72話
「……改めて、これからお世話になります」
「すまない。世話をかける」
「いや、こちらの台詞だとも。……これから君達の力を借りる。一緒に、地の四天王団と水の四天王団を発展させていこう」
ギルヴァスはミラリア・フォグとルカ・リュイールと握手して、その表情に人を安心させるような笑みを浮かべた。
今日から、水の四天王団の水妖隊と海竜隊が、地の四天王団に駐屯することになる。
そして彼らは地の四天王領の荒れ地に水を取り戻させ、水の四天王領と地の四天王領との行き来がしやすいように水路を設け……地の四天王領と水の四天王領の発展に寄与すべく、ここに来たのである。
「……しかしすまんなあ。君達にも君達の部下にも申し訳ないことに、君達の住む場所は君達の手で整備してもらうことになる」
「池を掘ったり湖を掘ったりすることはできるんだけどね。でも、水はギルヴァスには操れないから。ごめんなさい」
「いいえ!とんでもない!お世話になるのですから、それくらいは当然、私達の手でやらせていただきます」
「むしろ、そのために俺達が来たんだ。それくらいはさせてほしい」
互いにこのようなことには不慣れであったため、互いに恐縮し合って硬いやり取りになってしまう。だが、そんなやりとりをぎくしゃくと済ませてしまえば、あとは作業が残るばかりだ。幸いにも、ミラリアもルカも、働くことを苦にする性分ではなかったため、いざ、実際の仕事が始まってしまえばすぐに打ち解けることができるだろうと思われた。
最初に、ルカには海竜隊の隊員達を返すことになった。
彼らは皆、地の四天王城の中、客室のいくつかで生活していた。ドアを開ければすぐ、海竜隊の隊員達が寄ってくる。
「隊長!ご無事でしたか!」
「よく、生きて……もう二度と、お会いすることはできないだろうと、覚悟していたのですが……!」
オデッティアの謀略に巻き込まれてルカは命を落とすだろうと、隊員達は皆、酷く心配していたのである。中には、ルカの死は最早どうしようもないことだろうと諦め、覚悟を決めていた者達もいたくらいだ。だからこそ、ギルヴァスとあづさがルカの生存を伝え、そしてルカが地の四天王団に派遣されてくる、ということを伝えた時にはその喜び様はすさまじかった。
今も隊員達は感極まり、ルカを前にして皆口々に言葉をかけ、或いは言葉すら発せずにその場に俯く者も居た。
「……すまない。心配をかけた。そして俺の不手際によって、皆の立場を危うくした。本当にすまなかった」
だが、ルカがそう言って頭を下げれば、隊員達は皆顔を上げ、そんなことはない、と口々に言うのだ。
そんな彼らのやりとりを見て、ミラリアは優しく微笑んでいた。彼女もまた、水晶柱から生還した時には、ローレライ達に囲まれて泣きつかれたものであったので。
「さて。では君達の意思をほとんど聞かずに決めてしまって本当に申し訳ないが……君達海竜隊には、水の四天王団から地の四天王団に派遣され、水の四天王領から地の四天王領へ続く水路の建設と地の四天王領の荒れ地の改善、その2つを手伝ってもらうことになった。よろしく頼む」
「さて、そうと決まれば早速移動するわよ!じゃなきゃ、あなた達はこの狭い部屋の中で今日も寝泊まりすることになるんだからね!いい加減、もっと広い部屋に移りたいでしょ?」
ギルヴァスとあづさがそう言って彼らを急き立てれば、再会の喜びのままに彼らは勢いよく動き始めた。
即ち……彼らの今夜の寝床を確保すべく。
「やっぱり水の者が居ると、作業が捗るなあ。一々井戸から水を汲んでこなくても、池に水がでてくるとは……」
ギルヴァスは感心したようにそう言って、満足げに頷いた。
「ひとまずこれで、君達の当面の居住区はできたか」
ギルヴァスが隣に居たミラリアとルカにそう問えば、2人ともぽかんとした様子で、目の前の湖を眺めた。
……湖は、地の四天王城から少し離れた場所にある。到底、池、などとは言えない、湖と言った方が近いような大きさのそれは、その水の底に1つの宮殿を擁している。
その宮殿こそが、今後のルカやミラリア達、海竜隊と水妖隊の者達の居住区、となるのだが……。
「い、一瞬で城が……」
「凄い……。これが地の四天王の力、ですか……」
ギルヴァスはあっという間に湖となる窪みを作り、そこへルカとミラリアが水を招き入れて満たしたと思ったら今度はまたあっという間に宮殿を作ってしまった。ギルヴァスの建築風景を見たことが無かったルカとミラリアは、それぞれ大変驚くこととなったのである。
……まるで地面から生えてくるかのように現れた宮殿は、地の四天王城のような、岩石をそのまま形作って城にしたようなものであった。だが、その見た目の地味さを補って余りあるほどに造形自体が美しく、また、規模も大きなものであった。
隊長程度がこんな宮殿を丸ごと渡されてしまっていいのだろうか、と、ルカもミラリアも唖然としていたが、ギルヴァスは満足げであり、あづさもまた、面白そうに湖を覗き込んで「いい出来じゃない」などと言っている。
ルカとミラリアは、これが地の四天王団にとっては普通のことなのだな、と理解すると同時に、自分達が到底敵わないであろうギルヴァスの能力を思い知って、震えた。思えば、ルカもミラリアも、ギルヴァスに殺されていたとしても何らおかしくはなかったのだ。今自分達がギルヴァスの温情によって生きているということを再確認し、ルカとミラリアは顔を見合わせ頷き合うのだった。
かくして、陽が沈む前にルカとミラリア、そして海竜隊の者達のための宮殿が完成した。
家具などもある程度はギルヴァスが岩石から作り上げていたため、水の者達はすぐ、湖の宮殿に住み始めることになる。
風の四天王領から譲り受けた寝具や地の四天王城の客間にあった海竜隊の荷物を運んだり、或いはルカとミラリアが持ってきた荷物を運んだり、といった作業には、隊長2人の魔法が役立った。
「本当に水を操れるのね」
あづさは感心しながら、引っ越し風景を見守る。平地を勝手に流れる水流が荷物を運んで湖に流れ込んでいるが、その水流は湖から吹き上がった水が宙を渡って、荷物のある場所まで届いている。
非現実的な眺めにあづさが感嘆のため息を吐けば、ルカが笑った。
「そうだな。多少なら水を生み出すこともできる。この魔法が使えないと、死活問題だからな」
そういえばそうよね、とあづさは納得する。多少の水があれば、彼らは生き延びることができるらしい。ならばその水を自ら生み出せた方がいい、ということはよく理解できた。
「操るにしても我らの力ではこの程度だが……オデッティア様ほどの方ともなれば、この湖丸ごと1つすら動かせる」
「へえ……すごいわ」
「俺からしてみれば、地の四天王の技も相当なのだが」
ルカは苦笑を浮かべつつ、また水流を操って荷物を運んでいく。
あづさはそれを見て、『水って流麗なイメージがあったけど、水自体を操れるってことは水の人達って条件次第ではギルヴァスを超える怪力ってことよね』などと思いつつ、口には出さないでおいた。
「でもよかったわ。この調子なら、明日からどんどん作業を進められそう」
代わりにそう言ってにっこりと微笑めば、ルカは応えるように1つ頷いた。
「精一杯働くつもりだ。……この程度では、恩を返す、などと言うのも烏滸がましいが……」
そしてルカがそういうのを聞いて、あづさは思わず、笑いだした。
「……あなたって結構、真面目よね」
そう言われたルカはぽかん、とした後、恥じ入るように気まずげに視線を逸らす。
「……面白みが無い、とは、思うが」
「あら。あなた自分でそんな風に思ってるの?なら勿体ないわ」
あづさはルカの視線の先に回り込むようにしてルカの顔を覗き込みつつ、にっこりと笑った。
「あなたの性格って、とっても貴重だし、素敵だと思うわよ」
「貴重、か?」
「ええ。だってここは地の四天王領よ。水の四天王領みたいにカッチリしてないし、のんびり……何ならぼんやりしてるって言ってもいいわ。配下の中で今のところ一番よく動き回ってるのってヘルルートだし、彼らって魔力吸ってお日様浴びて水吸ってられればそれでいい、みたいな生き物みたいだし……まあ、真面目、じゃあないわよね。働き者ではあるけど」
ルカは視線をやって、出来上がったばかりの湖のほとりで特に意味もなく走り回っているヘルルート2体を眺めた。
「ここ、あなたが気を抜いてても問題ないくらい、皆のんびり屋さんだから。あなたも適度に息抜きしてね」
「あ、ああ、心配を、かけた……すまない」
「ホントに真面目ね。嫌いじゃないわ。まあとにかく、あなたにとって『楽に』とは言わないけど『楽しく』居られるようにして頂戴。あなたが楽しく過ごしてくれたら、私も嬉しいわ」
あづさはくすくすと笑って、ルカの前から立ち去った。
残されたルカはしばらくあづさを見送ったまま視線をそちらへやっていたが、操っていた水が制御を失って暴れ始めたので慌てて湖の方に向き直り、水を操ることに集中した。
……しばらくの間、ルカが考えに沈む度、水が少々無駄にちゃぷちゃぷと跳ね、その度にルカは顔を赤くしつつ制御し直すことになったが。
そうしている内に湖の宮殿への引っ越し作業は無事に終了し、ルカ達は宮殿の中で休むことになった。
湖の前であづさとギルヴァスは彼らと別れ、着いてきていたヘルルート達をつれてまた城へと帰る。
「ええと、これで荒れ地に水が戻って、そこも耕作地にできるようになったら……どうしましょうか」
「そうだなあ、うーん……農業をやろうにも、人手が足りないなあ」
「そうね。ヘルルート達に農業させるのもかわいそうだし」
「こいつら自身が作物みたいなものだからなあ……」
ヘルルートが足元を楽し気に走り回る無邪気な様子を眺めてため息を吐きつつ、2人は考える。さて、広大な土地をどうしようか、と。
「ちなみに以前はどうしてたの?つまり、先代魔王様の頃は、ってことだけど」
「ん?ああ、それなら、いろいろな種族が住んでいたからな。彼らが使っていたんだ。勝手気ままに家を建てて、勝手気ままに作物を育てて……それでも一応、納めるべきものは納めていたなあ……」
「ちなみにその種族達はどこ行ったのよ」
「風の四天王領か火の四天王領か、はたまた魔王城に行ったものもあったが」
「大体わかったわ」
あづさは腕を組んで、食堂へ向かいつつ考える。
……要は、現在の地の四天王領は、あまりにも人口が少なすぎるのだ。住んでいる生き物と言ったら、緑地地帯のヘルルートやマンドラゴラ、コットンボール、スピアビー、アイアンスパイダー、そしてトレント。或いは旧浸食地帯のスケルトンやゾンビ、ローパーやお化けキノコ。そして、鉱山のゴースト達やリビングロック、ウィスプ達。
……まともな労働力が、少なすぎる。そしてそもそも、絶対数自体が少なすぎるのだ。
今現在で住民が居る地域に限っても、土地を持て余しているような有様である。そこへ、今まで使っていた土地全てを合わせたより大きい広大な緑地が手に入ったとして、有効に活用できるだろうか。
「……うーん」
あづさは、考える。人手があまりにも足りないこの状況。どうやって、地の四天王領並びに地の四天王団の発展のために動くべきか。
「……人手不足なのは、条件が悪いから、よね」
あづさはそう呟く。
あづさの世界でもそうだ。人手が足りない企業は、要は条件が悪いから人が集まらない。
それは、仕事内容に魅力が無いからであったり、安定性に欠けるという問題であったり、はたまた、休日や賃金が足りない、というごく単純な理由であったりするだろう。
そして地の四天王団に関して言うならば……。
「……全部、よねえ……」
あづさは天を仰ぐ。そこには地味な岩石の天井があるばかりだったが、ひとまず、上を向いた。思考するときには余計なものが目に入らない方がいい。前方を見ずに歩いても、あづさの横をギルヴァスが歩いているから問題ない。あづさがぶつかりそうになったり転びそうになったりしたならばきっと彼が助けに入るだろうから。
「まず、魅力は無い。四天王最弱のところに居て栄光も名誉もあったものじゃない。上司に魅力が無い……」
「……すまん」
ギルヴァスが隣で非常に複雑そうな顔をしていたが、それはさておき、あづさは1人、続ける。
「それから、不安定。四天王が最弱なら、外敵からの脅威に対して弱い。それに魔王軍の中での立場が弱いんだから、まあやっぱり不安定よね」
またもギルヴァスを気にせずあづさはそう呟いて、それから更に続けた。
「それから、条件はものすごく悪いわね。渡せる賃金ってほとんど無いし。贅沢させてあげるための物資がまず無いし。威張り散らすための弱小種族は居るけど、彼らを虐めさせる気はさらさら無いし。……うーん」
あづさが更に考え込むと、ふと、ギルヴァスが黙ってあづさの肘のあたりをそっと引っ張って誘導していく。あづさはそれに逆らわず動いて、無事、柱への激突を逃れた。
「……全部一気に改善するのは、無理ね。どこか1つだけでも改善して、その条件でも来てくれる、っていう種族を探して、その種族の力を借りてもっと条件をよくしていって……でも、元々居る種族に損にならないようにしなきゃいけないし……」
続いてギルヴァスは、ひょい、とあづさを持ち上げた。するとあづさの足元を、走り回っていたヘルルート達が通り過ぎていく。あづさはそれを確認しつつ、ギルヴァスが自分を一向に下ろそうとしないことにも気づいたが、特に何も言わずそのままにさせておいた。
「なら、最初に改善できるのはどこか、ってことだけど……安定性は正直、無理よね。魔王様からの覚えが良くないのは1年後になんとかできるかもしれないけど、1年以内にどうこうできる問題じゃないわ。じゃあ、賃金を与えるか、名誉を与えるか、いい暮らしをさせてあげられるだけの物資を生み出すか……或いは、カリスマ性のある上司が先導するか……」
あづさが呟き考える間に、ギルヴァスはひょい、とあづさを持ち上げ直して、そのまま横抱きにした。もう自分が運んだ方が安全だと判断したらしい。あづさは黙って横抱きにされつつ、そのままギルヴァスの胸板に頭を凭れ掛からせて、彼の心音を聞きつつ……結論を出した。
「ギルヴァスの魅力って、あんまり広報向きじゃないわね……」
ギルヴァスはいよいよ複雑そうな顔で腕の中のあづさを見下ろしていたが、あづさはそんなギルヴァスの顔を見返しつつ、言った。
「だってあなたって、ぱっと見でカリスマ性にあふれてるわけでもないんだもの。大体あなた、悪評が立ちすぎなのよ。それを打ち消すだけのもの、アピールできる?」
「……うーん、難しい」
「でしょうね。あなたの魅力って、少し長めに一緒に居ないと分からないと思うもの。特に、先入観がある人にはね」
あづさはギルヴァスに真正面からそう言ってのけると、また悩み出した。
「多分、最初に改善できるのって、技術なのよ。それは私が持ち込んだ分で、ある程度なんとかできるわ。けど、その技術を普及させるための人員が居ないのよねえ……」
例えば、労働力があれば、あづさの持ち込んだ知識と技術によって、地の四天王領の生活環境を一気に改善することも可能だろう。電気の明かりを持ち込むこともできるだろうし、新たな武器を作り出すこともできるだろう。食料についても、いくらかの知識がある。
……だが、それらを生かす土台すら、ここには無いのだ。
あづさとギルヴァスの2人だけなら、まだいい。あづさが考えてギルヴァスが作ればいいのだから。だが、地の四天王領全体へ、となると、ギルヴァス1人では作業が追い付かないだろう。
「ギルヴァスが他に何人か居れば、いいんだけど。ご褒美になる宝石を加工できたり、新しい道具を造ったりできる人員が居れば……」
あづさがそう呟くと、ギルヴァスはあづさを覗き込んで、言った。
「それなら、ドワーフだな。火の四天王領に行ってしまったが」
「ドワーフ……」
「ああ。確かな加工技術と知識を持った種族だな。揃いも揃って職人気質だが、新しい物好きだ。新たな技術があったなら、彼らはすぐに飛びつく。そういう種族だ」
ギルヴァスの解説を聞いて、あづさはふうん、と唸りつつにっこり笑う。
「いいじゃない。それ。……でも確か、ドワーフは火の四天王団に居るのよね?」
「そうだなあ」
あづさはふむ、と考える。そして、つい数日前にオデッティアと話した内容をまた思い出し……そして、言った。
「なら最初の一手は決まりね!ドワーフを引き抜き返すわよ!」




