分かりません……」
すっかり慌てふためく様子のネフワを見て、シルビアも困惑の表情を浮かべていたが……シルビアはあづさの方を向くと、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、あづさ様!仰る通り我々は、水の四天王オデッティア・ランジャオ様にあなたから頂いた情報を教えてしまいました!」
『ほんとうに ごめん にゃー』
「元々私達雷光隊は、水の四天王様との関わりが深く……ファラーシア様からのご命令もあり、水の四天王団に与することも多かったのです。しかし我々も黙っていようとはしたのですが……相手方がすでに、電池について少々知っておいででして、しらを切りとおすのも難しく……」
でしょうね、と思いつつ、あづさは黙って仁王立ちを続ける。あづさより身長の高いシルビアと、身長というより高度が高いネフワが縮こまっている様子は、少々悪戯心をくすぐった。
「まあいいわよ。あなた達にもそういう事情があるっていうのはしょうがない事だから」
あづさはそう言ってやり、顔を上げたシルビアと、顔を上げたのか以前にそもそも俯いていたのかどうなのかもよく分からないネフワとを順に見て……そして、言った。
「それで、『話は変わるけれど』。この子の羽って、ここで作られた物なんでしょう?」
あづさがルカのケルピーを見せると、シルビアとネフワはそれぞれキョトンとした様子でケルピーの背の羽を見る。
『うん にゃー』
「そう、ですね。それは確かに、こちらで制作したものですが……」
あづさは2人の反応を見て、たっぷり一呼吸おいてから……ケルピーの背を撫でつつ、言った。
「これ、もう1組。作ってくれるわよね?」




