73話
翌日。今日から本格的に水の四天王領への水路づくりが始まる。あづさとギルヴァスは湖の宮殿を訪ねて、作業の進め方などをルカとミラリアと打ち合わせる。
……水路の作り方は、単純である。ギルヴァスが地面を掘って、そこに水を流す。水はオデッティアが封印を解いたとのことなので、地面から目覚めさせることはできるだろう、ということだった。
あとは、実際に水路を走らせる位置を確認しながら地面を掘り進めていくだけだ。水を流すのは最後の最後なのだから。
「……本当に水が戻ってきたんだなあ」
地面を掘りつつ、ギルヴァスはそう呟いた。掘った土は表面こそ乾ききって荒れ地のそれだったが、少し深く掘り進めれば、そこには今までなかったはずの水が滲みだす。しっとりとした土を見て、ギルヴァスは何やら無性に嬉しくなった。
「すみません、ギルヴァス様。この辺りはもう少し幅を広く掘っていただけますか?」
「ああ。分かった。……こんなものか?」
「ええ、ありがとうございます。曲がるところでは外側の方を少し幅広にしていただけますと、氾濫の危険は少なくなるのです」
「それから、すまない。曲がるところの内側に、岩場を用意しては頂けないだろうか。休憩地点があった方が、多くの種族が行き来できる」
「成程。こんなかんじか?」
……このような調子で、水路の建設は順調に進んでいった。何しろ、ギルヴァスが居れば、最も難しいであろう工程が一瞬でぽんと済んでしまうのである。ルカやミラリアから見れば、あり得ない程の能力だった。
だが、ルカもミラリアもギルヴァスの力に多少慣れてきて、ギルヴァスの能力を使わせることを遠慮しなくなった。ギルヴァスもこれを喜び、嬉々として2人に従い、着々と水路になる溝を掘り進め、或いは水路の脇に休憩所となるらしい岩場を作り……と働いている。
さて、そんな彼らの一方で、あづさにやることがあまりない。精々、持ってきている地図に水路の様子を描き写す程度である。あづさ自身には、できることはそれほど多くないのだ。
やることが無いなら一度城に戻って昼食の準備でもしていた方がいいか、などとあづさが考え始めた、その時。
「よお!見に来てやったぜ!」
元気な声が頭上から降ってきて、そこにはラギトが満面の笑みで飛んでいたのである。
「なあ、あいつら、ヘルルートっていったか?あいつらすげェな!俺のこと覚えてるみたいだぜ!」
「まあそうでしょうね。あの子達、喋らないけど賢い子達よ」
「だよなァ!俺が城に着いたらまた誰も居なくてよォ、でもあの丸っこい人参が居たから、あづさはどこだ、って聞いたんだよ。そしたらよォ、『水路建設中、西に居ます』って札、見せてきてよォ!すげェな!」
「それ書いたのギルヴァスよ。あなたが飛んで来たら見せてあげて、ってお願いしておいたの」
「そうだったのか!すげェな!」
余程、ヘルルートと意思疎通できたことが嬉しかったのか、ラギトは翼をパタパタさせながら喜んでいる。あづさは、はいはい、と返事をしつつ、ラギトを見て……ふと、首を傾げた。
「ところでその包み、何?」
ラギトの腹には、大きな包みが1つ、括り付けてあった。しかもその包みは……奇妙なことに、もぞもぞと、動いている。
「ん?これかァ?開けていいぜ!」
ラギトは上機嫌のまま、腹の包みを外してあづさに渡した。あづさはそれを受け取り、もぞもぞ動くその包みを、怖々と開けてみた。
……すると。
「……可愛いじゃないのよ」
そこには、丸々とした乳児が1人、入っていたのである。
乳児はぷくぷくと丸っこく、短い手足を動かしながらじっとあづさを見つめている。まだ言葉を喋るようにはなっていないらしく、むにゃむにゃとよく分からない声を発しているだけだが、ひとまず、興味はあづさに向いているらしい。
……まだ生え揃わない金色の髪と、あづさを覗き込んでくる緑色の眼には、何となく、見おぼえがあった。
「もしかして、ファラーシア?」
「そうだ!今朝、卵から孵ったから!とりあえず持ってきた!」
「持ってきた、って……」
確かにそういう運搬方法だったわね、と思い出しつつ、あづさは頭痛を堪えるように頭を押さえた。
「ねえラギト。こんな小さい赤ちゃん、乱暴に扱っちゃダメよ?変に揺さぶったりしたら危ないんだからね!分かってるの!?」
「そうなのか!?分かんねえ!だってこいつ、ファラーシアだろ!?」
「そうだけど、まだ赤ちゃんでしょうが!あんたは雛鳥の時から強かったわけ!?」
「おう!俺はガキの時から強くていい子だって言われてたぜ!」
あづさはますます通じない話に虚無感を覚えつつも、ひとまず、ラギトには必要最低限のことを教えてやらねば、と決意した。
「このくらいの小さい子って、まだ体も丈夫じゃないし、自力で動けないし、とにかく守ってあげなきゃいけないの。骨だって柔らかいのよ。肌だって柔らかくって、傷つきやすいんだから」
ほらね、とあづさがファラーシアの頬を軽くつついてみせると、ラギトは翼の先でファラーシアの頬を撫で……そして愕然とした。
「柔らけェ!しかも丸っこい!」
「そうね、丸っこいわね。それは見ればわかるでしょうけど……」
あづさが呆れていると、あづさの腕の中でファラーシアがもがき始める。あづさの腕から抜け出そうとしているかのようで危なっかしかったので、あづさはひとまず、ファラーシアを地面に下ろした。
するとファラーシアは、もぞもぞと蠢きながら地面を這い始める。今朝生まれたという割には随分と速い成長だ。流石は魔物、ということなのだろう。
「うわあ……地面這ってらァ……」
一方、そんなファラーシアを見て、ラギトは表情を引き攣らせる。
「はいはいするの、早いわね。成長速度がものすごい、ってことなのかしら。それとも、人間とは違って、生まれてすぐにある程度動けるようにならないといけない、ってことなのかしら」
「そ、そんなの知ったこっちゃねえけどよォ……うっわあ、地面這ってる……」
あづさは首を傾げる。ラギトの反応はどうにも、あづさからしてみれば不自然だ。
「赤ちゃんなんだからはいはいぐらいするでしょ」
試しにそう、言ってみると。
「つったってよォ!俺達は風のものだぜ!?みっともなく地面を這いずったりしねェんだよ!」
ラギトはそう言って、興奮気味に翼をばさばささせる。
どうやら、ラギトの感覚……或いは風の四天王団の魔物達の感覚からすれば、『地面を這う』という行為は相当に見苦しく耐え難い行動であるようだった。
「美しくねェ……」
ラギトはそう言って、地面のファラーシアを爪先で軽くつついた。するとファラーシアは、ぴいぴいと泣き出す。泣き声も人間のそれとは少々異なるらしい。
「そういうこと言わないの。泣いてるじゃない」
「だってよォ……」
あづさが再びファラーシアを抱き上げると、ファラーシアはぴいぴい泣きながら、あづさの手からも離れて、地面に落ちてしまおうとする。あづさは暴れるファラーシアをなんとか腕の中に収めつつ、ラギトをじっとりと睨んだ。
「いい?ラギト。あなた、そろそろ『美しい』以外の感性も得るべきだわ」
「は、はァ?どういうことだよ」
「美しいか美しくないかだけで世界は構築されてないの。もっといろんな物差しを持ちなさい。そうした方が世界が豊かになるわよ。そしてみんなの上に立つんだったら、いろんな感性を持っていて、いろんな評価軸を持っているべきだわ。そうでしょ?」
「お、おう……?」
ラギトはあづさの言葉が理解できない、というように首を傾げていたが。
「今のファラーシアは、『可愛い』のよ」
あづさはそう、言ってやった。
それから数分後。
「成程!可愛い!可愛いな!」
「そうでしょう。可愛いでしょう」
「おう!丸っこくて可愛い!ぷにぷにしてて可愛い!ヨタヨタしてんのも、弱っちいのも、すぐ泣くのも、可愛い!そうだろ!?これが可愛いってやつなんだろ!俺にも理解できるぜ!なんてったって俺は賢くて強くて美しいんだからな!」
ラギトはあづさに言いくるめられ、見事、『可愛い』という概念を会得していた。
弱く脆いものを慈しみ愛する心、というものは、ラギトにとってそれほど馴染みのないものではなかったらしい。部下を率いて自分が誰よりも前線に立とうとしていたラギトなのだから、弱者を守ろうという意識はあったらしい。
あとはそこに『美意識』という観点を与えてやれば、ラギトは何となく、今のファラーシアについて『美しくはねェけど可愛い!』と納得したらしかった。ついでに、『俺が守ってやらなきゃいけないんだよな!』とも。
……少々ねじ曲がったものを教えてしまったような気もしたが、ひとまずこれで、ラギトは今の姿のファラーシアに対しても好意的に接するようになるだろう。少なくとも彼にとっては、そう接することが『美しい』と判断されたらしいので。
「そうね。あなたは賢くて強くて美しいわ。ついでにあなた、時々ちょっぴり可愛いわよ」
「可愛いのか!?俺が!?」
「時々、ね」
「それって褒められてンのか!?」
「褒めてるわよ。可愛いわね、あなた」
あづさが少々背伸びしてラギトの頭を撫でてやれば、ラギトはぽかん、としていたが、やがてもじもじし始める。
「……なんか、慣れねェ」
「あ、そう。別に慣れなくてもいいんじゃない?ま、可愛がる側は楽しいけどね」
あづさがくすくす笑うと、ラギトは八つ当たりのようにファラーシアを翼で撫でて可愛がり始める。
そして。
「……楽しい!」
満面の笑みでそういうラギトに、よかったわね、と言いつつ、ラギトの翼の中に抱き込まれてきゃあきゃあと笑い声をあげるファラーシアを見て……あづさはまた、よかったわね、と呟くのだった。
「成程、ファラーシアがこうなったか。こうなるのは久しぶりだなあ」
昼食休憩、ということにして一度地の四天王城に帰り、そこでギルヴァスはファラーシアを眺めて嬉しそうにそう言った。
「こうなる、って……違う姿になることもあるの?」
「ああ、まあ、そうだなあ。卵の時にどういう環境だったかによって、幼虫の時期の姿が変わるらしい」
「そうなのか!?」
「ギルヴァスが知ってるのはいいけど、あんたが知らないのはおかしいでしょうが」
あづさがそう言ってやるも、ラギトは愕然とした表情でギルヴァスを見ていた。
「なあ、ファラーシアって、これのほかにどういう姿になるんだ!?」
「前回……まあ、100年弱前、だが。あの時は、全身に鎧をまとった幼虫、みたいな恰好だったな。その前はなんというか、こう、スライムみたいな……」
「げェーッマジかよ!?どういう仕組みなんだァ!?」
ラギトは翼の中に抱き込んだファラーシアを眺めつつ、全然スライムじゃねえ!と喚く。
「俺も詳しくは知らんし、ファラーシアも話したがらないから完全に推測になるが……恐らく、卵の時にどれだけ安全な環境に居たか、どれだけ愛されていたか、によって姿が変わるんだろう。動乱の時期、卵の時から身近に敵だらけだったなら、鎧を纏う。誰からも相手にされず放っておかれたなら、だれの目にも留まらないスライムのような形状になる。そういうことなんだろうなあ」
ギルヴァスがそう言うと、ラギトは唸りつつファラーシアを見つめて……首を傾げた。
「じゃあ、今は何だ?」
「安定していて、周りには卵の自分を美しい美しいと言う者達が居る。地面を這いずって見せても、お前達ならきっと許してくれるだろう、と思ったんじゃないか?」
ラギトはぽかん、とした顔でファラーシアを覗き込む。ファラーシアはふくふくと丸い顔の中、緑の瞳を輝かせて、ラギトに手を伸ばした。
「……それ、可愛いなァ」
「そうでしょう。可愛いでしょう」
「うん、うん。可愛いなあ」
……ギルヴァスとラギトの話を聞いていて、あづさは、思った。
きっと今回のファラーシアは綺麗な蛹になって、そして前回よりも、何なら今までのどんな時よりも美しい蝶の姿になって、出てきてくれるだろう、と。
「んじゃあ邪魔したな!また来てやるぜ!」
ラギトはまたファラーシアを腹に括り付けて、満面の笑みで窓枠に足をかけ、飛び立つ準備をする。
「はいはい。またいらっしゃい」
「おう!……あ、そうだ」
だがそこでラギトは動きを止め、それから、ふと、真剣な目をあづさに向けた。
「あづさ。お前、大丈夫だったか?」
「え?」
「ほら!前回!なんか……元気なかったじゃあねェかよ」
ラギトがそう言うのを聞いて……あづさはくす、と笑った。
「ええ。元気になったわ。もう大丈夫」
「本当か?本当だな!?ならいい!」
「電子辞書、そのうちあなたにも触らせてあげるわ」
「本当だな!?約束だぞ!?やったー!」
ラギトははしゃぐと、そのまま窓の外へと飛び出して、翼を大きくはためかせる。
「もしよかったらネフワんところにも顔出してやってくれよ!あいつ、電池の出来、気にしてたからよォ!」
「ええ。近い内に顔、出すわ」
最後にそう言い残して、ラギトはファラーシアと共に風の四天王領へ帰っていった。
「元気だなあ、あいつは」
「そうね。ラギト見てると元気出るわ」
疲れと呆れの混じった優しいため息を吐きつつ、あづさはそう言って窓の外を眺める。
風の四天王領の様子が見える訳でもなかったが、なんとなく、遠くの方へ眼をやった。空に浮かぶ雲を眺めていたら、ネフワのことを思い出す。
「ネフワのところ、ねえ。……しばらく、行けそうにないかしら。仕事が一段落してから、ね」
「ん?いつでも送っていくが」
「流石に悪いわよ。あなただって疲れてるでしょうし、あなたの仕事だってあるし」
あづさはそう言って、窓の外をちらりと眺めた。
歩いていける距離なら、歩いていく。だが、ネフワのところへ行くのなら、最低限、空を飛べなければならない。となれば、空を飛べないあづさはギルヴァスかラギトの力を借りなければならないのだ。
「魔法で長距離、飛べればいいんだけど。上手くいかないのよね。練習もしてるんだけれど。まだ着地ぐらいだわ」
あづさは一応、空を飛ぶための魔法も練習していた。だが、あらゆることを如才なくこなせるあづさにしては珍しく、空を飛ぶ魔法を安定して使うことができなかったのである。
「うーん、相性が悪いのかもしれんなあ。君は……」
ギルヴァスはそう言って、それから、はた、と何かに気付いたような顔をし……難しい顔をし始める。
「……何よ」
「い、いや……」
「何よ。言ってみなさいよ」
あづさがじっとりとした目を向けると、ギルヴァスは申し訳なさそうに口を開いた。
「……いや、君が空を飛ぶ魔法を使えないのは、俺のせいかもしれない、と思って」
「『地』は空とは相性が悪い。相反するものだからな。と、いうことで、つまり……その……」
「あなたのところに居るから私は空を飛べないのかしら?」
「……かもしれん」
ギルヴァスが心底申し訳なさそうにそう言うのを聞いて、あづさは苦笑した。
「あら、そう。そんなに私のこと、気に入ってるの?」
「そりゃあ、なあ……ううむ、しかし君の魔法に影響を及ぼす、となると……」
「別にいいわよ」
只々申し訳なさそうなギルヴァスの言葉を遮って、あづさは、しょうがないわね、と笑う。
「そういうことなら、しょうがないじゃない。別にいいわ」
「しかし」
「いいって言ってるでしょ。多少空飛べないくらいならどうってことないわよ」
あづさはそう言って、心の中でネフワに少しばかり、謝っておく。こういうことなら、もうしばらく行けそうにない。
……だが。
ふと、ギルヴァスは考え込んで、それから、顔を上げた。
「なら、ルカの馬を借りてみるか?」




